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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (第五連隊との遭遇)

第五連隊との遭遇 近年、三一連隊の雪中行軍に関する資料が多数発見されている。,この事実は当時の陸軍当局がまとめた公文書の記録から判明したものである(『歩兵第五連隊雪中行軍遭難に関する / 第五連隊との遭遇
通史編4(近・現代1) (第八師団の実状)

有名な歩兵第五連隊の雪中行軍遭難事件も、寒冷地にある師団の作戦遂行上から生じた悲劇だった。,そのため歩兵第五連隊と第三一連隊は、師団設置以来たびたび雪中行軍演習を実施してきた。
通史編4(近・現代1) (日清戦争と郷土部隊の出征)

青森県の郷土部隊である第五連隊も仙台に召集され、大本営が設置された広島に移動していった。  ,当時、弘前市出身の兵は青森町にある歩兵第五連隊に入営していた。,第四旅団が第五連隊に本部を設置していたからである。
通史編5(近・現代2) (佐藤正三と二・二六事件)

青森駅を発つとき、第五連隊の末松太平中尉が見送った。,第五連隊の末松大尉に会ったり、淡谷悠蔵に会ったり、秋田市の東北愛国団体連合会に出席したり、行動が激しくなった,まず、第五連隊の末松大尉を訪ねた。しかし、事態は蹶起側に不利に動いていた。佐藤の使命は失敗した。
通史編4(近・現代1) (二つの雪中行軍)

第八師団には第五連隊と第三一連隊という二つの部隊があり、これまで双方の連隊は何らかの形で雪中行軍の作戦,歴史のなかで「雪中行軍」といえば、明治三十五年(一九〇二)の一月から二月にかけて、第五連隊が厳冬期の八甲田山
通史編4(近・現代1) (軍都以前の弘前市)

これが後に歩兵第五連隊になるのである。
通史編4(近・現代1) (ロシア戦への意識と第八師団の設置)

第四旅団は青森の歩兵第五連隊と弘前の歩兵第三一連隊から編制された。
通史編5(近・現代2) (弘前市にとっての第八師団)

有名な雪中行軍の悲劇を経験した第五連隊と第三一連隊を管下に置き、日露戦争での活躍ぶりから「国宝師団」とも
通史編4(近・現代1) ([口絵])

口絵26 輜重兵第八大隊営門 口絵27 兵士たち 口絵28 雪中行軍で遭難した第五連隊
通史編5(近・現代2) (復員・引揚げ対策の開始)

だが第八師団をはじめ、第五連隊も含む各連隊はすでに解散させられていた。
通史編4(近・現代1) ([付図])

醇なる日本人―孫文革命と山田良政・純三郎』プレジデント社(1992年)より転載 24 「青森県衛戍第五連隊第二大隊雪中行軍遭難写真
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