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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (白石会議)

白石会議 白石周辺ではこのころ、仙台藩と米沢藩が、会津藩と交渉して、同藩の謝罪降伏によって事態を収めようとさらなる,兵力を投入することで新政府の指揮に従う方向をとりつつあったのであるが、会津征討に動いたはずの仙台藩は米沢藩,この結果、会津藩家老名による「嘆願書」と、仙台・米沢藩主連名の「会津藩寛典処分嘆願書」、そして、白石会議
通史編3(近世2) (白石同盟の動き)

その途中で山中は、秋田藩出役桜庭富蔵が帰藩するのに出会い、仙台藩と米沢藩の談合内容に接したのであった。,それは、①庄内征討の件、②会津藩の謹慎と助命嘆願が米沢藩と仙台藩でなされている件、③仙台に山中兵部を派遣
通史編2(近世1) (乏しい国産品)

ばれる役人が郡方あるいは勘定方に配置されていたことは「国日記」等で確認されるが、八戸藩の「御調役所」、米沢藩
通史編2(近世1) (その後の漆栽培奨励策)

新庄藩では安政二年(一八五五)に漆増殖の一五ヵ年計画を打ち出し、米沢藩では漆の一二〇〇万本増殖という過大
通史編3(近世2) (野辺地戦争の開始)

図62.藩境塚  この時、米沢藩と仙台藩はそれぞれ降伏しており、さらに、まさにこの日は会津藩鶴ヶ
通史編3(近世2) (総督軍の集結)

秋田城下明徳館(めいとくかん)に陣を置いた総督府の中では、会津・庄内討伐に加え、仙台・米沢藩ら新たに朝敵
通史編2(近世1) (開国と箱館警備)

堀利煕の蝦夷地警衛構想(安政元年) 警衛担当大名 佐竹義睦(秋田藩) 伊達慶邦(仙台藩) 上杉斉憲(米沢藩,うことになった諸藩の警衛担当区域をみてみると、前年末の堀利煕の上申と大きく異なり、箱館表警衛担当が想定された米沢藩
通史編2(近世1) (漆栽培奨励策の行き詰まり)

西国では漆に代わって安価な櫨蝋(はぜろう)の需要が増しており、会津藩・米沢藩といった古くから漆を特産としていた
通史編3(近世2) (庄内征討命令をめぐって)

閏四月十九日には仙台・米沢藩主が攻口の解兵を九条総督に宣言していたのであった。
通史編3(近世2) (盛岡藩の参戦)

盛岡藩の参戦 こうして、秋田藩を目指して庄内・仙台・米沢藩ら同盟軍が北上を続ける中、今度は盛岡藩が不意
通史編3(近世2) (戦局の展開と兵員の不足化)

奥羽列藩同盟形成を強く主張していた仙台藩や米沢藩、朝敵とされた会津藩や鶴岡藩等は周辺の勤皇諸藩に進攻を
通史編5(近・現代2) (伊東梅軒)

そして、明治元年(一八六八)の戊辰の役では、梅軒は五十三歳の老齢ながら東奔西走、米沢藩、秋田藩への外交交渉
資料編3(近世編2) (【解説】)

当初より勤皇色が強かった秋田藩と、反対に戊辰戦争は薩摩・長州藩の私怨から出たもので、朝敵とされた会津・米沢藩,この戦いで弘前藩は死傷四九名を出して惨敗したが、時に会津・庄内・仙台・米沢藩ら朝敵側は降伏しており、盛岡藩
通史編3(近世2) (鎮撫総督軍の領内通行問題)

閏四月二十三日に上山藩から知らせを受けて、仙台・米沢藩の動きを察知した沢副総督一行は、秋田藩への転陣を
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