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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
((3)葬制(終末期古墳))
(3)葬制(
終末期古墳
) 飛鳥時代から平安時代初期(7世紀~9世紀後葉)にかけて東北地方と北海道石狩低地帯,これらの墳墓は、その構造的な面から古墳時代の古墳の影響を受けたものとして、「
終末期古墳
」あるいは「末期古墳,このほか、埋葬施設である主体部は検出されていないものの、
終末期古墳
と推定されている円形周溝だけが確認された,これらの地域でも、
終末期古墳
が存在した可能性が指摘されている。 / (3)葬制(
終末期古墳
)
資料編1(考古編)
(3.石川長者森遺跡)
、弥生時代末期(3世紀末~4世紀前半)の遺物散布地、奈良時代末~平安時代(8世紀後半~9世紀前半)の
終末期古墳
群,〔
終末期古墳
様遺構群〕 丘陵北側に隣接した標高約50mの地点で、円形周溝がまとまって3基検出されている,性格等の詳細は不明であるが、本周溝は東北地方北部から北海道道央部にかけて、7世紀~9世紀前半期に築かれた
終末期古墳
群,このように、東北地方北部から北海道道央部にかけての
終末期古墳
群の変遷から本遺構群をとらえると、8世紀末,~9世紀前半期の
終末期古墳
群の可能性が高い。
資料編1(考古編)
((9)蕨手刀)
出土状態の明らかなものでは、「蝦夷の族長」の墓とされる
終末期古墳
群や規模の大きい竪穴住居跡からの出土例,この「小封土」は、
終末期古墳
の出土の可能性も考えられる。
資料編1(考古編)
((2)太平洋戦争後から現代まで)
前者は本県で発見された
終末期古墳
の最初の調査として、後者は我が国の最初の大規模調査として特筆される。,また同時に、南部地方を中心として
終末期古墳
群の調査が行われている。,一方、津軽地方においても葛西励・高橋潤らによって尾上町原古墳群が*323調査され、
終末期古墳
が全県的に
資料編1(考古編)
((1)7世紀~8世紀)
また、この時期には北日本特有の
終末期古墳
と呼ばれる小円墳が築造されている。
資料編1(考古編)
(1.古墳時代の概観)
これに呼応する形で、青森県においても阿光坊古墳群や、鹿島沢古墳群などの
終末期古墳
と呼ばれる小墳墓がこの
通史編1(古代・中世)
(東北地方北部の群集墳)
同一規模の墳墓が造られていることなども考慮すると、さきの被葬者の問題も合わせて、東北地方北部の群集墳を
終末期古墳
資料編1(考古編)
((1)東北地方南部以南との交易・交流)
須恵器には坏・高台付坏・大甕・横瓶(べ)があり、一般的な農村集落や
終末期古墳
群から出土している。
資料編1(考古編)
((1)祭祀と仏教文化の波及)
(1)祭祀と仏教文化の波及 青森県内のこれまでの調査では、7世紀後半~10世紀の祭祀遺構は
終末期古墳
以外
資料編1(考古編)
(新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)
(2)文字資料と文字文化 ……………………… 356 (3)葬制(
終末期古墳
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