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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (九戸一揆の始まり)

政実は、天正十九年三月十三日の夜、櫛引清長、七戸家国らと同心し、糠部郡の一戸・苫米地(とまべち)・伝法寺,信直は、毎日二〇里、三〇里の間を戦のため駆け巡る状況であり、糠部郡の戦乱の様子は「糠部中錯乱(ぬかのぶちゅうさくらん,九戸一揆が九戸政実や櫛引清長ら国人衆の宗家に対する「逆心(ぎゃくしん)」だけで引き起こされたのではなく、糠部郡中,五月二十八日に上洛、翌二十九日に南部氏の取次である前田利家を仲介として聚楽第(じゅらくだい)の秀吉に会い、糠部郡
通史編2(近世1) (二 肥前名護屋での「日本之つき合」)

二 肥前名護屋での「日本之つき合」 北奥の糠部郡において九戸一揆が鎮圧された直後の天正十九年(一五九一
通史編1(古代・中世) (県下の諸郡)

津軽平賀郡・津軽田舎郡(津軽山辺(やまのべ)郡)・津軽鼻和郡・西浜(にしのはま)・外浜(そとのはま)・糠部郡,また糠部郡は、青森県南部地方全域から岩手県北部にかけての広大な地であった。  
通史編1(古代・中世) (糖部郡での論功行賞)

糖部郡での論功行賞 一方、広大な糠部郡では、陸奧守顕家によって郡奉行と郡検断を併せ持つ検断奉行として
通史編1(古代・中世) (蝦夷沙汰職の行方)

尊氏は、安藤氏の世界である外浜や糠部郡内の北条泰家遺領を与えられ(史料六五五)、本格的に北奥地域の掌握
通史編2(近世1) (三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)

三戸南部氏が、本貫地糠部郡だけではなく津軽地方をも領国内に収めようと一族を配置し、積極的に進出を行っていたのである,この抗争に、櫛引氏・九戸氏・七戸氏らも巻き込まれ、糠部郡は混乱に陥ったのである。
通史編1(古代・中世) (日の本将軍と鎮守府将軍)

その後、外浜・糠部郡を含む十三ヵ所の北条氏遺領を与えられ、尊氏はこれを利用して蝦夷沙汰にも着手している
通史編2(近世1) (九戸一揆の背景)

九戸一揆の背景 戦国末期の北奥の糠部郡(ぬかのぶぐん)は、三戸南部氏を中心とした九戸氏・櫛引(くしひき,(よしはる)の一字を与えられていることからも南部一族の宗家であるという地位は確定していたが、九戸氏は糠部郡
通史編1(古代・中世) (足利尊氏の離反)

尊氏は外浜・糠部郡の北条泰家(やすいえ)遺領を与えられ(史料六五五)、本格的に北奥地域の掌握に取り組んでいたのである
通史編1(古代・中世) (応永十八年の衝突)

つまり、奥州探題体制が及ぶのは、南奥羽から南部氏の本拠である糠部郡までで、夷島・津軽・秋田という地域は
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

図11.浅野長政(長吉)画像  このように、信直の領国糠部郡を含む奥羽の地が奥羽再仕置に深く巻き,きょうちょう)も罷下候、御先手専用意ニ候」(資料近世1No.三九)と記しているように、為信が自分の領地である糠部郡,総大将に任じられ二本松に陣取った豊臣秀次から、仕置奉行の蒲生氏郷・浅野長吉・堀尾吉晴(ほりおよしはる)が糠部郡
通史編2(近世1) (九戸一揆の意義)

また、一揆鎮圧直後の九月十七日、信直は糠部郡五戸の代官であった木村秀勝(ひでかつ)に、代官所廻りの町に
通史編2(近世1) (伏見木幡山城の築城)

.河辺に薪材を積む図 図30.堤を放して薪材を流す図  慶長二年(一五九七)十一月に糠部郡
通史編1(古代・中世) (平泉藤原氏)

といった新たな郡が設けられており、出羽国北部は陸奥国の管轄となって鹿角郡・比内郡が置かれ、青森県東部は糠部郡域
通史編2(近世1) (知行安堵と検地)

説があり、和賀・稗貫は九戸(くのへ)合戦の後に南部信直に与えられたともいう(小林清治「九戸合戦―中世糠部郡
通史編2(近世1) (城破(わ)り)

櫛引清長(くしひききよなが)らとともに、南部信直に敵対するようになっていた(小林前掲「九戸合戦―中世糠部郡
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●正中二年(一三二五)九月十一日、安藤宗季、鼻和郡内諸職・蝦夷の沙汰・糠部郡内諸職を子に譲る。,●建武二年(一三三五)閏十月二十九日、安藤高季に、鼻和郡・糠部郡・西浜等の所領を安堵。
通史編1(古代・中世) (南部晴政の登場と一族間の対立)

写真195 三戸古城の図  晴政の時代、南部氏の勢力拡大は糠部郡より南へと進んだ。
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

(しわ)郡や旧九戸領、和賀・稗貫両郡については知行宛行状を発給していたが、本貫(ほんかん)の地である糠部郡
通史編2(近世1) (伏見滞在と派閥抗争)

慶長二年十一月ころから上洛を果たすべく領国糠部郡を出立した南部信直は、伏見に到着早々八戸氏へ嫁いだ娘千代子宛
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

鎌倉年代記裏書・藤島神社所蔵文書 173 ●正中二年(一三二五)九月十一日、安藤宗季、鼻和郡内諸職・蝦夷の沙汰・糠部郡内諸職,………………………… 南部家文書 199 ●建武二年(一三三五)閏十月二十九日、安藤高季に、鼻和郡・糠部郡
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