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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (第一大成小学校病弱児学級)

第一大成小学校病弱児学級 昭和四十九年四月十八日、第一大成小学校に病弱児を対象とする特殊学級が開設された / 第一大成小学校病弱児学級
通史編5(近・現代2) (富田大火と第一・第二大成小学校の焼失)

この大火によって第一大成小学校、第二大成小学校の二校が同時に焼失した。,そのため、第一大成小学校は四月二十三日から和徳小学校に移って、二部授業を行うことになり、午前は和徳校児童,けていては教育上問題があるというので、市は蔵主町角(現NHK弘前支局敷地)にある旧弘前市公会堂を修理して、第一大成小学校仮校舎,焼失の両校とも直ちに再建されることになり、第一大成小学校は経費八万四七〇〇円をもって、木造二階建てモルタル
通史編5(近・現代2) (第三大成小学校の創設)

小学校に入学した昭和二十七、八年当時、第一大成・第二大成小学校の両校は急激な児童増加に校舎狭隘を告げ、第一大成小学校,それでも児童数は増加する一方で、昭和二十九年四月には第一大成小学校は一八九八人、第二大成小学校は一八四六人,とピークに達し、第一大成小学校では二部授業を余儀なくされた。  
通史編5(近・現代2) (弘前幼稚園類焼)

弘前幼稚園類焼 昭和三年(一九二八)四月十八日、弘前幼稚園はいわゆる「富田の大火」で第一大成小学校とともに,建築場所はこれまでと反対の第一大成小学校の西側とし、同校とは廊下で結ばれていた。
通史編5(近・現代2) (富田小学校の弘前移管と焼失)

富田小学校は、焼け残った体操場を仕切って教室として二部授業を続け、四年一月四学級を第一大成小学校に収容,児童は第一大成小学校、第二大成小学校、朝陽小学校の三校に分散、編入学させた。
通史編5(近・現代2) (第一、第二大成小学校の統合)

化現象と少子化の影響により、弘前市内各小学校は就学児童数の減少を来したが、その中でも特に減少が著しいのは第一大成小学校,全校児童を見て「子ども達に勢いが感じられない」「これでは運動会にマスゲームもできない」という父母の声が、第一大成小学校,弘前市御幸町一三番地一、旧第二大成小学校跡地に新築することにしたが、新校舎落成まで土手町一五四の一旧第一大成小学校校舎
通史編4(近・現代1) (第一回少年野球大会)

決勝戦は、十三日午後二時半から第二大成小学校校庭において、第一大成小学校と城西小学校によって争われた。,第一大成二回に三点、四回に六点、七回に二点を入れ、城西三回に一点、六回に一点、七回に二点入れるも、一一対四で第一大成小学校
通史編1(自然・原始) (原ヶ平面)

軽石質砂層の底面は城南から第一大成小学校にかけて一〇〇〇分の八~一〇と緩やかな傾斜をもち地表面の勾配とほぼ,ボーリング資料によると、第一大成小学校⑬(三八メートル)・和徳小学校(三三メートル)では、地表下五メートル
通史編5(近・現代2) (東小学校の創立)

同校は城東地区の市街化に伴い、これまでの学区を変更して和徳小学校、豊田小学校、第一大成小学校からの四三二人
通史編5(近・現代2) (紀元二千六百年奉祝)

理科教育設備拡充に児童保護者会が千数百円を投じ、和徳小学校は学校放送設備一式を学区内有志から贈呈され、第一大成小学校
通史編4(近・現代1) (大成小学校創設)

新校舎は、在来の三校の中央位置というので土手町一五七番地(旧第一大成小学校敷地、現在は一五四番地一)に
通史編5(近・現代2) (日華事変勃発)

同日夜、予備兵・補充兵に動員令が発せられ、それら応召兵を収容するため、軍は和徳小学校や第一大成小学校に
通史編5(近・現代2) (学校給食の開始)

第一大成小学校では同年十二月、予算二四万五〇〇〇円をもって給食調理室を建設し、給食施設優秀校として県から
通史編4(近・現代1) (特別大演習と天皇の弘前行幸)

また、鹵簿御順路に当たる第一大成小学校は自校正門前で、第二大成小学校は松森町で奉迎した。  
通史編4(近・現代1) (弘前市立弘前幼稚園)

を記念して幼稚園の設立を計画、当時第一大成尋常小学校長たりし本多末四郎、同訓導石戸谷軍三郎と協議し、第一大成小学校
通史編5(近・現代2) (秩父宮の歩兵第三一連隊赴任)

仙台放送局では宮を迎えた弘前市民のために、第一大成小学校に拡声器を備え付けたりもした。
通史編5(近・現代2) ([口絵])

影 口絵6 昭和二年和徳大火(久一呉服店土蔵の前) 口絵7 昭和三年富田大火(第一大成小学校焼跡
通史編5(近・現代2) (藤森市政の財政)

四十三年度には第一大成小学校の通学路に横断歩道橋、和徳小学校の通学路の一部に歩道が設置された。
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