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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (安部氏・清原氏の登場)

安部氏・清原氏の登場 このような鎮守府将軍の管郡的基盤となったのが奥六郡(岩手・志波・稗貫(ひえぬき,)・和賀・江刺・胆沢)であり、出羽城介の管郡的基盤となったのが山北三郡(山本・平賀・雄勝(おかち))・,秋田郡・河辺郡である・のちに前者から安倍氏が、後者から清原氏が台頭するが、いずれも蝦夷系豪族から抜擢された
通史編2(近世1) (知行安堵と検地)

がそのまま安堵され(伊達氏の場合、小田原参陣の際にすでに会津・安積(あさか)・磐瀬(いわせ)などの諸郡の,七郡とは、和賀(わが)・稗貫(ひえぬき)・志波(しわ)・閉伊(へい)・岩手(いわて)・鹿角(かづの)・,糠部(ぬかのぶ)という説と、和賀・稗貫ではなく、遠野(とおの)、久慈(くじ)だとする説があり、和賀・稗貫,いずれにしても、ここには津軽郡が含まれず、為信が津軽郡を安堵されていたからということにはなるが、津軽領,ここで所領を没収された大名は、大崎義隆(おおさきよしたか)(大崎五郡)・葛西晴信(かさいはるのぶ)(葛西七郡
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)

関ヶ原の戦いは、慶長五年九月十五日に美濃国関ヶ原(現岐阜県不破郡関ヶ原町)で局地的に戦われた、いわゆる,ろくごうまさのり)・戸沢政盛(とざわまさもり)・本堂茂親を最上口に置いて米沢の押さえとし、また出羽由利郡の,七月下旬には伊達政宗が自領に接する上杉領である刈田郡白石城を落とした。,一方、先に領国に引き揚げた北奥羽の諸大名のうち、南部利直は、その領内和賀郡から稗貫(ひえぬき)郡において,、秀吉の奥羽仕置によって改易された旧領主和賀氏・稗貫氏らの旧家臣による一揆に見舞われた。
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