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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
([付図])
,土師器 42 02053 天池遺跡 弘前市大字乳井 丘陵西斜面 包含地 縄文(後期)
縄文土器
,石鏃,45 02059 三ッ森(1)遺跡 弘前市大字富栄字鳥羽 台地南斜面 包含地 縄文(中期)
縄文土器
,54 02069 甕子山遺跡 弘前市大字十腰内字猿沢 低丘陵上平坦面 包含地 縄文(晩期)
縄文土器
,56 02071 高長根(2)遺跡 弘前市大字中別所字向野 台地東斜面 包含地 縄文(晩期)
縄文土器
,,続
縄文土器
,擦文土器,土偶,土玉,石器 157 02205 野脇遺跡 弘前市大字中崎字野脇76-2,
通史編1(古代・中世)
(古墳文化と続縄文文化の交流)
塩釜式土器と、さらに北大Ⅰ式は古墳時代中期土器と同時代のものと考えられ、青森県内でも弥生時代の在地系土器と続
縄文土器
,続
縄文土器
の分布は、津軽半島から日本海沿岸地域にかけては希薄で、分布はやや東に片寄るものの、ほぼ全域に,図8 津軽地方の続
縄文土器
および併存する弥生土器 江別式に後続する北大式土器は、現在のところ津軽地方
通史編1(古代・中世)
(弥生文化と続縄文文化)
それまで地方色の濃かった続
縄文土器
は、江別C2・D式土器の時期に至って斉一性(せいいつせい)を強め、全道的,ところで、続縄文文化の指標のひとつである後北(こうほく)式土器とは、「後期北海道式薄手
縄文土器
」を略した,これは、本州の
縄文土器
が、「厚手式」あるいは「薄手式」と呼ばれていた当時の呼び方を踏襲したものであり、
通史編1(古代・中世)
(古墳文化及ばぬ北の世界)
たとえば続
縄文土器
と総称されている、本州に稲作文化が普及し弥生時代に移行したのちもなお、縄文時代同様、,とくに後北C1~C2式と呼ばれる北海道の続
縄文土器
と同じものが、弥生時代の青森県下全域から出土しており
通史編1(自然・原始)
(草創期)
それに続く多
縄文土器
も薄手に作られ、器面に羽状を呈する縄文が施されている。
資料編1(考古編)
(16.鬼沢猿沢遺跡)
Ⅱ群に分けられた
縄文土器
は第Ⅰ群後期(十腰内Ⅴ群(式))・第Ⅱ群晩期(大洞A式)であり、石器・石製品には
通史編1(自然・原始)
(昭和時代)
八幡一郎(やはたいちろう)(一九〇二~一九八七)や甲野勇(こうのいさむ)(一九〇一~一九六七)が呼応して、
縄文土器
,
縄文土器
の研究に執念ともいうべきほどの情熱を注いでいた山内清男は、昭和七年(一九三二)七月から翌年二月,にかけ、雑誌『ドルメン』に「日本遠古之文化」を載せ、
縄文土器
の起源や終末等について見解を披露した(57,山内は、発掘調査で出土した土器資料を丹念に比較分類し、それを基に組み立てた
縄文土器
編年は、揺るぎなきものと
通史編1(自然・原始)
(中期)
曽利式土器(水焔渦巻文土器) (中村龍雄『中部高地
縄文土器
文様』1986年 P53より) 北日本
資料編1(考古編)
(14.尾上山(2)遺跡)
出土土器を
縄文土器
の編年に合わせて形式ごとに記述すると、第Ⅰ群早期(白浜式)・第Ⅱ群前期(早稲田6類・
資料編1(考古編)
((2)県内遺跡の出土工芸品)
なお、編物に関しては古くから関心が持たれ、
縄文土器
の底面に見られる網代痕(あじろこん)について、人類学会創設者
資料編1(考古編)
(15.尾上山(3)遺跡)
土器は
縄文土器
が多く、中でも円筒土器が主体を占めている。
資料編1(考古編)
((1)3世紀末~4世紀前半代)
東津軽郡平内町東田沢字横峯 C2・D 246 39 李平下安原 南津軽郡尾上町李平字下安原 C2・D 図1 続
縄文土器
通史編1(自然・原始)
(江戸時代~明治十七年(一八八四))
一八二九、三河国〈愛知県〉出身)は、寛政八年(一七九六)四月十四日、現在の青森市三内(さんない)において
縄文土器
通史編1(自然・原始)
(第三節 注および引用・参考文献)
青森県埋蔵文化財調査報告書九三) 一九八五年 (18)佐藤達夫・渡辺兼庸 「青森県上北郡出土の早期
縄文土器
,(29)藤森栄一 『縄文式土器』 中央公論美術出版 一九六九年 (30)鈴木保彦 「勝坂式土器」『
縄文土器
大成
通史編1(自然・原始)
(人類学会創設~昭和三十三年(一九五八))
また、当時人類学会会長であった東京大学教授坪井正五郎(つぼいしょうごろう)の「
縄文土器
はコロボックル(
資料編1(考古編)
((6)縄文時代晩期)
我が国の
縄文土器
の中で、たとえ模倣品ではあってもこれほど広範囲に伝播した土器はないであろう。
資料編1(考古編)
(4.中崎館遺跡)
また、続
縄文土器
も少量出土している。
資料編1(考古編)
((2)太平洋戦争後から現代まで)
平山は須恵器67、橘は擦文や続
縄文土器
*82*88*102~*104で、北林は製塩土器*70*109で
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
弥生時代の住居跡 表15 石棺墓の遺跡地名表 第3章 古代………………………187 図1 続
縄文土器
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
青森県南津軽郡五郷村細野遺跡」『日本考古学年報』六 一九六三年十月 (85)佐藤達夫・渡辺兼庸 「青森県上北郡出土の早期
縄文土器
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第2章〉)
3) 1918年11月 *234 *38に前掲 *235 *53に前掲 *236 江坂輝彌 「
縄文土器
文化後期
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