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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (米作振興と米騒動)

米作振興と米騒動 大正期にりんごが米に匹敵する生産額を上げるようになるが、農産物の中心はやはり米であった,特に、大正七年(一九一八)七月から九月にかけて起きた米騒動が、社会全体に与えた影響は大きなものがあった,一道三府三九県(青森、岩手、秋田、沖縄を除く)へと広がり、参加者は数百万人を数えたという(労働運動史研究会編『米騒動五十年,米騒動は、全国において米商人や高利貸しが放火、打ち壊しに襲われるなど、当時の社会状況に不満を持つ民衆が / 米作振興と米騒動
通史編4(近・現代1) (シベリア出兵と反戦デモ)

デモ 大正七年(一九一八)、米価が前年の一石当たり一九円八四銭に対し、三二円七五銭に暴騰して、ついに米騒動,昭和の大宰相として有名な吉田茂は、『日本を決定した百年』の中で、古い日本社会の崩壊する象徴として米騒動,このとき、全国四二道府県の中で米騒動が起きなかったのが、青森・秋田・岩手・栃木・沖縄の五県だった。
通史編4(近・現代1) (普選運動の胎動)

普選運動の胎動 普選運動は、大正七年(一九一八)夏の米騒動と原内閣の成立を境に二つの時期に分かれる。,普選運動の後期は、大正七年の米騒動と翌年早々のパリ平和会議の影響で始まる。
通史編4(近・現代1) (第八師団のシベリア派遣)

出兵を決定した寺内正毅内閣が米騒動で倒れ、後を受けた原敬内閣は、シベリア出兵が何ら戦果を挙げられないと
通史編5(近・現代2) (昭和初期の恐慌と冷害凶作)

昭和初期の恐慌と冷害凶作 大正七年(一九一八)の米騒動を契機に、政府は米増産政策をとった。
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