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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (織)

織 「国日記」によると、領内における織物の需給、特に絹織物については、藩御用の必需品であったこともあり,、古くから先進地の江戸や福島から絹織物職人を招き、蚕種も移入して養蚕を盛んにするとともに織りの普及に努,しかし絹織物の生産が組織的、本格的に行われ、手工業としての形態をとりうるようになったのは、元禄六年(一六九三,もっとも、茶道役の野本道玄が絹織物師の斡旋や自ら養蚕の技術指導に当たり、絹織物の生産に資するようになったのは
通史編3(近世2) (非常時の服装)

ビロードの縁をとり、地質は緞子(どんす)(紋織物の一種で、生糸または練糸を用いた繻子(しゅす)組織の絹織物,)や錦(にしき)(絹織物の一つ)などから縞(しま)木綿にいたるまでの各種があって、武士の旅行用に用いられ
通史編3(近世2) (織物の種類)

りがある)・畦織(あぜおり)(経糸か緯糸が互いに他の一方の糸数本を超えて組織し、縦か横方向に畦をあらわした絹織物,文様を織り出したものもある)および紬(くず繭からつくった糸を緯に用いた真綿を手紡ぎした手織の絹織物)などが
通史編3(近世2) (生地による統制と着用規定)

八月二十六日条には、先年(正確な年代は不明)藩士一同に対し木綿の着用を命じたが、このたびは紗綾(さや)(絹織物,表面がなめらかで光沢があり、稲妻・菱垣・卍などの模様を織り出したものが多い)・縮緬(ちりめん)(絹織物,二〇〇石以上、熨斗目以上(御目見以上)は木綿、下着は郡内絹(ぐんないきぬ)(山梨県郡内地方で産出する絹織物
通史編4(近・現代1) (市制施行直前の工業)

、県全体では綿織物が多いが、中津軽郡においては、反別、金額ともに絹綿交織が多く、綿織物がこれに次ぎ、絹織物,西津軽 中津軽 南津軽 北津軽 上北 下北 三戸 合計 織 物 絹織物
通史編4(近・現代1) (養蚕業の奨励)

代々この事業を継承、明治期に入り、後継の六代目「金木屋」当主の熊七(くましち)が養蚕の普及と製糸所、絹織物工場
通史編3(近世2) (金木屋による養蚕と製織)

を雇い入れ、また家中の次、三男も来て種々の絹布を織り出していたが、織りについては最初、秋田から上州の絹織物師
通史編3(近世2) (織物会所の施策)

織り立てた布地のうち絹は紬(屑繭から作った真綿(まわた)を手紡(つむ)ぎし、その糸を緯に用いた手織の絹織物
通史編3(近世2) (日常着)

①夏用の衣服について――近年町人の妻子は絽(ろ)(織り目の透いた薄い絹織物。
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