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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (肉食と牛乳)

肉食と牛乳 いわゆる「文明開化」の標語とともにいち早く流行して、在来の食生活に革新的な変化を持ちきたしたものは,、実に肉食の風習であった。,根ざすところが信仰だけに、明治の末から大正になって、肉食が一般化してからでもなおこうした禁忌が人の心を,このように開化の象徴とまで騒がれた肉食流行の新しい風習が、ほどなく弘前にも波及するようになった。,そして、牛乳の普及も、また、肉食の場合と同様に、やがて軍隊の設置によって急増する需要と、これに続く洋食流行 / 肉食と牛乳
通史編2(近世1) (飢饉の惨状)

津軽領の史料で代表的な「天明卯辰日記」によると、天明三年十月には愛児を殺害して食したなど、早くも人肉食,村人内部での殺人・強盗、人肉食が多く語り継がれており、牛馬や人肉を食べて辛くも生き延びた者の話も同書に,しかし人肉食いにとどまらず、些細な盗みでも殺される私刑が横行し、藩も事実上黙認の状態であった。
通史編1(古代・中世) (蝦蛦)

族長としてその名が知られる恩荷(おが)は、阿倍比羅夫に降伏した際に、弓矢の所持は官軍に対してではなく、肉食生活,このように、当時のエミシは、弓術に巧みであってそれによって肉食で生活を維持し、また山地居住であることが
通史編2(近世1) (天保飢饉と一揆・騒動)

と一揆・騒動 七年余り続いた天保の飢饉だが、天明の飢饉のように短期集中型の被害でなかったせいか、人肉食
通史編1(古代・中世) (斉明天皇四年の「北征」)

恩荷は先に述べたように、弓矢をもつ理由が大和政権に反抗するためではなく、肉食のためであることを説明して
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