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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (飢饉への対応)

藩がまず取り組んだことは、食糧用の米よりも来年用の種籾の確保であった。,種籾がないと翌年の植え付けもできないので、藩は九月二十三日の時点で種籾一万三〇〇〇石を秋田藩から購入することを
通史編4(近・現代1) (米作奨励と栽培管理)

明治初期、米作技術の改良の課題は、①螟虫(めいちゅう)の駆除、②馬耕法の採用、③種籾の塩水選法であった,さらに、県は同二十年に苦塩水選法による種籾の選択を記した文書を篤農家に配布した(『稲作八十年のあゆみ』
通史編3(近世2) (抜参り)

伊勢参りしたものが、伊勢から種籾(たねもみ)「山田錦」を持ち帰り、栽培・普及した記録は津軽では見つかっていない
通史編2(近世1) (幕末期の蝦夷地交易)

この他に滝屋が箱館奉行所に売却した物資は種籾・大豆・小豆など実に種類が多く、特に文久二年(一八六二)正月
通史編2(近世1) (騒動のその後)

七月二十八日には、責任をとって家財を処分し、自宅は「空屋」になっているが、実際はその後も藩の命令で秋田藩に種籾
通史編2(近世1) (農政の転換)

一方、農業の再生産の保障を行うためには、夫食あるいは種籾の確保と貸し付けが必要となった。,しかし、こうした種籾・銭の貸し付け政策も、飢饉後には大きく転換することを余儀なくされた。  
通史編2(近世1) (上層農民・在方商人の伸長と藩政の動向)

寛延三年(一七五〇)四月には、近年の凶作に加え、前年の不作によって御蔵納米が大いに不足し、皆無作の村々への種籾
通史編4(近・現代1) (旧藩体制改革への動き)

社会掛は、郡村で貯穀などを行い、凶年に窮民を救助し、夫食(ぶじき)、種籾を貸与する。  
通史編2(近世1) (飢饉のその後)

他国から購入した種籾も質が悪く、うまく育たなかったという。  
通史編5(近・現代2) (昭和恐慌の勃発と商工業)

その内容は肥料、種籾購入資金や内務省土木費の支出であった。  
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」通用の実態)

また飯料や翌年の種籾も取り上げられたにもかかわらず、手当も貸し出しもなく、農村では「飢渇に及ぶ者」も出
通史編2(近世1) (信政晩年の藩政)

』)、また藩から貸与される夫食(ぶじき)(凶作の際、領主が農民に貸し付けて救済を図ろうとした食料)・種籾
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●元和元年(一六一五)、この年、東風にて凶作となり、津軽信枚、帰国して家臣中村内蔵允を越後へ派遣し、種籾
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