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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (箱館戦争の終結)

箱館戦争の終結 五月十二日より、甲鉄から五稜郭に照準を合わせた激しい砲撃が行われ、政府軍は降伏勧告の,拒絶した旧浦賀奉行(うらがぶぎょう)組与力(よりき)中島三郎助隊への攻撃を開始し、敗走させたが、これが箱館戦争最後,なお、箱館戦争後も弘前藩は、十月二十五日、箱館へ出航させるまで新撰組等の降伏人を預かっている。 / 箱館戦争の終結
通史編3(近世2) ((一)箱館戦争の開始)

(一)箱館戦争の開始 しかし、現実は大方の予想どおりにはいかなかった。,こうして、東北地方における戦争は奥羽朝敵諸藩の降伏で終了したが、休む間もなく箱館戦争に突入することになったのである / (一)箱館戦争の開始
通史編3(近世2) (箱館戦争の開始)

箱館戦争の開始 このとき、上陸を知った箱館府では、派遣されていた福山・大野藩兵と、松前・弘前藩兵、そして / 箱館戦争の開始
通史編3(近世2) (箱館戦争期の兵員補充)

箱館戦争期の兵員補充 春以来領内外の各地に転戦してきた弘前藩兵は、ようやく東北平定とともに弘前に帰陣 / 箱館戦争期の兵員補充
通史編3(近世2) (箱館戦争をみた農民)

箱館戦争をみた農民 弘前市立図書館八木橋文庫所蔵の「晴雨日記」は別名を「万物変易誌(ばんぶつへんいし / 箱館戦争をみた農民
資料編3(近世編2) (第二節 戊辰戦争と弘前)

戊辰戦争と弘前 一 戊辰戦争下の奥羽地方 二 軍制改革の展開 三 庄内出兵と野辺地戦争 四 箱館戦争
通史編3(近世2) (青森商社の設立)

箱館戦争がいまだ終結していなかった明治二年(一八六九)三月、弘前藩は以下のような布令を発した。,この時期は箱館戦争前後で、官軍諸藩の賄(まかな)い方に忙殺(ぼうさつ)されていたころである。,こうして箱館戦争が終結した後、青森商社は本格的に活動を開始したのである。
通史編3(近世2) (藩治職制への対応)

また、同年三月二十日にも人材登用を進める旨の布達が発せられたが(同前明治二年三月二十日条)、箱館戦争の,よって、弘前藩が藩治職制の指令に応えて本格的に藩政改革を断行したのは、箱館戦争が終わった後の明治二年六月十二日
通史編3(近世2) (宮古湾海戦)

熊本藩等の兵が続々と送られ、その他軍夫などを合わせると、最終的には総勢一万二〇〇〇人にものぼる人員が、箱館戦争,箱館戦争は海軍力が勝敗を決する大きな要素であった、といっても過言ではないであろう。
通史編3(近世2) (鳥羽・伏見の戦い)

この日、京都南郊で始まった鳥羽・伏見の戦いは、やがて上野戦争・北越(ほくえつ)戦争・東北戦争・箱館戦争
通史編4(近・現代1) (弘前県から青森県へ)

野田と青森県の結びつきは箱館戦争以来である。,写真3 野田豁道  野田は、箱館戦争の始終から弘前藩の重臣や青森・弘前の富豪らと交渉が深く、県内
通史編3(近世2) (維新期の弘前藩)

鳥羽・伏見の戦いをはじめとする一連の内戦は、翌年の箱館戦争(はこだてせんそう)終結まで続いたが、この内戦
資料編3(近世編2) (【解説】)

時期は幕末の京都守衛に始まって、続く徳川慶喜の大政奉還、明治元年(一八六六)の東北戊辰戦争、翌二年の箱館戦争,これは明治元年三月より開始された弘前藩の軍制改革に関する史料を綴ったもので、箱館戦争の事後処理が完了する,同年は後述するように箱館戦争の終結と戦後の藩政改革にゆれた年であり、加えて夏季の冷涼により大凶作に陥った,して、従来区々としていた藩制を均一化して、藩勢力を自己の統制下に置くために藩政改革を促していたのだが、箱館戦争,箱館戦争が終結して、その戦後処理がいまだに完了していない六月十二日に、弘前藩は一回目の藩政改革を発表した
通史編3(近世2) (戊辰戦争直後の課題)

)についてみると、まず藩主承昭に対して東北戦争の戦功として同六月二日、一万石が永世禄として与えられ、箱館戦争
通史編3(近世2) (新政府からの借財と藩札の発行)

箱館戦争が終結した明治二年(一八六九)五月十八日、東京で渉外活動を行っていた公用人の神東太郎(じんとうたろう,東北・箱館戦争により国元では米金融通の途が尽き果ててしまった。
通史編5(近・現代2) (伊東梅軒)

秋田藩と盛岡藩の戦端が開かれたので藩境碇ヶ関町奉行助(すけ)として赴任、盛岡藩降伏後、十月十一日改めて箱館戦争,の前線基地今別に着任、明治二年の箱館戦争に対拠した。
通史編4(近・現代1) (県政初期の混乱)

箱館戦争の際に兵站(へいたん)基地となった青森は急激に発展し、物価は上がった。,弘前藩は箱館戦争の戦費に約五〇万両かかり、維新前後に藩札を大量に発行した。
通史編3(近世2) (戦線の北上)

松平定敬らは、やがて榎本武揚(えのもとたけあき)らと合流し、箱館戦争が終了するまで旧幕府軍として行動した
通史編3(近世2) (松前徳広の領内落去)

こうして箱館戦争が始まったが、相次ぐ出兵と官軍の滞陣、戦争の長期化で、既に弘前藩の国力は限界に近づいていた,ではないかという疑いをかけられた弘前藩にとっては、野辺地(のへじ)戦争の敗戦がいまだ尾を引いており、箱館戦争
通史編3(近世2) (二等銃隊の補充と特質)

期)の明治元年十月十九日~明治二年六月十二日とは榎本武揚(えのもとたけあき)による箱館奪取から翌年の箱館戦争終了期
通史編3(近世2) (商社の収支実態)

ただ、青森商社が活動を開始した明治二年と翌三年は、前にも述べたとおり、箱館戦争による混乱のため流通経路
通史編3(近世2) (第一次藩政改革と特色)

その内容は、昨春以来の各地派兵や箱館戦争では総督府から感状を賜り、武門の名誉であるが、朝廷が推進している,禄制はより理解しやすくなり、封建的身分制の打破にもつながったといえるのであり、箱館戦争終了からわずか一
通史編3(近世2) (商社の活動内容)

ただ、この年は諸物産は払底(ふってい)していたが、箱館戦争の影響で上方との流通が途絶(とぜつ)しており
通史編3(近世2) (戦局の推移と戦費負担の増加)

した報告書によると、明治元年中から二年四月に至る軍費負担は四九万四九七〇両であり(表18参照)、これに箱館戦争
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

……  185     四 庄内出兵と野辺地戦争 …………………………………  223     五 箱館戦争
資料編3(近世編2) (新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)

  三 庄内出兵と野辺地戦争 …………………………………………………………………  一四六九   四 箱館戦争
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