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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (西坂下御紙漉所)

西坂下御紙漉所 「国日記」の紙漉に関する最初の記事は、寛文四年(一六六四)六月十日、国吉(くによし),寛文十三年(一六七三)の「惣屋敷絵図」(弘図津)に相当面積の紙漉所敷地が記されているが、延宝四年(一六七六,西坂下御紙漉所では、七右衛門が仕事を続けることになる。,一六九五)、七右衛門が勤め方不行届きを咎(とが)められ、家屋敷を召し上げられ免職を下令されたので、西坂下御紙漉所,図131.七右衛門の西坂下紙漉所 / 西坂下御紙漉所
通史編3(近世2) (紺屋町末紙漉所)

紺屋町末紙漉所 貞享元年(一六八四)六月、藩では製紙業の振興を図るため、城の東方の黒石町・長町・寺町,仕事場として紺屋町末(現明の星幼稚園敷地)に紙漉所新設工事が行われ、四月末には完成し、翌五月から紙漉を,図132.紺屋町織座(紙漉所跡)  元禄元年(一六八八)、紙漉所で不要になった生皮大判二五〇帖・,元禄四年(一六九一)、紺屋町末紙漉所は閉鎖され、紙漉頭新井・今泉は、同七年に職を解かれた。,紙漉所跡は薬園になり、さらに藩営の織座町に変わって大川村の楮畑は桑畑になる。 / 紺屋町末紙漉所
通史編3(近世2) (紙漉町熊谷喜兵衛)

元禄四年(一六九一)に紺屋町末紙漉所、同八年に西坂下紙漉所が廃止され、御用紙漉は紙漉町の喜兵衛だけになった
通史編3(近世2) (紙漉八右衛門)

しかし、紙漉所がどこにあったかなどは、一切不明である。
通史編2(近世1) (家中屋敷の郭外移転)

西外の郭は三五区画の屋敷割のうち、空き屋敷二軒、馬屋・御紙漉所やそれらの附属施設を除けば侍屋敷で占められている
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