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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (紺屋町末紙漉所)

紺屋町末紙漉所 貞享元年(一六八四)六月、藩では製紙業の振興を図るため、城の東方の黒石町・長町・寺町,仕事場として紺屋町末(現明の星幼稚園敷地)に紙漉所新設工事が行われ、四月末には完成し、翌五月から紙漉を,図132.紺屋町織座(紙漉所跡)  元禄元年(一六八八)、紙漉所で不要になった生皮大判二五〇帖・,元禄四年(一六九一)、紺屋町末紙漉所は閉鎖され、紙漉頭新井・今泉は、同七年に職を解かれた。 / 紺屋町末紙漉所
通史編3(近世2) (染)

染 慶安二年(一六四九)ころの「弘前古御絵図」(弘図津)には紺屋町に一〇〇軒ほどの「こうや(紺屋)」,紺屋は藍を染料とした藍染業者のことであるが、津軽領における染に関する最も古い史料である。,図141.紺屋町にみえる「こうや」
通史編3(近世2) (御用染屋堀越屋)

また弘前草創の際、紺屋町一円を預けられ紺屋一〇〇戸の取り立て方に功をなしたと伝えている。
通史編3(近世2) (織座)

その場所は紺屋町(こんやまち)(現市内紺屋(こんや)町。,紺屋(こうや)と称し、藍染を主とする染物職人の町)の北側にあり、西浜街道(西浜は津軽半島の西側日本海に,またこの辺は、①水の便がよい、②清水が湧出する、③染屋町(紺屋町の別称)に近くて便利が良い、④西浜街道,「国日記」では織物会所・織方会所・織屋会所・織物場会所・織物師会所・紺屋町会所・会所・織物師役所・織場,『弘前絵図(天保の絵図)』(『弘前の町のうつりかわり』弘前市立博物館刊)には紺屋町の北側に織座が認められる
通史編3(近世2) ((三)住居)

城西―荒町(あらまち)(後に新町)・本紺屋町(もとこんやまち)・紺屋町(両紺屋町は後に新町・袋町(ふくろまち,)・紺屋町) 城北―亀甲町(かめのこうまち)・博労町(ばくろうちょう) 城東―大浦町(おおうらまち
通史編3(近世2) (塵芥捨場の設置)

毛内権蔵上屋敷、北横町(きたよこちょう)の大橋付近の川欠けの所、荒町(あらまち)の後の古川(ふるかわ)添、紺屋町,南溜池東側の土居添の下、西川岸町通の外れ、御徒町の川端添、北横町の大橋脇、紺屋町の町外れの大川添、鷹匠町
通史編5(近・現代2) (弘前明の星幼稚園)

弘前明の星幼稚園 三十一年(一九五六)十月四日、紺屋町一二七番地に私立弘前明の星幼稚園が設置された。
通史編3(近世2) (紙漉町熊谷喜兵衛)

元禄四年(一六九一)に紺屋町末紙漉所、同八年に西坂下紙漉所が廃止され、御用紙漉は紙漉町の喜兵衛だけになった
通史編3(近世2) (消防制度)

火災の場合は早太鼓を打ち、周辺の寺町(てらまち)・蔵主町(くらぬしちょう)・亀甲町(かめのこまち)・紺屋町,てっぽうまち)・一番町(いちばんちょう))、亀甲町(亀甲町・禰宜町(ねぎまち)・馬喰町(ばくろうちょう))、紺屋町,(紺屋町・御蔵町(おくらちょう))、新町(あらまち)(新町・駒越町(こまごしまち)・平岡町(ひらおかまち
通史編3(近世2) (幕末期の市域)

南北一八丁余、制札場は本町・東長町・土手町・和徳町・亀甲町・紺屋町の六ヵ所、町端の桝形は富田町・和徳町,・紺屋町・樹木派(はだち)の四ヵ所、米倉は和徳町の東御倉、東長町の北御倉、亀甲町の亀御倉の三ヵ所、炭倉
通史編5(近・現代2) (秩父宮の歩兵第三一連隊赴任)

宮は紺屋町の仮邸に入り、翌年の十二月七日に弘前を離れるまでの一年四ヵ月間、弘前市に滞在した。  ,写真18 秩父宮夫妻と紺屋町の仮邸
通史編5(近・現代2) (都市計画と道路建設)

3.3.7 弘前黒石線 22.75 9,640 〃 昭和48年11月22日 4,709 3.3.8 紺屋町和徳町線,15日   1,356 3.4.19 宮川神田線 20 1,050 〃   1,050 3.4.20 紺屋町堀越線,〃   0 3.4.33 弘前平賀線 16 1,320 平成5年8月16日   0 3.5.1 悪戸紺屋町線
通史編3(近世2) (質屋の利用)

しげもりまち)・土手町(どてまち)・新町(あらまち)・駒越町(こまごしまち)・東長町(ひがしながまち)・紺屋町
通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

緑町 北土器(かわらけ)丁 南土器丁 中土器丁 上土器丁 代官丁 和徳町 茶畑丁 茶畑新割丁 北横丁 紺屋丁,和徳町、座頭町は小人町、神明宮社家は若党町、元穢多町は楮町新町となり、誓願寺々中・同門前町・誓願寺前・紺屋町新割町
通史編5(近・現代2) (秩父宮殿下の御来弘)

殿下が妃殿下とともに弘前駅に御到着になったのは昭和十年八月十日午前八時五十二分、直ちに紺屋町の御仮邸(
通史編5(近・現代2) (職業は寺山修司)

職業は寺山修司 寺山修司は昭和十年(一九三五)十二月十日に弘前市紺屋町に生まれたが、父・八郎が警察官
通史編4(近・現代1) (戸長の配置)

                          斎藤三彌  袋町 五十石町                          相馬徳三郎  紺屋町
通史編2(近世1) (野本道玄の招聘)

4月,紺屋町に糸取場を設置。 11月,京都より男女10余人の織物工を招く。,1701 元禄14 47 3月,紺屋町に織物会所を設置。
通史編3(近世2) (ねぷた)

富士見橋(ふじみばし)近くの紺屋町(こんやまち)にあった)に出かけて、町印のついた一番から八番までの「,ねぶた」が紺屋町から春日町(かすがちょう)へ練り歩いて行ったのを観覧している。  
通史編3(近世2) (野本道玄)

一六九九)、道玄の建議により織物師欲賀庄(荘)三郎、富郷次郎右衛門らの諸工が上方から招かれ、翌十三年紺屋町
通史編3(近世2) (ねぷたの起源と変遷)

富士見橋近くの紺屋町(こんやまち)にあった)に出かけて、町印のついた一番から八番までの「ねぷた」が紺屋町
通史編2(近世1) (町方支配)

での買物監督 ⑧諸職人支配のこと   ⑨酒・麹役支配のこと ⑩居鯖(いさば)(魚屋)支配のこと   ⑪紺屋役布役,延宝期の城下の町方は、親方町支配分・土手町支配分・横町支配分・亀甲町支配分・紺屋町支配分・新町支配分・
通史編3(近世2) (他領から技術を導入)

職人についてみると、大工六三、鞘師一二、紺屋一四〇、たばこつくり三二など、約三〇種、四六〇軒ほどの居住者
通史編5(近・現代2) (酒造業)

昭和七年の日本醸造協会主催第十三回全国清酒醤油品評会において、弘前市紺屋町の酒造業川村東一郎の出品した
通史編3(近世2) (諸家業と職人)

二二人、和徳町支配で一二人、茂森町支配で八人、亀甲町支配で一〇人、東長町支配で一五人、新町支配で一四人、紺屋町支配,質屋は本町で五人、亀甲町で五人、茂森町で三人、土手町で二人、新町で四人、駒越町で一人、東長町で三人、紺屋町,下鍛冶町に三人、親方町に一一人、和徳町に一人、土手町に七人、新町に五人、東長町に一〇人、亀甲町に二人、紺屋町
通史編4(近・現代1) (城西小学校創立)

、○亀甲町 亀甲 中初 盈進 中初 下町学区 一 鷹匠町、馬屋町、西大工町、新町、駒越町、平岡町、紺屋町
通史編5(近・現代2) (弘前手織)

劣らず数百年の歴史を有する弘前手織は、元禄七年(一六九四)、津軽塗と同様に四代藩主信政が現在の弘前市紺屋町
通史編2(近世1) (城下弘前の変化)

鍛冶(かじ)九一・銅屋(どうや)二一・大工三九・馬屋および馬喰(ばくろう)一八・鞘師一一・鷹師二九・紺屋一二九,かれ、一筋は駒越川、もう一筋は岩木川もしくは樋の口(ひのくち)川と呼ばれ、長勝寺下から本丸の西を流れて紺屋町
通史編2(近世1) (諸役と運上)

弘前古御絵図」によると、城下の家業は、鍛冶九一、銅屋二一、大工三九、馬屋と博労一八、鞘師一一、鷹師二九、紺屋一二九
通史編4(近・現代1) (日露戦後の工業)

54,690 同 駒越町55 太田豊吉 50,370 同 同町58 齋藤惣次郎 47,610 同 紺屋町,武田機業場 西大工町 同 39年6月 同 - - - 男  1 女 51 工藤機業場 紺屋町
通史編2(近世1) (漆以外の国産品)

椀・線香・𨫤(きせる)・墨・瀬戸物焼・紅粉・紙類・硯・紺屋灰・石灰・菜種・漆・銀鉛とあり
通史編2(近世1) (染織技術の導入政策)

元禄十三年には、紺屋町の長内三益薬園屋敷が「織物座」として認められた(同前元禄十三年四月七日条)。
通史編5(近・現代2) (子ども会の動向)

紺屋町 桶屋町 下土手町 南横町 笹森町 浜の町 和徳町 馬屋町 鍛冶町 新鍛冶町 銅屋町 南川端町 
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

鍛冶町支配・土手町支配・富田町支配・楮町支配・東長町支配・和徳町支配・茂森町支配・荒町(新町)支配・紺屋町支配
通史編2(近世1) (刑の執行)

たかはたけ)村(現南津軽郡平賀町)の喜助が、放火の罪で火罪になった時の引き廻しのコースは、牢屋~亀甲町~紺屋町
通史編3(近世2) (諸役と仲間)

居鯖(いさば)(魚を売買する者)・銀(しろがね)屋・大工・酒屋・室(むろ)屋・木挽(こびき)・茶屋・紺屋,このうち、数が多いのは、紺屋一二九・鍛冶九一・煙草屋五四・居鯖五一・大工三九・鷹師二九・煙草作り二三・,職務が規定されており、その中には粒油・水油の支配の事、職人支配の事、酒・麹役支配の事、居鯖支配の事、紺屋役布吟味
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

張良山(本町・親方町・大根山(茂森町)・道成寺山(鍛冶町)・猩々山(土手町)・布袋山(東長町)・紅葉狩(紺屋町,また、紺屋町と新町から山車を出す願いがあったが、この町内は、袋宮権現宮(現熊野宮、市内茜町(あかねちょう
資料編1(考古編) (第5節 温泉)

境関温泉 弘前市大字境関字亥ノ宮8-1 550 150~100 46.0 0 153 14 白菊温泉 紺屋町温泉,弘前市大字紺屋町52-1 500 150~100 36.0 0 230 15 川端泉 弘前市大字堅田字宮川
通史編3(近世2) (町役負担と御用金)

67人 下 役 72人 50人 下之下役 66人 35人 備 考  親方町・土手町・横町・亀甲町・紺屋町,(土手町大橋より同新土手鍛冶町境まで) 東長町(笹森町へ入口東角より和徳町坂の下まで) 亀甲町,紺屋町
通史編2(近世1) (慶安二年の「弘前古御絵図」)

次に、職人集団であるが、職人町として、紺屋(こんや)町・鞘師(さやし)町・鍛冶町・大工町・銅屋(どうや
通史編5(近・現代2) (見直したい弘前市の記録)

土手町、鍛冶町をはじめ、代官町、桶屋町、百石町、親方町、紙漉町、紺屋町、若党町、五十石町、元大工町、元寺町
通史編4(近・現代1) (戸籍法と戸籍区)

同細小路 下山道丁 駒越町 平岡町 西大工町 誓願寺々中 同元門前 誓願寺前 袋町 五十石町 同細小路 紺屋町
通史編4(近・現代1) (和服と呉服商)

殊に松森町・和徳町・浜ノ町・紺屋町では篠巻綿や足袋やカナ糸などぐらいしか売れなかった。
通史編5(近・現代2) (生活道路の計画)

また、城東地区から小比内地区にかけて中央幹線として三・四・二〇号紺屋町・堀越線の整備が進んだ昭和五十八年度
通史編2(近世1) (土着策と弘前城下)

新寺町・平岡町・西大工町・紺屋(こんや)町の内織屋掛・新(あら)(荒)町・富田町が潰(つぶ)れ地とされ
資料編1(考古編) ([付図])

境関温泉 弘前市大字境関字亥ノ宮8-1 550 150~100 46.0 0 153 14 白菊温泉 紺屋町温泉,弘前市大字紺屋町52-1 500 150~100 36.0 0 230 15 川端泉 弘前市大字堅田字宮川
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