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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

する天台宗中心の「顕密主義」仏教に対して、幕府が公権力の立場から採用した真言密教と臨済禅の和合たる「禅密主義,こうした幕政前期において芽生えた真言密教への傾斜は、その中期に臨済禅の採用の結果、「禅密主義」政策として,言葉を変えていえば、幕府の志向・創作した「禅密主義」仏教政策が、幕府の宗教的祭祀権として、東国の地に現実,これまで天台宗一色に彩られてきた北奥仏教界が、この幕府による反天台宗の立場からする「禅密主義」の宗教指導,この時頼の廻国と臨済禅院の護国寺建立が、前にみた幕府の「禅密主義」仏教政策の現実的反映の産物であることは
通史編1(古代・中世) (二 津軽の修験道と神社)

多くは、その当初、天台系密教(台密)を基調とし、鎌倉時代に至り、幕府の反天台宗の宗教政策を受けて、「禅密主義,とすれば、津軽地域における中世の修験道世界とは、まさしく、鎌倉幕府の「禅密主義」の宗教政策の延長上に花開
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

この仏教説話が前の幕府の「禅密主義」仏教政策をその背景にもつであろうことは、ほぼ察しがつこう。  ,前の唐糸御前と護国寺の建立のように、この説話には天台宗から臨済宗への改宗という山場はないが、幕府の「禅密主義,直接的な改宗を伴わないが、時頼の廻国をとおして幕府の「禅密主義」なる仏教政策が宗教的祭祀権の行使という
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