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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (東奥美術展)

形で、蔦谷龍岬が提唱し、在京の美術家たちを中心とした「東奥美術社展」が弘前と青森の二ヵ所で開催された。,昭和六年の秋には、青森県下全域を対象として、東奥日報社が主催する「東奥美術展」が東奥美術社を包括する形,この成果を踏まえた上での、昭和六年の東奥美術展の開催であった。  ,東奥美術展は、大正六年に前田照雲が立ち上げた六花会から始まる、北溟会、白曜会、東奥美術社と、県下の美術,また、その報道力で一般の人々へ美術の関心を高め普及させた。 / 東奥美術展
通史編5(近・現代2) (美術団体の躍進)

美術団体の躍進 青森全域を対象とした東奥美術展であったが、県内の各市町村でも、それぞれの美術団体が大正期,弘前では、東京美術学校を卒業し、弘前中学で美術を担当していた穴沢赳夫(あなざわたけお)(明治三二-昭和二一,しんどうしょういちろう)(大正二-昭和五〇 一九一三-一九七五 横浜市)、棟方一らが、弘前を主とした美術展,また、帝展は、昭和十二年(一九三七)、文部省主催の文部省美術展覧会(新文展)に代わった。,作家個人の制作はもとより、大正の初期から昭和の初めにかけ多くの団体が設立されて活発な動きをみせていた県内の美術界 / 美術団体の躍進
通史編5(近・現代2) (戦後美術界の復興)

戦後美術界の復興 疲弊しきっていた青森県人に追い打ちをかけるように、昭和二十年(一九四五)七月二十八日深夜,それまで年一回の美術展を開催し続けてきた東奥日報社も、昭和二十年と二十一年の秋の東奥美術展の開催は見合,ただ一つ、弘前の美術団体国土社だけは、この秋も公募展を開催、戦後の県内の美術活動の記念すべき第一歩を記,財団となった日展は日本画、洋画、彫塑、工芸、書の各分野を包括する我が国最大の美術団体として、現在も大規模,な美術展を年一回東京の上野で開催している。 / 戦後美術界の復興
通史編5(近・現代2) (昭和の美術団体)

昭和の美術団体 また、竹森節堂も、この六花会から東奥美術社に至る活動の中で重要な役割を果たした。,昭和四十四年(一九六九)には、黒滝大休らが日本画、洋画、彫塑、書道、工芸、写真、デザインの七部門からなる「弘前美術作家連盟,」を設立、毎年秋に弘前美術展を開催している。   / 昭和の美術団体
通史編5(近・現代2) (美術団体の発足と展開)

美術団体の発足と展開 大正期は、青森県出身、関係者の芸術家たちによる独自の美術団体が発足し、活発な展開,東京の美術活動の中心にいたのが前田照雲である。,青森県の美術界の活性化及び後進の育成を強く望んでいた照雲は、大正五年(一九一六)には在京していた若手彫刻家,引き続き、照雲は同年三月、在京の美術家たちの美術団体による「六花会」を立ち上げた。,彦四郎もまた金司と同様、東京美術学校の藤島武二教室で学んでいる。 / 美術団体の発足と展開
通史編5(近・現代2) (東京美術学校と弘前の作家たち)

東京美術学校と弘前の作家たち 一方、国内では各方面から美術教育機関設置の要望の声が起こり、それにこたえて,、明治二十一年(一八八八)、東京美術学校(東京芸術大学の前身)が設置され、日本画、木彫、伝統工芸の各科,明治も終わりごろになると、本県からも東京美術学校に入学する若者たちが出てくるようになる。,彼らは、美術学校で学んだ当時の最新の知識や作品を故郷に持ち帰り、大正期の本県の美術界を大きく牽引していく,継続し、日本の美術界の中心に位置する団体となるのである。 / 東京美術学校と弘前の作家たち
通史編3(近世2) (弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品)

弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品 弘前藩津軽家が所蔵した美術工芸品については比較的記録が残っていて、その,その中に現在出光美術館が所蔵する「柏に木菟蒔絵(みみずくまきえ)料紙箱」と「春日野鹿蒔絵(かすがのしかまきえ,絵画では名高い伝俵屋宗達筆の「蔦細道図屏風」(萬野美術館蔵)は明治になって弘前に運ばれたようだが、当時相当痛,それ以上に有名な尾形光琳筆の「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)については、前者同様、明治になって弘前に / 弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品
通史編5(近・現代2) (個人作家の活躍)

個人作家の活躍 戦後は、前述したように多くの美術団体の活動が再び活発に行われるようになってきたが、一方,一九六二)からパリ、西ドイツ、イタリアなどヨーロッパを舞台にパフォーマンスや創作活動を精力的に展開、前衛美術,佐野(さの)ぬい(昭和七- 一九三二-)は、高校のときに棟方寅雄に師事、女子美術大学へ進んだ。,卒業後は、青を基調とした軽快な色彩の抽象画で高い評判を得、その作品は国内外の美術館の収蔵となっている。,この展覧会は作家と市民の協力により開かれた、新しい美術展の在(あ)り方を示唆しているといえよう。
通史編3(近世2) (概観)

概観 藩政時代の美術工芸については大きく三つの問題にまとめられよう。,、藩主やお抱え絵師たちの画業と、藩が発注・下賜・贈与を通して城内および江戸の藩邸に所持していた公的な美術工芸品,とは直接かかわらない、ねぷた絵や凧絵、さらに陶芸や玩具、祭礼の装飾や衣装、こぎんなど民間のさまざまな美術工芸,絵師列伝としてまとめられた、弘前市立博物館刊行の『津軽の絵師』(一九八二年)、中畑長四郎氏の『津軽の美術史,また藩の画事や蔵品に関する包括的な検討は未着手で、他藩のそれらと比較したり、近世日本の美術史にどう位置
通史編5(近・現代2) (博物館の設置)

鉄筋コンクリート造一部二階建てで、館内施設は展示ホール、歴史・共用・美術工芸・特別展示室、美術ギャラリー,博物館は「知と美の調和」を基調に、津軽の歴史、美術工芸、その他の資料の収集、保管、展示を行い、広く一般
通史編2(近世1) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

国立公文書館内閣文庫 国立国会図書館 佐賀県立名護屋城博物館 慈舟山瑞泉寺(京都府京都市) 静岡市立芹沢銈介美術館,さん室 二戸市立中央公民館 能代市史編さん室 羽賀寺(福井県小浜市) 函館市史編さん室 林原美術館
通史編5(近・現代2) (漆工芸と日本画)

漆工芸と日本画 このように明治期の本県の美術工芸の分野において最も活発な活動を示したのが、漆工芸と日本画,写真268 高橋竹年『群猿』  このように本県の明治期の美術の活動は、幕末から継承した漆工芸や日本画,一八五一-一九〇八)の例を除き、本州最北端に位置して地理的に不利な本県においては、明治期の中央洋画の美術団体
通史編3(近世2) (津軽と「津軽塗」)

しかし、『明治期万国博覧会美術品出品目録』(横溝廣子著 一九九四年 中央公論美術出版刊)には、明治六年
通史編5(近・現代2) (文展と帝展)

明治四十年から開催された文展は第一二回まで開催され、大正八年(一九一九)には文部省の直轄制度が改められ、帝国美術院,が主催する第一回帝国美術展覧会(帝展)が開催される。
通史編1(自然・原始) (考古学史年表)

歴史学研究会編『日本史年表』(増補版)岩波書店 一九九五年、    日比野丈夫編「古代文明の発掘」・「美術史
通史編5(近・現代2) (国内外の博覧会)

などの国が主催する内外の博覧会は、開国まもない日本と世界を結ぶ窓口となった場であると同時に、一方で明治美術,これにより、ヨーロッパでの日本の美術工芸への関心を一気に高め、その後の日本への評価を固めることになった,以下、明治期に開催された万国博覧会の美術・工芸の出品を列挙すると、明治九年(一八七六)のフィラデルフィア,このように万国博覧会への本県の参加状況は津軽塗や木通蔓細工等の工芸の分野がほとんどを占め、美術の分野では
通史編1(自然・原始) (第二節 注および引用・参考文献)

寺田和夫訳 『原始人』 タイム・ライフ・インターナショナル 一九七〇年 (4)A 木村重信 『洞窟の美術,現代教養文庫二八九 一九六〇年  B P・アッコー、A・ローゼンフェルト、岡本重温訳 『旧石器時代の洞窟美術
通史編5(近・現代2) (弘前文化センター(弘前文化会館))

他に美術展示室一六四平方メートル。
通史編1(自然・原始) (漆)

は、大正末期から昭和初期に八戸市是川の中居遺跡で認められ、そのすばらしい品々の内容が高く評価されて、美術工芸
資料編1(古代・中世編) (七 板碑の発見と保護の状況)

先に述べたように、中別所の源光氏の板碑は国の重要美術品に指定されており、深浦町関の板碑群は県の史跡に指定,中別所石仏の板碑群,重要美術品に指定されている正応の板碑(写真左)を含む  なお、弘前市は次の板碑
通史編5(近・現代2) (スポーツ王国弘前実業)

文化的な面では美術にも力を入れており、大潮展などの展覧会で毎年のように特選、大賞に入選し、県総合文化祭,では美術部門優秀賞を受けている。
資料編1(古代・中世編) ([口絵])

中別所公卿塚の板碑 (板碑一覧弘前62番) 中別所石仏の正応の板碑 (国指定重要美術品
通史編5(近・現代2) (書の伝統)

大正九年弘前習字会を設立、十四年から日本書道振作展覧会に連年入選し、昭和三年無鑑査資格を得、日本美術協会員
通史編3(近世2) (塗師の知恵が支えた漆芸)

塗師の知恵が支えた漆芸 漆工技術の面では、年代を重ねることで蒔絵や変わり塗の技法が上達・進歩し、美術的
通史編5(近・現代2) (工芸運動と版画)

第六回日本創作版画協会に版画『焼け跡風景』を出品、本県では初の版画での中央の美術団体に入選を果たした。
通史編3(近世2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

青森銀行記念館(青森県弘前市) 青森県立郷土館 秋田市立佐竹史料館 悪戸町会(青森県弘前市) 出光美術館
通史編5(近・現代2) (空襲を受けなかった弘前市)

国宝、重要美術品、史蹟などが疎開対象となった。,美術品や芸術品だけでなく、郷土の歴史資料も文化遺産として扱われていたのは、たいへん意義深いことであろう
通史編4(近・現代1) (凡例)

なお、絵画に属するものは、美術作品も含めて便宜上写真に分類した。
通史編3(近世2) (家屋の規模と構造)

に多く、それは村位が上または中が多い地域だからという(草野和夫『東北民家史研究』一九九一年 中央公論美術出版刊
通史編3(近世2) (変わり塗と池田源兵衛)

で展開されていた漆工芸を知り得る貴重な資料に『百工比照(ひゃくこうひしょう)』(一九九三年 石川県立美術館刊
通史編5(近・現代2) (凡例)

なお、絵画に属するものは、美術作品も含めて便宜上写真に分類した。
通史編5(近・現代2) (金賞に輝く合唱)

美術部では、盛忠七、新藤正一郎、小林澄雄などよき指導者が相次ぎ、部員には、その後女流画家として第一線で
資料編1(古代・中世編) (三 板碑の造立者とその時期)

この板碑群に含まれ、国の重要美術品に指定されている正応元年(一二八八)七月造立の板碑には、「源光氏」の
通史編5(近・現代2) (故郷(くに)を思う心)

もっとも、相馬の活動は民芸という美術工芸の分野で花開き、棟方志功を通じて世界につながり、一戸らの活動は
通史編5(近・現代2) (新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)

…………  834   四 北の文学連峰の現在 …………………………………………  846 第二節 美術界,の様相 …………………………………………………  866   一 明治期の美術 ……………………………,……………………  866   二 大正期の美術 …………………………………………………  872   ,三 昭和期の美術(戦前) ………………………………………  878   四 昭和期の美術(戦後) ……
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

石器時代の日本』(築地書館) 1960年6月 *58 山内清男 『縄文式土器総論』(講談社日本原始美術,(4)-大山椒魚と蛇と思われる土製品-」(古代文化45-8) 1993年8月 *88E サントリー美術館,*106 *94に前掲 *107 音喜多富寿 「県重宝・二ッ森遺跡出土品」(図録青森の文化財 美術工芸品,日本の発掘』(東大新書45) 1963年3月 *145 甲元真之・山崎純男 『弥生時代の知識』(東京美術考古学,弥生時代・弥生文化』(世界考古学事典 上) 1979年2月 *146B 関俊彦 『弥生土器の知識』(東京美術考古学
通史編1(自然・原始) (人類の進化)

SO FAR』1944年 P179より) 旧石器時代人の遺した壁画 (木村重信『洞窟の美術
資料編3(近世編2) (●長勝寺 西茂森一丁目)

内部の厨子と須弥壇は、かつては国の重要美術品として指定されていたものであるが、現在は建造物の「附」として
通史編3(近世2) (弘前藩の画事と絵師)

」などの絵手本によって新しい画風を広めた点に大きな功績があり、津軽出身で全国的な活躍を果たした最初の美術作家
通史編1(古代・中世) (嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)

写真115 正応の板碑(重要美術品) 源光氏の名がある。  
資料編1(古代・中世編) (六 板碑の調査・研究史)

なお、中別所の源光氏の碑は昭和十七年(一九四二)、国の重要美術品に指定された。  
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

弘前市蔵 25 弘前市教育委員会図版提供 26 弘前市教育委員会蔵 27 洛中洛外図屏風池田本 林原美術館蔵, 弘前市立博物館蔵 45 関ヶ原合戦図屏風 大阪歴史博物館蔵 46 諸将旌旗図屏風 静岡市立芹沢銈介美術館蔵
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと津軽氏)

さらに描かれた幟の図柄を仔細に検討すると、諸将旌旗図屏風(しょしょうせいきずびょうぶ)(静岡市立芹沢銈介美術館蔵
通史編5(近・現代2) (掲載写真の典拠・所蔵一覧)

なお、美術作品については、( )内に作品のサイズ(単位はcm)および判明しているものについては制作年も
通史編4(近・現代1) (明治二十年度予算審議)

八円教員三、六円教員二、四円教員一だが、一〇円教員三人のうち二人は八月から採用予定者、六円教員二人は美術
通史編3(近世2) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

上北郡野辺地町 野辺地八幡宮蔵 口絵12 市立函館博物館五稜郭分館蔵 口絵13 東京都千代田区 出光美術館蔵
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

……  623     三 武芸―剣術・馬術・槍術・弓術・炮術― ……………  630     四 美術
通史編1(自然・原始) (第三節 注および引用・参考文献)

朝日下層式土器」『日本土器事典』 雄山閣出版 一九九六年 (29)藤森栄一 『縄文式土器』 中央公論美術出版
通史編4(近・現代1) (新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)

第六節 医学都市の衛生対策   第八章 近現代弘前市の文化活動  第一節 文学活動  第二節 美術界
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

古物学の底本」『考古学雑誌』六三-二 一九七七年九月 (12)A 西岡秀雄編 『大森貝塚』 中央公論美術出版
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