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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品)

弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品 弘前藩津軽家が所蔵した美術工芸品については比較的記録が残っていて、その,の作例で重要な記録のひとつは、御擬作(みあてがい)として弘前藩の庇護を受けた江戸時代中もっとも優れた工芸家,その中に現在出光美術館が所蔵する「柏に木菟蒔絵(みみずくまきえ)料紙箱」と「春日野鹿蒔絵(かすがのしかまきえ,絵画では名高い伝俵屋宗達筆の「蔦細道図屏風」(萬野美術館蔵)は明治になって弘前に運ばれたようだが、当時相当痛,それ以上に有名な尾形光琳筆の「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)については、前者同様、明治になって弘前に / 弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品
通史編5(近・現代2) (漆工芸と日本画)

漆工芸と日本画 このように明治期の本県の美術工芸の分野において最も活発な活動を示したのが、漆工芸と日本画,であり、その活動の中心となる工芸家・日本画家が弘前に集中しているのは、弘前藩の体制の下で、中央に通じる,写真268 高橋竹年『群猿』  このように本県の明治期の美術の活動は、幕末から継承した漆工芸や日本画,一八五一-一九〇八)の例を除き、本州最北端に位置して地理的に不利な本県においては、明治期の中央洋画の美術団体 / 漆工芸と日本画
通史編5(近・現代2) (工芸運動と版画)

工芸運動と版画 大正時代末に、柳宗悦、濱田庄司(明治二七-昭和五三 一八九四-一九七八)、河井寛次郎等,により民芸を基準とした新たな工芸運動(民芸運動)が興るが、大川亮(おおかわりょう)(明治一四-昭和三三, 一八八一-一九五八 平賀町)はそれに共鳴し、農閑工芸研究所を設立し、コギン刺しや蔓細工を研究、指導した,工藤繁造(くどうしげぞう)(明治三三-昭和一一 一九〇〇-一九三六 つがる市)らと協力して、郷土の民芸工芸振興,第六回日本創作版画協会に版画『焼け跡風景』を出品、本県では初の版画での中央の美術団体に入選を果たした。 / 工芸運動と版画
通史編5(近・現代2) (昭和の美術団体)

昭和の美術団体 また、竹森節堂も、この六花会から東奥美術社に至る活動の中で重要な役割を果たした。,昭和四十四年(一九六九)には、黒滝大休らが日本画、洋画、彫塑、書道、工芸、写真、デザインの七部門からなる,「弘前美術作家連盟」を設立、毎年秋に弘前美術展を開催している。   / 昭和の美術団体
通史編5(近・現代2) (戦後美術界の復興)

戦後美術界の復興 疲弊しきっていた青森県人に追い打ちをかけるように、昭和二十年(一九四五)七月二十八日深夜,それまで年一回の美術展を開催し続けてきた東奥日報社も、昭和二十年と二十一年の秋の東奥美術展の開催は見合,ただ一つ、弘前の美術団体国土社だけは、この秋も公募展を開催、戦後の県内の美術活動の記念すべき第一歩を記,財団となった日展は日本画、洋画、彫塑、工芸、書の各分野を包括する我が国最大の美術団体として、現在も大規模,な美術展を年一回東京の上野で開催している。 / 戦後美術界の復興
通史編5(近・現代2) (東京美術学校と弘前の作家たち)

東京美術学校と弘前の作家たち 一方、国内では各方面から美術教育機関設置の要望の声が起こり、それにこたえて,、明治二十一年(一八八八)、東京美術学校(東京芸術大学の前身)が設置され、日本画、木彫、伝統工芸の各科,明治も終わりごろになると、本県からも東京美術学校に入学する若者たちが出てくるようになる。,彼らは、美術学校で学んだ当時の最新の知識や作品を故郷に持ち帰り、大正期の本県の美術界を大きく牽引していく,継続し、日本の美術界の中心に位置する団体となるのである。 / 東京美術学校と弘前の作家たち
通史編3(近世2) (概観)

概観 藩政時代の美術工芸については大きく三つの問題にまとめられよう。,、藩主やお抱え絵師たちの画業と、藩が発注・下賜・贈与を通して城内および江戸の藩邸に所持していた公的な美術工芸品,とは直接かかわらない、ねぷた絵や凧絵、さらに陶芸や玩具、祭礼の装飾や衣装、こぎんなど民間のさまざまな美術工芸,また藩の画事や蔵品に関する包括的な検討は未着手で、他藩のそれらと比較したり、近世日本の美術史にどう位置,第二の点については、青森県民藝協会や弘前市立博物館などが過去に行ったいくつかの展覧会以外に、特に弘前の美術工芸
通史編5(近・現代2) (博物館の設置)

鉄筋コンクリート造一部二階建てで、館内施設は展示ホール、歴史・共用・美術工芸・特別展示室、美術ギャラリー,博物館は「知と美の調和」を基調に、津軽の歴史、美術工芸、その他の資料の収集、保管、展示を行い、広く一般
通史編3(近世2) (津軽と「津軽塗」)

しかし、『明治期万国博覧会美術品出品目録』(横溝廣子著 一九九四年 中央公論美術出版刊)には、明治六年,明治十年(一八七七)十二月、黒川真頼は、フランス万国博覧会にわが国の工芸品を出品することを目的に、工芸,の起源や興隆をまとめ『工芸志料』として出版した。
通史編5(近・現代2) (国内外の博覧会)

などの国が主催する内外の博覧会は、開国まもない日本と世界を結ぶ窓口となった場であると同時に、一方で明治美術,これにより、ヨーロッパでの日本の美術工芸への関心を一気に高め、その後の日本への評価を固めることになった,以下、明治期に開催された万国博覧会の美術・工芸の出品を列挙すると、明治九年(一八七六)のフィラデルフィア,のざわじょよう)(慶応元-昭和一四 一八六五-一九三九)が日本画「夏山夕景」、木通蔓(あけびづる)細工などの工芸分野,このように万国博覧会への本県の参加状況は津軽塗や木通蔓細工等の工芸の分野がほとんどを占め、美術の分野では
通史編1(自然・原始) (漆)

は、大正末期から昭和初期に八戸市是川の中居遺跡で認められ、そのすばらしい品々の内容が高く評価されて、美術工芸
通史編3(近世2) (塗師の知恵が支えた漆芸)

塗師の知恵が支えた漆芸 漆工技術の面では、年代を重ねることで蒔絵や変わり塗の技法が上達・進歩し、美術的,本家にて青海塗をよくす」と書かれるまでに発達したもので、唐塗や青海波塗などの技法は津軽における漆工芸の
通史編5(近・現代2) (故郷(くに)を思う心)

産業組合運動の先駆者として有名な相馬貞一(ていいち)の三男として生まれ、柳宗悦(やなぎむねよし)の民衆的工芸論,もっとも、相馬の活動は民芸という美術工芸の分野で花開き、棟方志功を通じて世界につながり、一戸らの活動は
通史編3(近世2) (変わり塗と池田源兵衛)

延宝六年(一六七八)ころ、金沢藩の細工所で展開されていた漆工芸を知り得る貴重な資料に『百工比照(ひゃくこうひしょう,)』(一九九三年 石川県立美術館刊)がある。
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

石器時代の日本』(築地書館) 1960年6月 *58 山内清男 『縄文式土器総論』(講談社日本原始美術,(4)-大山椒魚と蛇と思われる土製品-」(古代文化45-8) 1993年8月 *88E サントリー美術館,*106 *94に前掲 *107 音喜多富寿 「県重宝・二ッ森遺跡出土品」(図録青森の文化財 美術工芸品,日本の発掘』(東大新書45) 1963年3月 *145 甲元真之・山崎純男 『弥生時代の知識』(東京美術考古学,弥生時代・弥生文化』(世界考古学事典 上) 1979年2月 *146B 関俊彦 『弥生土器の知識』(東京美術考古学
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

弘前市蔵 25 弘前市教育委員会図版提供 26 弘前市教育委員会蔵 27 洛中洛外図屏風池田本 林原美術館蔵, 弘前市立博物館蔵 45 関ヶ原合戦図屏風 大阪歴史博物館蔵 46 諸将旌旗図屏風 静岡市立芹沢銈介美術館蔵,22 『目で見る津軽の歴史』76頁 昭和55年 弘前市立博物館刊 表23 作成 表24 『津軽の伝統工芸
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

……  623     三 武芸―剣術・馬術・槍術・弓術・炮術― ……………  630     四 美術,・工芸 ………………………………………………  638   第三節 宗教と信仰 ……………………………
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