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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) ((6)縄文時代晩期)

(6)縄文時代晩期 後期を引き継いだ晩期は、亀ヶ岡式土器の盛行した時代である。,図11 縄文時代晩期の土器(1) 十腰内第Ⅵ式土器(大洞B式)… 木造町・亀ヶ岡遺跡(個人蔵),大洞BC式浅鉢形土器底面… 尾上町・八幡崎遺跡(尾上町教育委員会蔵) 図12 縄文時代晩期,大洞C1式壺形土器… 弘前市・十腰内遺跡(旧カメコ山) (東北大学蔵) 図13 縄文時代晩期 / (6)縄文時代晩期
通史編1(自然・原始) ([口絵])

独孤遺跡,縄文時代草創期) 岩木山麓緊急発掘調査で発掘された土製装飾品 (岩木町薬師Ⅱ号遺跡,縄文時代晩期,) 正面 背面 岩木山麓緊急発掘調査で発掘された土偶(岩木町・薬師Ⅱ号遺跡,縄文時代晩期,号土坑遺物出土状況 (縄文時代前期、青森県埋蔵文化財調査センター提供) 十腰内Ⅰ遺跡3号住居跡 (縄文時代晩期,、青森県埋蔵文化財調査センター提供) 十腰内Ⅰ遺跡1号竪穴住居跡 (縄文時代晩期、青森県埋蔵文化財調査
資料編1(考古編) (2.弥生時代の初期稲作について)

における調査で、弥生初期の板付Ⅰ式土器が出土した土層のさらに下層から水田跡が発見され、しかもその水田跡は、縄文時代晩期終末,1980)から翌年にかけて調査の行われた佐賀県唐津市菜畑(なばたけ)遺跡において、板付遺跡よりもさらに古い縄文時代晩期後半,縄文時代晩期後半期に北九州で開始された稲作農耕は、その後しだいに本州にも広まり、やがて東北地方北部にも
資料編1(考古編) (1.時代区分と弥生土器の編年)

を生じ、さらに板付Ⅲ式土器の段階では、弥生文化は伊勢湾を越えて愛知県に到達するが、当時の東日本はまだ縄文時代晩期,東北地方北部の弥生文化に関する研究は、伊東信雄を嚆矢(こうし)とし、氏によって縄文時代晩期終末の大洞A
資料編1(考古編) (5.大森勝山遺跡)

出土遺物は、大竪穴住居跡付近から縄文時代前期末の円筒下層d2式土器(図7-1)、大竪穴住居跡内は縄文時代晩期,)・独鈷石・円盤状石製品・軽石製品・垂玉類)・円盤状土製品(人面を表したもの、図7-6・7)など主に縄文時代晩期
資料編1(考古編) ((2)植物栽培の起源)

年)9月に、京都の平安博物館が実施した三戸郡田子町石亀遺跡の第3次調査で採取されたソバ花粉の存在は、縄文時代晩期前葉
資料編1(考古編) ((7)機織り)

(7)機織り 機織りの技術は、縄文時代晩期の終りころに大陸から伝わったと考えられており、弥生時代には
資料編1(考古編) (3.尾上山遺跡)

しかし住居跡等の遺構は見られず、小ピットとわずかな焼土・炭化物(クルミ・ナラ等)のほか、多量の縄文時代晩期
資料編1(考古編) (12.牧野Ⅱ遺跡)

採集遺物は、縄文時代晩期終末の大洞A・A’式と、当地方の弥生時代前期に当たる砂沢式土器であり、中でも大洞
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

一九九四)が平内町郷土史研究会とともに、同町小湊(こみなと)の下槻(槻ノ木(つきのき))遺跡を発掘し、縄文時代晩期,弘前市出身、当時成城大学講師)の協力を得て、中津軽郡相馬村の白山堂(はくさんどう)遺跡を調査し(七月)、縄文時代晩期前葉,三厩村宇鉄(三月)と、今別町上山崎(八月)・青森市三内丸山(八月)等の遺跡を調査し、宇鉄と上山崎では縄文時代晩期,一方の平虚空蔵貝塚は、内陸部にある縄文時代晩期の淡水性貝塚であり、数種類の骨角器を多数発見した。  
資料編1(考古編) (10.弘前城内遺跡)

いずれも台付深鉢形を呈する粗製土器であり、縄文時代晩期の大洞C1式に属する。
資料編1(考古編) ((3)多様な技法)

織布の出現が縄文時代晩期中葉にまでさかのぼることの確証と、漆工芸に見られるような高度の技術の存在は、亀
資料編1(考古編) ((2)県内遺跡の出土工芸品)

編物をはじめ木製品製作の技術は、その後も時代の推移とともに継承され、本県では縄文時代晩期に至ると、その
通史編1(自然・原始) (人類学会創設~昭和三十三年(一九五八))

なかでも、佐藤蔀の描いた遺物写生図はすばらしく、縄文時代晩期における大洞(おおぼら)A式土器の特徴を巧,令息)・柴田常恵(しばたじょうえ)(史跡名勝天然記念物調査員)などの研究者が本県の各地を調査し、特に縄文時代晩期
資料編1(考古編) ((1)7・8世紀)

縄文時代晩期から弥生時代を通じて円形であったのが、この時期には方形に変化している。  
資料編1(考古編) (6.十腰内遺跡)

本来の十腰内遺跡は現在大字十腰内字猿沢にあるカメコ山(甕子山)地域で、この地から縄文時代晩期の大洞B式
資料編1(考古編) ((2)弥生時代の甕棺墓)

土器は、縄文時代晩期の大洞A’式壺形土器で、同形式の鉢形土器が逆に蓋になっており、内部には推定34~35
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

大木系土器)(3) 図9 縄文時代後期の土器(1) 図10 縄文時代後期の土器(2) 図11 縄文時代晩期,の土器(1) 図12 縄文時代晩期の土器(2) 図13 縄文時代晩期の土器(3) 図14 縄文時代
資料編1(考古編) (3.縄文時代の集落)

また、縄文時代晩期には、三戸郡三戸町の泉山遺跡の例のように、土壙群を中心としてその外側に竪穴住居跡群が
資料編1(考古編) ((4)漆器・木器生産)

漆塗の技術は、縄文時代前期(約6000年前)には既に開始されており、縄文時代晩期(約3000年前)、とりわけ
資料編1(考古編) ((1)貝塚に見る食生活)

縄文時代晩期になると、木造町の亀ヶ岡遺跡では、種子・毬果(きゅうか)・木材など17種が発見され、花粉分析
通史編1(自然・原始) (昭和時代)

掲載された土器は、縄文時代晩期のものが多く、土器文様はそれぞれ各形式の特徴をとらえており、氏の卓越した
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

また、昭和三十二年(一九五七)四~五月にかけて行われた三戸郡名川町平の前ノ沢遺跡では、縄文時代晩期中葉
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

91          (5)縄文時代後期 ………………………………  97          (6)縄文時代晩期
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