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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(種里城と町)
種里
城と町 明応元年(一四九二)、現在の鰺ヶ沢町
種里
町に西海岸の掌握と西浜の南方にある安東氏に備えて,鯵ヶ沢町
種里
周辺には、板碑や五輪塔などが散在しており、そのようなことから光信が
種里
に入る以前の段階には,
種里
城跡は現在でも中世城館跡の面影を色濃く残している。,
種里
城の規模や性格は、今までは不明な部分も多かったが、平成四年(一九九二)から
種里
城跡の中心部である「,写真203
種里
城跡と周辺の近世絵図面 /
種里
城と町
通史編1(古代・中世)
(種里城を中心とした城館群)
種里
城を中心とした城館群
種里
城跡を中心とした城館群は、川崎城をはじめ、赤石川流域を中心とした山の麓,赤石川の水源部分に当たる西側には
種里
城跡が造られている。,写真213
種里
城跡周辺航空写真 図67
種里
城と周辺の城館群(50,000分の1), これらの城館跡の関係についてはいまだに不明な部分もあるが、
種里
城跡が機能していた時期にこれらの城館も,さらに
種里
城跡から北北東に二キロメートルのところには、地元の人が「将軍塚」と呼んでいる場所があり、その /
種里
城を中心とした城館群
資料編1(古代・中世編)
(鰺ヶ沢1~12)
鰺ヶ沢1~12 鰺ヶ沢1 西鰺ヶ沢町
種里
町字大柳-
種里
城跡- 鰺ヶ沢2 西鰺ヶ沢町
種里
町字大柳-
種里
城跡,- 鰺ヶ沢3 西鰺ヶ沢町
種里
町字大柳-臥竜院墓地- 鰺ヶ沢4 西鰺ヶ沢町日照田町字野脇-地蔵堂前-
通史編1(古代・中世)
(大浦氏の城下町建設の流れ)
大浦為信(ためのぶ)の祖父に当たる久慈南部氏の信濃守光信(みつのぶ)を明応元年(一四九二)に現在の鰺ヶ沢町
種里
,(たねさと)町に
種里
城を築いて入部させたことにはじまる。 ,同年、
種里
城の光信には大浦城を築城させ鼻和郡の本拠地とさせた。,光信は大浦城に長子の盛信(もりのぶ)を置いて(史料八七七)、大浦氏を名乗らせ、光信自身は
種里
城にそのままとどまったことになっている
通史編2(近世1)
(三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)
ぐんだい)」とするとともに、延徳三年(一四九一)に南部久慈(くじ)氏の一族南部光信(みつのぶ)を津軽西浜
種里
,(たねさと)城(現鰺ヶ沢町
種里
)に配置し安東氏への押さえとした。,大浦ノ城ト云、嫡男盛信ヲシテ居住セシム」(資料古代・中世No.八七七)とあり、文亀二年(一五〇二)、
種里
城主南部光信,大永六年(一五二六)、大浦氏の初代光信が
種里
城で没した。
通史編1(古代・中世)
(大浦氏関係の中世城館跡)
大浦氏関係の中世城館跡 鯵ヶ沢町
種里
城跡や岩木町大浦城跡などは開発に伴う発掘調査が行われている。,
種里
城跡においては主曲輪から束になった銭(備蓄銭か)や、光信が居住したと考えられる主殿跡、区画溝によって
通史編3(近世2)
(長勝寺)
長勝寺 長勝寺(ちょうしょうじ)は、大永六年(一五二六)、大浦光信が
種里
城(現西津軽郡鰺ヶ沢町)で死去,為信の時に
種里
から堀越城下・大浦城下と移転し、寺領二〇〇石の寄進を受けた。
通史編3(近世2)
(鳳松院)
鳳松院 鳳松院(ほうしょういん)は、慶長四年(一五九九)、
種里
(たねさと)村(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に
通史編3(近世2)
(海蔵寺)
海蔵寺 海蔵寺(かいぞうじ)は、明応年間(一四九二~一五〇〇)、江山が開山となり、
種里
村(現西津軽郡鰺
通史編1(古代・中世)
((五)発掘調査から見た遺跡)
においては石川城跡の内館部分や福村城跡の堀跡が発掘調査され、また大浦氏に関係した城館跡としては、鯵ヶ沢町
種里
城跡
資料編1(古代・中世編)
(二 大浦城の歴史)
こうした中、安東政季死去より三年後の延徳三年(一四九一)、南部氏の一族・光信が九戸郡下久慈より「大浦・
種里
,海からの安東勢力の侵入口である西浜の
種里
に拠って(「前代歴譜」)、南部氏の前衛の役割を担うことになった,その後、大永六年(一五二六)、大浦氏の初代光信は
種里
城に没し、光信の嫡子盛信が大浦城にあって跡を継ぐ。
通史編1(古代・中世)
(三戸南部氏による領国支配の強化)
一四九一)に、南部氏の一族である南部光信(なんぶみつのぶ)(写真189)が、軍勢を率いて、日本海側の
種里
,(たねさと)(西津軽郡鰺ヶ沢町
種里
)に移住したことにはじまる(史料八六〇)。,これについて、
種里
は当時の海上交通の要衝で、ここに一族を配置して光信を檜山安東氏への押さえとし、海域の,光信倚像 津軽氏の系譜である『前代歴譜』に光信が九戸郡下久慈から南部氏に対する復讐を遂げようと
種里
,しかし、言語学の方では、鰺ヶ沢町を中心とする地域において南部地域の方言が確認されるという報告もあり、
種里
通史編3(近世2)
((一)藩主家の菩提寺)
(一)藩主家の菩提寺 大浦光信は大永六年(一五二六)十月八日、
種里
城(現西津軽郡鰺ヶ沢町)で臨終の際,為信は、長勝寺八世格翁(かくおう)を参禅の師とし、堀越城下の形成に当たり長勝寺を
種里
から堀越へ移し、後
通史編3(近世2)
(大円寺)
大円寺(だいえんじ)は、「大円寺縁起」(資料近世2No.四一一)によると、文亀年間(一五〇一~〇三)に、
種里
村一
通史編1(古代・中世)
([口絵])
22 山元(1)遺跡(浪岡町) 23 浪岡城跡(国指定史跡 浪岡町) 24
種里
城跡
資料編1(古代・中世編)
([付図])
73 深浦町関字栃沢 甕杉下 74 深浦町関字栃沢 (深浦町歴史資料館保管) 鰺ヶ沢 1・2 鰺ケ沢町
種里
町字大柳,
種里
城跡 3 鰺ケ沢町
種里
町字大柳 臥竜院墓地 4・5 鰺ケ沢町日照田町字野脇 地蔵堂前 6 鰺ケ沢町日照田町字野脇
通史編1(古代・中世)
(本城(根城)の城館跡)
その他、当市域外ではあるが津軽氏に関係する城館跡としては、鯵ヶ沢町の
種里
城跡や岩木町の大浦城跡なども挙
通史編2(近世1)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
市立函館図書館 専修寺(青森県弘前市) 仙台市博物館 高照神社(青森県中津軽郡岩木町)
種里
八幡宮
資料編1(考古編)
(2.13世紀の様相)
資料であり、浪岡町出土瀬戸瓶子・珠洲四耳壺(図6-2)、田舎館村出土珠洲系四耳壺(図7-1)、鰺ヶ沢町
種里
周辺出土珠洲経容器
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
長勝寺 曹洞宗 金沢宗徳寺 大永六 (一五二六) 大浦盛信
種里
(鯵ケ沢町) 西茂森 大浦盛信,海蔵寺 同右 長勝寺 明応年間 (一四九二~一五〇一) 大浦盛信 江山智永
種里
村 (鯵ケ沢町),鳳松院 同右 耕春院 慶長以前 金庵喜
種里
村 (鯵ケ沢町) 同右 慶長年間、現在地に移転。,大円寺 大鰐町 大円坊 文亀年中(一五〇一~〇四) 真言宗 初め、
種里
村(鰺ケ沢町)の一ツ森に建立。
通史編1(古代・中世)
(城館タイプの分類)
られた、「領主居住型城館跡」ともいえる拠点的性格を持つ城館は、浪岡町浪岡城跡や弘前市石川城跡、鯵ヶ沢町
種里
城跡,もう一つは
種里
城跡や蠣崎城跡のように五〇センチメートルから八〇センチメートルほどの低い段差を付けて平場
通史編1(古代・中世)
(大浦城と大浦城下町)
「大浦城」は文亀二年(一五〇二)三戸南部氏安信(やすのぶ)が、
種里
城の光信に大浦城を築かせ、鼻和郡の本拠地,光信は大浦城に長子の盛信を置いて大浦氏を名乗らせ、光信自身は
種里
城にそのまま居住していたようである。
資料編1(考古編)
(第3節 中世・近世の住居と集落)
尻八館跡 青森市 14,15 掘立・竪穴 城館 12 朝日山遺跡 青森市 15 掘立 屋敷 14
種里
城跡
通史編1(古代・中世)
(文献史料から見た戦国動乱の激化)
南部氏は延徳三年(一四九一)、南部久慈(くじ)氏の一族光信(みつのぶ)を津軽西浜
種里
(たねさと)に入部,そしてその後
種里
城から大浦城に拠点地を変え、もともとは同族であった南部氏が支配していた岩木川東岸地帯と
資料編1(古代・中世編)
(一 大浦城の立地と現状)
一六一五)のいわゆる「一国一城令」によって廃城となったが、津軽氏のルーツをなす城の一つであることから、
種里
城
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
また、正保元年(一六四四)には大円寺を
種里
村(現鰺ヶ沢町
種里
町)から銅屋町に移した(『記類』上)。
資料編1(古代・中世編)
(一 堀越城の立地と現状)
堀越城は、藩政時代には
種里
城・大浦城とともに「当家の御居城」(『津軽一統志』)として重視され、遺構もよく
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
寺社の縁起によると、津軽氏の先祖大浦氏より菩提寺としていた長勝寺(ちょうしょうじ)を
種里
から、法立寺は
通史編1(古代・中世)
(一六世紀の湊)
また日本海域では十三湊に代わって、鰺ヶ沢町の
種里
(たねさと)城を中心とした地域や深浦町の元城(もとしろ
通史編1(古代・中世)
(舶載と国産)
になると津軽地域に搬入される陶磁器の量は、地域の拠点的城館である浪岡城・大光寺城・石川城・堀越城・大浦城・
種里
城
資料編1(古代・中世編)
(七 板碑の発見と保護の状況)
鯵ヶ沢町
種里
城跡の板碑が二度移転したことは既に述べたが、近年弘前市細越の五十嵐氏地所の春日堂内の板碑二基
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
史跡七戸城跡北東出丸 矢館跡Ⅲ』(七戸町埋蔵文化財調査報告書第4集) 1989年 61) 鰺ヶ沢町教育委員会 『
種里
城跡,』(
種里
城跡第1次発掘調査報告書) 1989年 62) 八戸市教育委員会 『史跡根城跡発掘調査報告書,木村高・ほか 『野脇遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第149集) 1993年 *35 新谷雄蔵 『
種里
城跡,-
種里
城跡第1次発掘調査報告書』 1989年 *36 高橋與右衛門 「発見された中世の建物跡」(北の
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
銅製品 36ほか 12 朝日山遺跡 青森市 15 銭貨 13 元城跡 深浦町 16 陶磁器 14
種里
城跡
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
●延徳三年(一四九一)、この年、南部光信、大浦・
種里
に入部し
種里
城に拠るという。
通史編2(近世1)
(穀物の流通統制)
『永宝日記』の筆者の地元、
種里
村(現鰺ヶ沢町)にも三七八俵の割り当てがきたが、一〇俵も集まらなかったという
通史編1(古代・中世)
(藤崎城と中世都市)
このことは藤崎城を管轄していた権力者が、
種里
や大浦・堀越といった大浦氏の城下町建設の発想とは異なった、
通史編1(古代・中世)
(環壕集落の構造と年代)
第三番目は、碇ケ関村古館遺跡(図23)、
種里
城跡、黒石市高館遺跡などのように、周辺の沖積地との比高差が
資料編1(古代・中世編)
((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)
この過程で南部氏は、延徳三年(一四九一)、一族の南部光信(津軽氏の祖先)を西浜
種里
城に、明応七年(一四九八
資料編1(古代・中世編)
(二 青森県の板碑分布)
また、現在
種里
城跡「光信公の館」の前にある二基の板碑は、もと〝ホケチョの坂〟(法華経の坂)にあったものを
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
真言五山寺 初め、十腰内村にあり (2) 最勝院 同右 天文元年 弘信僧都 真言五山寺 初め、大浦
種里
村,不詳 僧円智の創立 真言五山寺 初め、小沢村にあり (6) 大円寺 真言宗別行派 不詳 初め、大浦
種里
村,)と伝えるように、もともとは十腰内村に開基されたものであり、最勝院・大円寺・高伯寺も、その初めは大浦
種里
村,一方の「寺院」の項の最勝院も、「初め大浦
種里
村の一森に在り、文禄中、堀越村に移り、正保四年、今の南溜池
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●大永三年(一五二三)五月、南部(大浦)光信、
種里
八幡宮を建立するという。,●永禄十三年(一五七〇)四月、源経家、
種里
八幡宮堂宇を建立するという。
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
詳細は別節で述べることにするが、弘前市とは関係の深い鰺ヶ沢町
種里
城跡*35の調査も始まり、考古学・文献史学
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
より継続中、十~十一世紀=平安時代、十五世紀=室町時代の二期に分かれる)(149)、西津軽郡鯵ヶ沢町
種里
町,の
種里
城跡(一九八九年より継続中、十二世紀=平安時代末期、十五~十六世紀=室町時代)(150)等において
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
大浦盛信が亡父光信の菩提寺として、
種里
(たねさと)(鯵ヶ沢(あじがさわ)町)に創建した長勝寺や海蔵寺をはじめとする
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
東京大学出版会刊 図60 『日本歴史館』1993年 小学館刊 飯塚聡作画 図61 鰺ヶ沢町教育委員会『
種里
城址
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
』90頁 昭和59年 北方新社刊 184 荒歳流民救恤図并略記 国立国会図書館蔵 185 鯵ヶ沢町
種里
八幡宮蔵
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
中里町教育委員会 『中里城跡概報』(中里町文化財調査報告書四) 一九九一年三月 (150)鯵ヶ沢町教育委員会 『
種里
城跡
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 八戸湊文書 274 ●延徳三年(一四九一)、この年、南部光信、大浦・
種里
に入部し,
種里
城に拠るという。,……………………… 京徳寺過去帳 283 ●大永三年(一五二三)五月、南部(大浦)光信、
種里
八幡宮を建立,……………………
種里
八幡宮棟札 283 ●大永四年(一五二四)ころ? ,……… 弘前市松野武雄氏所蔵文書 308 ●永禄十三年(一五七〇)四月、源経家、
種里
八幡宮堂宇を建立するという
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長二年(一五九七)三月、
種里
八幡宮造立。
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
……………………………………………………………………………… 北畠顕文氏所蔵写本〔青森県板柳町〕
種里
八幡宮棟札
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