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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(耕春院)
耕春院
耕春院
(こうしゅんいん)(現宗徳寺)は、「長勝寺並寺院開山世代調」によれば、曹洞宗現空派に属 /
耕春院
通史編3(近世2)
(川龍院)
川龍院 川龍院(せんりゅういん)は、寛永二年(一六二五)、石川村(現市内)に
耕春院
五世𡧩
通史編3(近世2)
(盛雲院)
乳井氏が建立し、本寺は三ツ目内村(現南津軽郡大鰐町)の金竜寺であったが、後に
耕春院
末寺となった。
通史編3(近世2)
(正伝寺)
開山には
耕春院
八世中厳を推し、竜岩は二世となった。
通史編3(近世2)
(常源寺)
曹洞諸寺院縁起志」は、三ツ目内村(現南津軽郡大鰐町)の金竜寺の末寺であったが、金竜寺が衰退するに及んで
耕春院
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
満蔵寺 同右
耕春院
弘長年間 (一二六一~六四) 平時頼 常陸阿闍梨 藤先村 (藤崎町) 同右,嶺松院 同右
耕春院
天正十(一五八二) 蒔苗氏 龍外能鑑 蒔苗村 (弘前市) 同右 慶長年間、現在地,鳳松院 同右
耕春院
慶長以前 金庵喜 種里村 (鯵ケ沢町) 同右 慶長年間、現在地に移転。,旧名は
耕春院
。明治五年の焼失後、京徳寺に仮隅。,安盛寺 同右
耕春院
慶長以前 深浦村 (深浦町) 同右 慶長年間、現在地に移転。
通史編3(近世2)
((二)富籤興行)
かみのさか)宮・大円寺・大行院・茶臼館(大行院配下の修験)・本行寺・東照宮神主山辺丹後・心応院・法立寺・
耕春院
,慈雲院は、この金を
耕春院
の普請料と同じように御用達商人へ預け、その利息で寺務に充てたいとした。,
耕春院
は、文政元年(一八一八)に焼失しており、同四年に富籤発行が認められ、慈雲院・
耕春院
が富籤の益金を
通史編3(近世2)
(金木屋日記にみえる衣服)
二十九日、午前六時すぎ大道寺家へ行き朝飯を相伴し、それから一緒に
耕春院
(こうしゅんいん)(現宗徳寺、市内西茂森一丁目,礼服では六月二十九日に
耕春院
へ家老大道寺と一緒に参詣した際は裃を着用していた。
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
また、為信は実父守信の菩提寺として
耕春院
(こうしゅんいん)(現宗徳寺(そうとくじ))、そのほか、最勝院
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
新屋敷は上白銀町、大行院門前・長勝寺山内・同門前・
耕春院
門前は西茂森町、裏門前は茂森新町、貞昌寺門前・
通史編3(近世2)
(二代信枚)
長勝寺構(ちょうしょうじがまえ)をつくり、長勝寺を中心にした上寺(うわでら)には岩木山麓の西根から、
耕春院
通史編3(近世2)
(城下での生活)
二十三日、今朝、隣松寺(りんしょうじ)(現市内西茂森二丁目)・
耕春院
(こうしゅんいん)(現宗徳寺、市内西茂森一丁目,昼ころ長勝寺(ちょうしょうじ)(現市内西茂森一丁目)・
耕春院
(こうしゅんいん)の僧侶が参り、しばらく話,昼飯後、長勝寺・
耕春院
・隣松寺の僧侶が来訪、午後十時すぎまで相談し帰っていった。
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
蓬田村 (27) 宗禅寺 同右 同右 荒川村 (28) 全龍寺 曹洞宗 長勝寺 蓮川村 (29)
耕春院
,同右 賀州宗徳寺 天正年中 (30) 常源寺 同右
耕春院
永禄六年 (31) 天津院 同右 常源寺,33) 宝泉寺 同右 同右 深浦町ヵ (34) 東福寺 同右 同右 小湊 (35) 藤先寺 同右
耕春院
,天正年中 (36) 泉光院 同右 藤先寺 (37) 安盛寺 同右
耕春院
(38) 盛雲院,(40) 万蔵寺 同右 同右 (41) 梅田村庵 同右 万蔵寺 (42) 鳳松院 同右
耕春院
通史編3(近世2)
(藩政中期四代信政)
寺社領については、明暦三年(一六五七)の検地帳が
耕春院
(現宗徳寺)と藤先寺(とうせんじ)に現存するところをみると
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
津軽郡第二〇区内小一区 上銀丁 新屋敷 茂森町 宇庭光海及
耕春院
并元門前 長勝寺々中一円 同元門前
通史編3(近世2)
(藩政後期)
現高照神社)祭司役後藤兵司(ごとうへいじ)は藩主から寄進された寺社禄を取り上げたことを痛烈に批判し、
耕春院
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
熊野宮、および神職の住む禰宜町(ねぎまち)、伊勢大神宮(神明宮)、西には浄土宗の誓願寺、南西には長勝寺・
耕春院
通史編3(近世2)
(居開帳)
これまでも、長勝寺・
耕春院
から依頼があった。②毎月十八日は藩士・町人の参詣があり開帳してきた。
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