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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(窮民対策)
窮民
対策 八月十日ころから、人々は蕨(わらび)の根を掘って飢えをしのぎ(同前No.八五五)、さらに、,十月十日、弘前・青森・鰺ヶ沢・十三に小屋を設置して
窮民
を収容し、在では一組ごとに目付を置いて御救を実施 /
窮民
対策
通史編4(近・現代1)
(大凶作下の農村)
しかし、りんご、蔬菜もこの年は例年の価格の半分程度であり、そのため、農家をはじめ多数の
窮民
が生み出された,により土木工事を中心に道路の砂利敷、川底の浚渫(しゅんせつ)、川筋の変更、道路の改修などを行い、凶作
窮民
,出稼ぎも急増し、凶作
窮民
の食糧は悲惨を極め、玄米、南瓜(かぼちゃ)、馬鈴薯(ばれいしょ)、大根の乾菜に,写真170
窮民
救済事業団によるりんご販売 (大正2年~3年) 例えば、高杉村糠坪(現弘前市,また、
窮民
救済のため河川の砂利採取などの土木事業が冬季間に行われたが、学校を終えてから、少年たちが雪混
通史編5(近・現代2)
(連続する災害と東北振興政策)
払下げと配給、冬期の副業奨励、代用食の奨励、小作紛議防止委員会の設置など、指示事項の大半は凶作対策と
窮民
救済策,方面委員は
窮民
救済や社会福利の増進など、今日でいう福祉事業に携わる団体であった。,
窮民
の宿泊所を建設することに対し、市当局は各地の有識者を歴訪したが、計画に賛成しても寄付金に応じる者は
通史編2(近世1)
(「今日唯今」の重視)
其身ノ修マル極ヲ待テ、而シテ天下治平ノ事ニカカルベシト云……然ラバ人君人臣未ダ身修マラザル内ハ今日唯今
窮民
,「
窮民
」、すなわち飢饉の惨状を目の前にして、猶予は一刻たりとも許されなかったのである。
通史編3(近世2)
(非人小屋の設置と餓死者の処理)
このような惨状に、翌九年春には、
窮民
の盗賊が横行し、藩では盗賊改奉行(とうぞくあらためぶぎょう)を設けたほどである
通史編2(近世1)
(耕作地の放棄と荒廃田)
飢饉下において、藩が十分な
窮民
対策を行えないと判断すると、人々は生き残りをかけて食料のありそうな所へ逃
通史編2(近世1)
(消極的な藩の救済策)
天保七年の凶作では、御救米を一人当たり籾で三合を支給したが、「
窮民
への対応は藩では行われず、組ごとに代官
通史編4(近・現代1)
(細民救済対策事業)
結局電灯会社出資金は見送られ、大正三年度弘前市凶荒及び
窮民
救済資金は三〇九一円七二銭三厘となった。
通史編4(近・現代1)
(旧藩体制改革への動き)
社会掛は、郡村で貯穀などを行い、凶年に
窮民
を救助し、夫食(ぶじき)、種籾を貸与する。
通史編2(近世1)
(開発の実行者たち)
たとえば、『津軽興業誌』によれば浅瀬石村の鳴海久兵衛は農業に精励し
窮民
を救った功で、享和二年(一八〇二
通史編2(近世1)
(飢饉への対応)
ごうし)原庄右衛門は九月十日に金四〇〇両を代金に米四〇〇石を買い上げ、平井・五所川原・喰川・柏原村の
窮民
通史編2(近世1)
(飢饉への対策)
国元仕送制度自体、藩内での米の買い入れについて豪商・豪農層の負担に依拠していたが、翌宝暦六年に
窮民
扶助
通史編4(近・現代1)
(弘前市経済改善への提言)
明治十三年(一八八〇)は、西南戦争後のインフレーションのピークの時期であり、周辺農村の繁栄と、弘前市内での
窮民
通史編4(近・現代1)
(津軽産業会の活動)
ふことを厳禁すべきは勿論驕りケ間敷酒宴等は一切相催せす若し交際上右の費を支出する場合ありとせば断じて
窮民
救助費
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