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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (第五十九銀行の復活)

第五十九銀行の復活 三週間の休業を発表したのち、第五十九銀行の復活へ向けた経営努力が開始される。,それと同時に、西田の後援者である前朝鮮銀行総裁美濃部俊吉が相談役となり、中央における第五十九銀行の顔役 / 第五十九銀行の復活
通史編5(近・現代2) (弘前銀行と第五十九銀行の休業)

弘前銀行と第五十九銀行の休業 昭和六年(一九三一)十月中旬、第五十九銀行で大蔵省の銀行検査が行われた,だが、金融機関に対する信用不安が蔓延するなか、この事件が県下の親銀行である第五十九銀行内で起きたことは,弘前銀行の休業は、遂に県下の親銀行たる第五十九銀行に影響を及ぼし、二十四日、行員の帰宅後徹宵重役会を開,そうなると、預金者は第五十九銀行も支払準備金が不足していると推測し、連鎖的取り付けが発生した。,けで、第五十九銀行頭取宇野勇作は休業に至った原因について、大蔵大臣井上準之助宛に次のような報告書を提出 / 弘前銀行と第五十九銀行の休業
通史編4(近・現代1) (第五十九銀行の大増資)

第五十九銀行の大増資 大戦景気によりわが国経済界は増資ブームが起こるが、地方では中央に比べ、少し遅れて,その中でも、資本金を二八五万円から一挙に一〇〇〇万円という大増資を敢行した第五十九銀行は注目された。 / 第五十九銀行の大増資
通史編4(近・現代1) (第五十九銀行と黒石銀行・弘前銀行の合併)

第五十九銀行と黒石銀行・弘前銀行の合併 第五十九銀行は大正八年(一九一九)七月二十五日、黒石銀行を合併,合併仮契約書 株式会社第五十九銀行(以下甲と称す)と、株式会社黒石銀行(以下乙と称す)と合併する目的,の大増資計画を知り、他の黒石銀行の株主らに諮り、黒石銀行への投資を第五十九銀行に切り換えたと考えられる,これは、第五十九銀行の増資が完了した大正九年上期末、加藤が筆頭株主である佐々木嘉太郎の七二二四株に次ぐ,また、黒石銀行と同じく、第五十九銀行の大増資の見込みや大蔵省の合併奨励により合併に踏み切ったと考えられる / 第五十九銀行と黒石銀行・弘前銀行の合併
通史編4(近・現代1) (第五十九銀行の営業状況)

第五十九銀行の営業状況 普通銀行転換前後における第五十九銀行の営業状況も、『当銀行誌材料書類』に記録 / 第五十九銀行の営業状況
通史編5(近・現代2) (青森銀行の誕生)

に対する極度の反感と第五十九銀行に対する対抗意識を超えた敵対意識を抱いており、合併の条件として第五十九銀行専務,の引退と新銀行が第五十九銀行主導で運営されないことを提示し、交渉は難航した(資料近・現代2No.二〇一,写真39 戦時下の第五十九銀行  十八年になると大蔵省は再び合併を勧めるため、県下各行に対して出省,取締役頭取 佐々木嘉太郎(前第五十九銀行頭取) 専務取締役 林崎浩太郎(前日本銀行本店証券課長),安田才助(前第五十九銀行監査役・板柳銀行取締役) 監査役   藤林源右衛門(前青森銀行取締役) 同
通史編5(近・現代2) (県内銀行合併の推進)

合併の勧奨は、同年五月と七月に第五十九銀行の大原専務が大蔵省に出省し、意見聴取を受けてからで、その後、,大蔵省と第五十九銀行が中心となって県下各行との折衝が行われたと考えられる。,十三年、第五十九銀行は三戸銀行を買収合併。,第五十九銀行はその直後の同年八月に金木銀行を買収合併。,十五年、第五十九銀行は尾上銀行を買収合併。
通史編4(近・現代1) (主要銀行の景況)

主要銀行の景況 第五十九銀行は、大正十四年(一九二五)時点で資本金一〇〇万円を持つ東北諸県で最大の銀行,同年の第五十九銀行の貸し付けについては、荷為替による貸し付けの増加が顕著であり、比較的安全かつ利益の多,表54 第五十九銀行貸付金担保種類別 (大正13年12月31日現在) 種 類 評価額(円) 貸出高(円,明治十五年(一八八二)設立の弘前進新銀行が名称変更を行った銀行として存在したが、大正八年(一九一九)に第五十九銀行
通史編5(近・現代2) (弘前銀行の解散)

一段落した昭和九年になってから再建を目指すが、すでに大蔵省は昭和八年の段階で弘前銀行に見切りをつけ、第五十九銀行,第五十九銀行による整理は昭和十一年から始まり、弘前銀行は昭和十三年九月十三日に営業満了を迎えると営業継続
通史編4(近・現代1) (第五十九国立銀行の普通銀行への転換)

次の史料は、第五十九銀行が明治末に作成した『当銀行誌材料書類』に記録されている、普通銀行転換に際して明治三十年五月二日,国立銀行営業満期前特別処分法によって、営業満期の明治三十二年を待たず、三十年九月一日、資本金七十万円の株式会社第五十九銀行,写真94 第五十九銀行本店
通史編5(近・現代2) (後藤健次の手紙)

大正十五年三月、日本大学を卒業と同時に第五十九銀行に入社。四月、詩誌「北方詩風」を創刊する。
通史編5(近・現代2) (県債五〇〇万円の成立)

県債五〇〇万円の成立 県内の財界・政界は、第五十九銀行の休業により深刻化した金融危機打開に向け一斉に,は大正二年以来の大凶作に際回し、農民は食ふに食なく、加ふるに本県下に於ける最大の資本を擁する株式会社第五十九銀行,資金調達を潤すことになるが、表11のように、五〇〇万円のうち三八〇万円余り、配分率にして七六・三%が第五十九銀行,それは、県下における金融界の安定には、県下の親銀行たる第五十九銀行の復活がなければありえなかったという
通史編4(近・現代1) (会社企業の増加)

弘前商業銀行、宮川銀行の頭取を務め、宮川呉服店、弘前無尽株式会社、大黒倉庫株式会社の社長を兼務するほか、第五十九銀行
通史編4(近・現代1) (弘前における国立銀行設立計画)

ったため、政府は国立銀行の設立を制限し、京都の第百五十三国立銀行を最後に設立許可を打ち切った(西田亮『第五十九銀行六十五年史,775,000円 556,000円 計 153 37,726,100円 32,108,880円 前掲『第五十九銀行六十五年史
通史編5(近・現代2) (凶作と小作争議)

小作争議 本県に恐慌の影響が本格的に現れるのは昭和五年末からで、ついに昭和六年、凶作の不安や不祥事で第五十九銀行
通史編4(近・現代1) (開業時の状況)

写真30 第五十九銀行設立当時の発行紙幣
通史編4(近・現代1) (洋風建築と蔵造り)

三十三年に第五十九銀行本店(現青森銀行記念館)、三十五年には弘前市立病院(明治三十四年設立。
通史編5(近・現代2) (建築近代化への立ち後れ)

また、商店建築においても、明治十二年(一八七九)に創立された国立第五十九銀行、二十年代(一八八七~九六
通史編5(近・現代2) (棟梁・堀江佐吉)

また、明治三十五年(一九〇二)から三年をかけて第五十九銀行(現青森銀行記念館)を建築し、その意匠及び構造,当初は、木造二階建て、建坪二〇坪程度の予定で図面も引かれていたが、設計施工を任された佐吉は、第五十九銀行本店竣工直後
通史編4(近・現代1) (第五十九国立銀行の創設)

らかにした「国立銀行創立社中申合規則」(資料近・現代1No.二一一)を作成し、株主の募集を始めた(前掲『第五十九銀行六十五年史,                           大道寺繁禎  第一、二、四、五大区並三大区各小区区務所宛 (前掲『第五十九銀行六十五年史
通史編4(近・現代1) (弘前商業会議所の活動)

初代の会頭は第五十九銀行の頭取であった岩淵惟一、副会頭は呉服太物商の宮川久一郎であった。,また、設立時の事務所は第五十九銀行内に置かれた。
通史編4(近・現代1) (日清戦争後の会社、銀行と工業生産)

木綿製造及販売 2,000 3 同 米穀合資会社 同    浜ノ町 穀物販売 2,000 5 株式会社 株式会社第五十九銀行
通史編4(近・現代1) (シベリア出兵と反戦デモ)

七年の状況を第五十九銀行の報告書は「米価ノ騰勢殆ト底止スルナク(中略)藁工品ハ(中略)輸出敢テ好況ナラスト
通史編4(近・現代1) (県下銀行の発展と金融都市弘前)

明治二十五年には第五十九国立銀行(明治三十年、株式会社第五十九銀行に改称)、第百五十国立銀行、階上銀行,61 同    三戸銀行 31.11 同  三戸町 50,000 50,000 106 同    第五十九銀行
通史編5(近・現代2) (和徳村との合併問題)

市役所や警察署、第五十九銀行など、主要な官公庁施設も城の近くにあった。
通史編5(近・現代2) (東門会の佐藤正三)

昭和七年五月十五日 叔父(第五十九銀行勤務)は日曜なのに銀行へ、叔母、母は神様へ、敏彦と僕とが留守。
通史編4(近・現代1) (家禄制度改革)

一つの調査によれば、明治九年に旧弘前藩士が下賜された金禄公債の総額は一四五万六一〇円、そのうち第五十九銀行
通史編5(近・現代2) (見直したい弘前市の記録)

青森銀行は当初第五十九銀行だったが、その建物は現在青森銀行記念館として残っている。
通史編5(近・現代2) (弘前無尽会社の相互銀行への転換)

画したものとして、一般の歓迎を受けている(後略) (資料近・現代2No.四〇三)  昭和十八年、第五十九銀行
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