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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (胆沢築城)

胆沢築城 こうした戦果を踏まえて、翌延暦二十一年(八〇二)正月、ついに賊地の拠点の真っただ中に、胆沢城,古くから「方六(ほうろく)町」といわれた痕跡を残している場所があり(水沢市佐倉(さくら)河)、そこが胆沢城,写真48 胆沢城跡(岩手県水沢市)  駿河・甲斐・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野,といった一〇ヵ国から、四〇〇〇人もの浮浪人が胆沢城へ送り込まれている(史料二五七)。  ,写真49 胆沢城跡出土漆紙文書 延暦21年6月玉造軍団より胆沢城にあてられたもの。  
通史編1(古代・中世) (鳥海柵落ちる)

先にも触れたが、鳥海柵は、鎮守府胆沢城と目と鼻の先である。,頼義は胆沢城には何度も来ていたのに、この鳥海柵にはこれまで入ったことがなかったらしい。
通史編1(古代・中世) (安倍氏の柵)

とのみ)柵(写真62)は安倍氏の重要拠点の一つであるが、その場所は、坂上田村麻呂によって鎮守府の置かれた胆沢城,と目と鼻の先にあり、土塁・堀・曲輪などの構造は、胆沢城との結びつきの深さを示しているという。
通史編1(古代・中世) (鎮守府将軍源頼義)

頼義は鎮守府の公務を行うために、胆沢城に入った。
通史編1(古代・中世) (陸奥・出羽の在庁官人たち)

陸奥側では胆沢城(田村麻呂の時代に鎮守府が多賀城から移された)の鎮守府将軍が、出羽側では秋田城の出羽城介
資料編1(古代・中世編) ([九世紀])

●延暦二十一年(八〇二)正月九日、坂上田村麻呂、胆沢城を造営。,●延暦二十一年(八〇二)正月十一日、東国などの浪人四〇〇〇人を胆沢城に移配。
資料編1(考古編) ((4)漆器・木器生産)

東北地方においても供給・使用されている遺跡は、秋田城・胆沢城などの古代の城柵や官衙遺跡、あるいはそれと
通史編1(古代・中世) (延久蝦夷合戦の実相)

しかも、前九年合戦を契機に出羽城介が任命されなくなり、陸奥国胆沢城に置かれた鎮守府が出羽国秋田城をも管轄
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 日本紀略 56 ●延暦二十一年(八〇二)正月九日、坂上田村麻呂、胆沢城を造営,………………………… 日本紀略 56 ●延暦二十一年(八〇二)正月十一日、東国などの浪人四〇〇〇人を胆沢城
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