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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (第二大成小学校の焼失)

第二大成小学校の焼失 大正六年五月十八日、清水村富田(現弘前市富田一丁目)の民家から出火、大火となり,、第二大成小学校が焼失した。,出火は午後零時十五分、折からの強風に品川町に延焼し、第二大成小学校は午後一時半焼失した。,焼失後、第二大成小学校は第一大成校と和徳校を借りて二部授業を行った。,第二大成小学校の新校舎は同年の十月に着手、翌七年一月には新校舎で授業を開始した。 / 第二大成小学校の焼失
通史編5(近・現代2) (第一、第二大成小学校の統合)

第一、第二大成小学校の統合 都市のドーナツ化現象と少子化の影響により、弘前市内各小学校は就学児童数の,減少を来したが、その中でも特に減少が著しいのは第一大成小学校と第二大成小学校であった。,表51 第一、第二大成小学校児童数の推移   第一大成 第二大成 平成元 289人 (13) 389人,137人 (7) 217人 (9) 14 統合341人(14) ( )内の数字は学級数  第一・第二大成小学校,また市教委が「学校規模適正委員会」に、第一・第二大成小学校の統合を諮問したのは平成二年(一九九一)、適正委員会 / 第一、第二大成小学校の統合
通史編5(近・現代2) (富田大火と第一・第二大成小学校の焼失)

富田大火と第一・第二大成小学校の焼失 昭和三年(一九二八)四月十八日午前十一時四十分、市内富田師団通,この大火によって第一大成小学校、第二大成小学校の二校が同時に焼失した。,第二大成小学校は三年生以上を朝陽小学校へ、二年生以下を富田小学校(昭和三年四月から弘前市移管)へ収容、,一方、第二大成小学校再建については市会で種々論議され、結局弘前最初の鉄筋コンクリート造三階建て校舎が建築,写真50 県下初の鉄筋コンクリート造であった第二大成小学校(昭和5年) / 富田大火と第一・第二大成小学校の焼失
通史編5(近・現代2) (ことばの教室開設)

センターとして、青森市に設置しようとしたが、言語障害児童指導専門の手塚敏教諭の意見を聴取して、弘前市立第二大成小学校,専門家の助言が必要であり、その点弘前大学教育学部、同医学部がある弘前市が最適であり、付近に医師の多い第二大成小学校,言語障害学級担当教員として、第二大成小学校に手塚敏教諭と三浦充子教諭が着任、開設準備に取りかかった。,それを受けて第二大成小学校「ことばの教室」は、四十二年十二月、県下を対象に最初の「ことばの治療室」を開設
通史編5(近・現代2) (県下最初の養護学級新設)

県下最初の養護学級新設 昭和二十三年四月、第二大成小学校と和徳小学校に養護学級が新設された。,健康の増進を図るために、身体検査を行い、適当な衛生養護の施設を設けなければならない」と規定されていて、第二大成小学校,第二大成小学校養護学級は小体操場屋上に設けられ、教室と畳敷きの休憩室に分けられた明るい部屋であった。
通史編5(近・現代2) (第三大成小学校の創設)

戦後に生まれた児童が小学校に入学した昭和二十七、八年当時、第一大成・第二大成小学校の両校は急激な児童増加,一方、第二大成小学校も昭和二十六年二教室、二十八年に三教室増築した。,それでも児童数は増加する一方で、昭和二十九年四月には第一大成小学校は一八九八人、第二大成小学校は一八四六人,しかし、第一期工事が未完成のため、第二大成小学校で二部授業を行った。
通史編4(近・現代1) (第一回少年野球大会)

大日本少年野球協会弘前支部主催の第一回大会は十一年十月二日から五日間にわたって、第二大成小学校校庭を会場,は、朝陽対時敏、城西対富田(清水村富田小学校)の二試合が行われたが、少年野球の人気ものすごく、会場の第二大成小学校校庭,決勝戦は、十三日午後二時半から第二大成小学校校庭において、第一大成小学校と城西小学校によって争われた。
通史編4(近・現代1) (特別大演習と天皇の弘前行幸)

また、鹵簿御順路に当たる第一大成小学校は自校正門前で、第二大成小学校は松森町で奉迎した。  ,和徳、第一大成、第二大成小学校は兵士宿舎用に使用され、軍隊に使用されなかった小学校は、大演習見学にやって
通史編5(近・現代2) (第二回社会教育大会)

弘前では五月二十九日から三日間にわたり、第二大成小学校を会場に開かれ、出席者一三〇〇人を超える盛況を示
通史編5(近・現代2) (富田小学校の弘前移管と焼失)

児童は第一大成小学校、第二大成小学校、朝陽小学校の三校に分散、編入学させた。
通史編5(近・現代2) (きこえの教室設置)

そのような理由から第二大成小学校は難聴学級の開設を計画し、四十四年十月その計画書を市および県教育委員会
通史編3(近世2) (新楮町の取り立て)

品川町の南裏一帯、元第二大成小学校敷地を含め、東は釡萢堰(かまやちせき)までの地域(現市内御幸町)に新楮町
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