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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (第五十九国立銀行の創設)

国立銀行創立願 私共、申合、明治九年八月中御頒布相成候国立銀行条例を遵奉し、青森県管下第三大区一小区陸奥国津軽郡弘前本町一番地,何卒願意至急御聞届相成候様御執達被成下度、此段奉願候也  明治十一年一月〔二十五日〕 青森県士族 第三大区一小区陸奥国津軽郡徒町川端町十五番, 横島彦八 印 青森県士族 第三大区一小区陸奥国津軽郡徳田町九番    蒲田昌清 印 青森県士族,第三大区一小区陸奥国津軽郡相良町二十七番  松野幹  印 青森県士族 第三大区一小区陸奥国津軽郡若党町百一番,   芹川高正 印 青森県士族 第三大区二小区陸奥国津軽郡富田村三番   大道寺繁禎 印          
通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

現弘前市は、津軽郡第三大区と津軽郡第二大区一〇小区の一部で構成されている。,写真5 第三大区初代区長 大道寺繁禎 津軽郡第三大区 一小区 弘前町(八九ヵ町) 本町 上白銀丁,薬師堂村 吹上村 高畑村 森山村 三ッ目内村 居土村  弘前町で、戸籍区第二〇区の町名と大区小区制の第三大区一小区
通史編4(近・現代1) (最初の県会)

二月十日に公選された名望人県会議員は各大区から一人だが、現在の弘前地域(第三大区)で一番札は山田登、二番札,同じ第三大区のだれかと交代したのだろう。
通史編4(近・現代1) (弘前における国立銀行設立計画)

32,108,880円 前掲『第五十九銀行六十五年史』上  弘前においては、明治九年十二月に青森県令山田秀典から第三大区長大道寺繁禎,そこで大道寺区長、蒲田(かつぎた)副区長らは第三大区区務所へ弘前各町用係および総代を集め、銀行設立について
通史編5(近・現代2) (紅緑の少年時代)

明治七年、青森県第三大区一小区(現弘前市親方町)に父・弥六、母・支那の次男として生まれる。
通史編4(近・現代1) (郡区町村編制法への移行)

写真6 中津軽郡初代郡長 笹森儀助  この郡区町村編制法によって、第三大区一小区から六小区は中津軽郡
通史編4(近・現代1) (神官僧侶会議での県の方針の伝達)

また、弘前を含む第三大区の証券印紙売捌人は次のように決定された。
通史編4(近・現代1) (町村合併と弘前市制施行)

弘前市の町名八九は第三大区一小区と同一である。
通史編4(近・現代1) (旧藩体制改革への動き)

明治六年に大区小区制が実施され、弘前は第三大区に組み入れられたが、それ以前の行政は、県が中心になって行
通史編4(近・現代1) (明治二十年度予算審議)

明治十年にこの土地を借りたのは、廃藩後の弘前発展のため蒲田昌清第三大区長のもと弘前全町惣代-町家は白崎源蔵
通史編4(近・現代1) (県政初期の混乱)

元家老の第三大区長大道寺繁禎も戸長も辞職を願い出た。
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