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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(家中屋敷の郭外移転)
三の丸には侍屋敷は六九軒(うち
空き屋敷
一四軒)、四の郭には侍屋敷四八軒(うち空き屋九軒)、西外の郭には,三六軒(うち
空き屋敷
七軒)が置かれ、藩の施設である御蔵(二の丸)や御鷹部屋(三の丸・四の郭)、御馬屋(,二の丸内の屋敷は二軒(杉山家・白取家)を除いて
空き屋敷
(五軒)となっている。,三の丸では二軒増の七一軒(うち
空き屋敷
三軒)、四の郭では三軒増の五一軒(うち
空き屋敷
一軒)となっていて,城下の侍町には召し放ちによって多くの
空き屋敷
が生じた。
通史編3(近世2)
(宝暦期の城下)
その結果、城下の武家屋敷に大量の
空き屋敷
が生じ、城内の家臣たちがこれらの
空き屋敷
に移住を命じられたのである
通史編2(近世1)
(寛延の飢饉)
七、八月には米価も高騰して乞食が出て
空き屋敷
が目立つようになり、特に青森や海辺・下在新田通(現五所川原市
通史編3(近世2)
(寛政期の城下)
それは藩士土着政策(「在宅」政策)により、武家地に多量の
空き屋敷
が生じたことである。
通史編3(近世2)
((二)相撲興行)
川原や
空き屋敷
で催されてきた相撲が、幕末には普光寺(ふこうじ)境内が使われるようになった。
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