機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 25件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編4(近・現代1)
(保守派との合同団結)
いよいよ
自由民権
派が政治権力の中枢に登場して来たので、県政界は緊張の極みに達した。,中央では十月十二日に国会開設の詔が出され、全国の
自由民権
派が躍進し、政党結成の気運が盛り上がっていた。,しかし、この青森県発展への妙手の山田案は、キリスト教を憎み、
自由民権
に反対する固陋(ころう)の弘前士族
通史編4(近・現代1)
(県内遊説)
第一回卒業生伴野雄七郎は中村敬宇の同人社に学び、明治十二年に帰ってきて中央の
自由民権
運動の動きを伝えた,本多は菊池九郎とともに
自由民権
運動を推進することを決意し、明治十三年一月、田中耕一、出町大助、伴野雄七郎,三戸地方へは岩手県の
自由民権
運動の指導者鵜飼節郎たちも遊説に来ている。
通史編4(近・現代1)
(三 東奥義塾とキリスト教)
東奥義塾は旧藩学校を継承して設立され、津軽地方の教育体制の中心であったとともに、同地方ヘキリスト教や
自由民権
運動
通史編4(近・現代1)
(蝦夷の月)
故郷を政治によって救おうとした
自由民権
家本多庸一に希望を与えてくれたのは山田秀典だった。,ふと古い
自由民権
運動の仲間を思った。旅の帰りに盛岡に立ち寄った。
通史編4(近・現代1)
([口絵])
近代の夜明け† 口絵1 明治初年の弘前城 口絵2 岩木橋と岩木山 †東奥義塾と
自由民権
運動,口絵4 塾長本多庸一 口絵5 外国人教師ジョン・イングを囲んで 口絵6
自由民権
運動
通史編4(近・現代1)
(私学東奥義塾の終焉-公立への移管)
さらに東奥義塾は
自由民権
運動やキリスト教普及の拠点にもなった。 ,
自由民権
の思想とキリスト教。東奥義塾が真っ向から攻撃されたのは、この二つである。
通史編4(近・現代1)
(東奥共同会の設立)
(一八八二)十一月、青森県会議員で東奥義塾塾長の本多庸一は旧藩主の津軽家に次の書面を送って、それまで
自由民権
運動,これは、本多ら東奥義塾のグループが東奥共同会を作って
自由民権
運動を進めたことに対する弘前の保守士族の反撃,公選議員による第1回県会開催さる 8 町村会規則布達 ▲ 菊池・本多ら共同会を創設し、
自由民権
運動
通史編4(近・現代1)
(東奥義塾の啓蒙活動)
自由民権
運動は、明治七年一月十七日、野に下った前参議板垣退助、後藤象二郎らが民撰議員設立建白書を左院に,から十四年まで-十二歳から十八歳まで在学した木村繁四郎(はんしろう)(高名な教育者)は「十年の戦役後、
自由民権
通史編4(近・現代1)
(組合町村制)
組合町村制 ともあれ、
自由民権
運動に対する政府の弾圧政策は、地方自治の上では官選戸長制に逆行し、組合町村制
通史編4(近・現代1)
(陸奥立憲帝政党の結成)
陸奥立憲帝政党の結成 明治十六年(一八八三)一月の『東京日日新聞』は弘前の反
自由民権
グループの動きと
通史編4(近・現代1)
(弘城政社の衰退)
自由民権
運動以来、本県大同派の指導者として国政・県政・郡政に活躍、連続当選し、衆議院の全院委員長を務め
通史編4(近・現代1)
(郷田県令と保守派)
郷田県令と保守派 弘前の東奥義塾グループによる
自由民権
運動参加への呼びかけは、彼らに悲憤慷慨の士が多
通史編4(近・現代1)
(弘前の紛紜の始まり)
弘前の紛紜の始まり 明治十四年八月十一日、中津軽郡長笹森儀助は、青森県令に
自由民権
の結社共同会に官吏,県会で本多を押さえたのは、
自由民権
運動を県下に推進するときに同志になった七戸の山田改一だった。
通史編4(近・現代1)
(普選運動の胎動)
期成同盟会には、
自由民権
派の政客や弁護士、新聞記者がいたが、のちに社会主義研究会、労働組合の主要メンバー
通史編4(近・現代1)
(電信事業)
当時は、
自由民権
運動の高揚に伴い、電信事業が治安対策上の有力な手段として見なされ、普及していったのである
通史編4(近・現代1)
(町道場の設置)
時の
自由民権
運動に馳せ参じた者もいたが、総じて無気力な空気が大勢を占めていた。
通史編4(近・現代1)
(地租増徴問題と青森県)
このとき、弘前出身で
自由民権
運動以来の政党指導者菊池九郎は憲政本党で、山県内閣と憲政党の星亨を批判して
通史編4(近・現代1)
(騒動の発端)
況(いわ)んや弘前士民の如きは是れ迄
自由民権
の説を主張し、国会開設の請願に、自由党の結成に、国事に奔走
通史編4(近・現代1)
([付図])
巡幸〈明治9・14年〉 5 文明開化〈明治10年頃〉ジョン・イングと教え子 6
自由民権
運動
通史編4(近・現代1)
(第一回通常県会)
明治十三年から十四年にかけて、
自由民権
運動が全国的に最高潮となった。
通史編4(近・現代1)
(遊説の影響)
したから流石(さすが)に国会開設請願運動以来、永き惰眠を貪りつつあった我が青森県人士も漸く覚醒して昔時の
自由民権
思想
通史編4(近・現代1)
(弘前の紛紜の裏面)
自由民権
派はこの紛紜事件で保守派の大反撃を受けたが、しかし、明治十五年十月の県会半数改選の選挙で、中津軽郡
通史編4(近・現代1)
(ジョン・イングの貢献)
だけではなく教師も入っており、「討論」のテーマには地域振興や政治的なものも含まれたことから、同校を拠点とした
自由民権
運動
通史編4(近・現代1)
(新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)
… 2 二 明治初期の制度改正と弘前 ………………………………… 10 第二節 士族の動向と
自由民権
運動,……… 30 一 弘前不平士族 ………………………………………………… 30 二 津軽の
自由民権
運動,-本多庸一を中心に- ……………… 34 三 反
自由民権
グループ ………………………………………
通史編5(近・現代2)
(新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)
現代1)目次 第一章 明治前期の弘前 第一節 近代自治制度と弘前 第二節 士族の動向と
自由民権
運動
/ 1ページ