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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) ((二)福士幸次郎の影響)

(二)福士幸次郎の影響 コミュニズムを批判し、伝統主義を唱えた福士幸次郎(明治二二-昭和二一 一八八九,福士幸次郎は、明治二十二年十一月五日、弘前市本町五九番地に四男として生まれた。,紅緑がいかに福士幸次郎を頼りにしたかは、佐藤愛子の『血脈』に詳述されている。,志功が生涯、福士幸次郎を尊敬していたのには、そんなことも原因になっていたのである。,写真249 福士幸次郎  福士幸次郎が第一詩集の口語自由詩『太陽の子』(大正三年四月)(資料近・ / (二)福士幸次郎の影響
通史編5(近・現代2) (人生の師・福士幸次郎と出会う)

人生の師・福士幸次郎と出会う 官一は、かなり早い時期から文学を志していたようである。,そして、官一が中学四年のとき、福士幸次郎が赴任する。このとき官一の将来は確定した。,中央詩壇の重鎮だった福士幸次郎が、国語教師として着任した。 / 人生の師・福士幸次郎と出会う
通史編5(近・現代2) ((三)県内初の詩結社「パストラル詩社」)

詩の結社である「パストラル詩社」(資料近・現代1No.七四一)が大正八年八月に結成されたが、これにも福士幸次郎,写真250 福士幸次郎詩碑除幕式(弘前公園・昭和32年)
通史編5(近・現代2) (方言詩誌「芝生」創刊)

その創刊の背景には、むろん福士幸次郎の地方主義運動(同前No.六五九)の影響が著しい。
通史編5(近・現代2) (桜庭芳露の活躍)

大正七年、七戸尋常小学校へ勤務していたが、翌年八月、かねてより師事していた福士幸次郎の激励を受けて、後藤健次
通史編5(近・現代2) (後藤健次の手紙)

大正八年、福士幸次郎に手紙を出す。それが契機となり、「パストラル詩社」が結成されることになる。  
通史編5(近・現代2) (新民謡)

これは地方主義・伝統主義とナショナリズムの融合による文化潮流であり、弘前においても、大正十二年に帰郷した福士幸次郎
通史編5(近・現代2) (方言詩集『まるめろ』)

昭和六二 一九〇三-一九八七 青森市)が大正十五年(一九二五)四月に青森日報社に入社したとき、初めて福士幸次郎
通史編5(近・現代2) (県詩壇の重鎮・一戸謙三)

上京中に福士幸次郎の詩集『太陽の子』に感動し、翌年の「パストラル詩社」に参加することになる。
通史編5(近・現代2) (郷土文学館)

常設展示コーナーでは、明治期以降各分野で活躍した郷土出身の著名作家九人(陸羯南、佐藤紅緑、葛西善蔵、福士幸次郎
通史編5(近・現代2) (飛躍の年を迎える)

四十一年ごろ、秋田雨雀の紹介で福士幸次郎が紅緑の書生となる。
通史編5(近・現代2) (三 津軽の文学の新たな展開(昭和の文学))

今官一は福士幸次郎の薫陶を受けた一人だが、「わらはど」で文学に開眼、昭和五年には井上靖らと「文学ABC
通史編5(近・現代2) ((一)北の文学連峰)

その紅緑の書生に福士幸次郎(ふくしこうじろう)を紹介したのが秋田雨雀。,福士幸次郎を師と仰いだのが、今官一(こんかんいち)である。今官一と太宰治は同年生まれの文学の友人。
通史編5(近・現代2) (音楽家たち)

木村弦三(きむらげんぞう)(明治三八-昭和五三 一九〇五-一九七八)は福士幸次郎の地方主義に共鳴し、民俗音楽
通史編5(近・現代2) (津軽の精神風土を追究)

佐藤紅緑、秋田雨雀、福士幸次郎、葛西善蔵、今官一も、またしかりである。  
通史編5(近・現代2) (同人誌時代-太宰治とともに)

今官一にとって、福士幸次郎を〈人生の師〉とすれば、新感覚派の旗頭・横光利一は〈文学の師〉、そして太宰治
通史編5(近・現代2) (直木賞を受賞す)

昭和二十一年に〈人生の師〉福士幸次郎を、二十二年には〈文学の師〉横光利一を、そして二十三年には〈文学の
通史編5(近・現代2) (故郷(くに)を思う心)

大正八年(一九一九)、弘前の文学青年一戸謙三(いちのへけんぞう)らがパストラル詩社を結成(~大正十二年)、福士幸次郎
通史編5(近・現代2) ((三)北の文学連峰の現在)

方言詩集「津軽の詩」をはじめ、長部日出雄の直木賞受賞作品『津軽世去れ節』(昭和四十八年)や葛西善蔵全集、福士幸次郎著作集
通史編4(近・現代1) ([付図])

第八師団歩兵第五二連隊シベリア出兵〈大正10年〉 47 弘前市公会堂開堂〈大正12年〉 48 福士幸次郎
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の再興なる)

短い期間ではあったが、国漢教師として招聘された福士幸次郎の存在も忘れてはならない。
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