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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(歩兵第三一連隊移転問題)
歩兵
第三一連隊
移転問題 昭和四年(一九二九)六月、盛岡市では歩兵
第三一連隊
の移転を求める決議をなし、,青森県にはこのほかに
第三一連隊
があるので、岩手県は連隊の移転を強く希望していたのである。 / 歩兵
第三一連隊
移転問題
通史編4(近・現代1)
(歩兵第三一連隊の移転問題)
歩兵
第三一連隊
の移転問題 歩兵
第三一連隊
は岩手県出身の兵士によって編成されていた。 / 歩兵
第三一連隊
の移転問題
通史編5(近・現代2)
(秩父宮の歩兵第三一連隊赴任)
秩父宮の歩兵
第三一連隊
赴任 昭和十年(一九三五)八月十日、秩父宮は歩兵
第三一連隊
の大隊長として着任し / 秩父宮の歩兵
第三一連隊
赴任
通史編4(近・現代1)
(第三一連隊の壮挙とその後)
第三一連隊
の壮挙とその後 三一連隊のその後については、高木の研究をはじめ近年数多く世に紹介されている /
第三一連隊
の壮挙とその後
通史編5(近・現代2)
(對馬勝雄のノート)
對馬勝雄のノート 昭和六年七月、弘前
第三一連隊
の對馬勝雄少尉は「現下日本ノ国状ニ対スル観察」をノート
通史編5(近・現代2)
(弘前市にとっての第八師団)
有名な雪中行軍の悲劇を経験した第五連隊と
第三一連隊
を管下に置き、日露戦争での活躍ぶりから「国宝師団」とも,だからこそ管下の
第三一連隊
が岩手県の盛岡市に移転するのではないかという話が持ち上がった際、市民は反対運動
通史編5(近・現代2)
(秩父宮殿下の御来弘)
秩父宮殿下の御来弘 秩父宮雍仁(やすひと)親王殿下には陸軍歩兵少佐に御昇任と同時に、弘前歩兵
第三一連隊
大隊長
通史編5(近・現代2)
(昭和初期の弘前高女)
弘前歩兵
第三一連隊
大隊長として秩父宮殿下が赴任した年には、妃殿下も弘前へ来られ、弘高女の視察をされたこともあり
通史編5(近・現代2)
(本県スキーの父・油川貞策)
当時、
第三一連隊
の中隊長だった油川は、「本日の演習は大鰐町あじゃら山方面」と号令をかけ、毎日のように演習
通史編5(近・現代2)
(桔梗野小学校の創立)
市はその校地として、桔梗野の旧歩兵
第三一連隊
跡地を決定し、昭和二十三年十一月十日地鎮祭を挙行した。
通史編5(近・現代2)
(時敏小学校焼失)
市当局は二部授業により学力の落ちることを心配してこれが解消に努め、仙台税務監督局に旧歩兵
第三一連隊
兵舎
通史編5(近・現代2)
(敗戦時の郷土部隊)
弘前を編制地とする部隊では、もっとも古い歩兵
第三一連隊
がある。
通史編5(近・現代2)
(独立校舎への夢)
第三中学校は、昭和二十三年四月、市立高女と同居していた曙町の旧
第三一連隊
兵舎から、富田町安原(現豊原一丁目
通史編5(近・現代2)
(新制中学校の開校式)
すべては、出発したあとに考える」という状態であったのはどこも同じだが、曙町(現桔梗野三丁目)にあった旧
第三一連隊
兵舎
通史編4(近・現代1)
(第八師団の実状)
そのため歩兵第五連隊と
第三一連隊
は、師団設置以来たびたび雪中行軍演習を実施してきた。
通史編5(近・現代2)
([付図])
7 和徳小学校における欠食児童救済のための学校給食〈昭和7年〉 8 秩父宮 歩兵
第三一連隊
通史編4(近・現代1)
(軍縮と歩兵第五二連隊の廃止)
軍都弘前市には歩兵
第三一連隊
もあり、同一の市に二つの連隊がある以上、軍縮のあおりは避けられなかった。
通史編5(近・現代2)
(市立商業高校と市立女子高校)
戦災に遭った青森師範学校を受け入れるために山道町の旧家政女学校校舎へ移され、さらに翌年、桔梗野の旧歩兵
第三一連隊
跡
通史編4(近・現代1)
(ロシア戦への意識と第八師団の設置)
第四旅団は青森の歩兵第五連隊と弘前の歩兵
第三一連隊
から編制された。
通史編5(近・現代2)
(野村三郎と五・一五事件)
入校、昭和三年三月同校を卒業し、四月一日陸軍士官学校予科入校、昭和五年三月卒業、士官候補生として歩兵
第三一連隊
通史編5(近・現代2)
(弘前南高校の誕生)
開校時の校舎は、
第三一連隊
の兵舎を旧清水中学校が改修して使用していた建物であった。
通史編5(近・現代2)
(大火と上水道設備の向上)
市の消防隊が鎮火に努めたが間に合わず、急を知った第八師団司令部は歩兵
第三一連隊
をはじめ、弘前市在住の部隊全員
通史編4(近・現代1)
([口絵])
の開設を祝う住民(師団司令部前で) 口絵23 野砲兵第八連隊営門 口絵24 歩兵
第三一連隊
営門
通史編4(近・現代1)
(二つの雪中行軍)
第八師団には第五連隊と
第三一連隊
という二つの部隊があり、これまで双方の連隊は何らかの形で雪中行軍の作戦
通史編5(近・現代2)
(弘前実科高等女学校の変遷)
市内各校に分散して、二部授業などで対応したが、女子実業は第二大成尋常小学校や桔梗野にあった旧歩兵
第三一連隊
兵舎
通史編4(近・現代1)
(『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記)
この幻となっていた『東奥日報』には、
第三一連隊
に従軍していた東奥日報社の記者・東海勇三郎が行軍記を記しているのである,
第三一連隊
唯一の負傷者となった伍長は、このときに帰営を命じられている。
通史編4(近・現代1)
([付図])
23 弘前市立病院開院〈明治34年〉 24 八甲田山雪中行軍に成功した弘前歩兵
第三一連隊
通史編4(近・現代1)
(地域と軍隊の密接化)
弘前市にはすでに
第三一連隊
があったが、日露戦後の軍備増強策として連隊を新設したわけである。
通史編5(近・現代2)
(郁田流箏曲(いくたりゅうそうきょく))
小説の主人公の弟は弘前の第八師団、
第三一連隊
に配属されて、下宿先の士族の家の娘に箏曲を習ったという設定
通史編4(近・現代1)
(盗伐問題と師団の設置)
旧堀越村)には野砲兵第八連隊(現弘前第三中学校)、騎兵第八連隊(現住宅地)、同西側(旧千年村)に歩兵
第三一連隊
通史編5(近・現代2)
(連続する災害と東北振興政策)
富田桔梗野の旧歩兵
第三一連隊
跡附近に慈善家の工藤定一が、昭和七年八月から九月にかけて建てた弘前無料宿泊所
通史編4(近・現代1)
(新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)
…… 270 二 第八師団の誕生 ……………………………………………… 277 三 歩兵
第三一連隊
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