• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 11件
辞書ファセット
/ 1ページ
資料編1(考古編) ((4)縄文時代中期)

(4)縄文時代中期 前期に続く中期は、前半が円筒上層式土器(正確には円筒土器上層式土器)の盛行した時代,図6 縄文時代中期の土器(円筒土器) 石神遺跡(1) 円筒上層a式土器 円筒上層a式土器,円筒上層b式土器 円筒上層b式土器 (1点を除き森田村歴史民俗資料館蔵) 図7 縄文時代中期,円筒上層e式土器 円筒上層e式土器 (森田村歴史民俗資料館蔵) 図8 縄文時代中期 / (4)縄文時代中期
資料編1(考古編) (9.高長根山遺跡)

4)遺構・遺物の概要  発掘調査はA・Bの2地点を設定して行われ、A地点では遺構の検出は見られず、縄文時代中期,出土遺物は縄文時代中期の円筒上層b・c・d式土器、同後期の十腰内Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅴ群(式)土器(図22)、
資料編1(考古編) (3.縄文時代の集落)

それらの遺構は土壙群を中心として、同心円状に整然と配置されている状況がとらえられ、少なくとも縄文時代中期,本県でも縄文時代中期における六ヶ所村富ノ沢(2)遺跡の例を見ると、柱穴群(掘立柱建物跡群)の外側を多数,岩手県一戸町の御所野(ごしょの)遺跡でも、縄文時代中期後半期に中央部を整地して配石墓を造り、それよりも
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

沢(2)遺跡では、平成元(一九八九)・平成二年(一九九〇)の調査で二万六〇〇〇平方メートルを発掘し、縄文時代中期,だけで、九世紀後半から十一世紀前半に至る平安時代の竪穴住居跡六七棟・掘立柱建物跡一四棟等を発掘して、縄文時代中期,その後、土採り工事等に伴い、平賀町教育委員会は昭和四十六年(一九七一)八月堀合Ⅱ号遺跡で、縄文時代中期末,なお三内丸山Ⅱ遺跡は、縄文時代中期末に近い榎林式期、源常平遺跡は同時代晩期の大洞B式か大洞A式期、上尾駮
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

1) 図4 縄文時代早期の土器(2) 図5 縄文時代前期の土器(円筒土器,大木系土器) 図6 縄文時代中期,の土器(円筒土器)石神遺跡(1) 図7 縄文時代中期の土器(円筒土器)石神遺跡(2) 図8 縄文時代中期
資料編1(考古編) (2.縄文時代の住居跡)

青森市の三内沢部遺跡においても*187、ほぼ似たような傾向を示すことから、縄文時代中期の住居跡プランは
通史編1(自然・原始) (第三節 注および引用・参考文献)

飛島・勝浦遺跡」『山形県史 資料編』一一(考古資料) 一九六九年 (34)高橋正勝 「北海道における縄文時代中期
通史編1(自然・原始) (昭和時代)

角田の調査報告は、当貝塚出土の土器を詳細に分類し、特に縄文時代中期末の土器に対し榎林(えのきばやし)式
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

田名部町(現むつ市)最花(さいばな)貝塚を同年十一月に発掘し、翌年の十月には慶応大学の江坂輝彌も参加して、縄文時代中期末
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

87          (3)縄文時代前期 ………………………………  90          (4)縄文時代中期
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

*196 一戸町教育委員会 『御所野遺跡Ⅰ-縄文時代中期の大集落跡』(一戸町文化財調査報告書32) 1993
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました