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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (岩木川舟運)

岩木川舟運 岩木川は津軽地方の中心を南から北に流れる内陸輸送の大動脈の役割を果たし、さまざまな物資が,によれば、三世寺と板屋野木からの十三への下げ米を積荷状のとおり見届けるようにとの指示が出されており、舟運,は下がるが、元禄四年(一六九一)に鰺ヶ沢に陸路で運ばれた年貢米が四万五〇〇〇俵余であったのに対して、舟運,一方、米以外に舟運で運ばれたものには材木があり、寛文八年(一六六八)五月七日付の三世寺御横目衆宛ての布達 / 岩木川舟運
通史編2(近世1) (西廻海運と領内の整備)

十三小廻(とさこまわ)し」体制の成立がその一つであるが、これは、岩木川流域の津軽の穀倉地帯からの米穀が、舟運,(くらもの)の上方廻漕によって積み荷が急増したため、おおよそ寛永から寛文期ころに藩船を利用する岩木川舟運機構
通史編2(近世1) (近世の十三湊)

、「川湊(かわみなと)」(正保・承応年間にはすでに「川湊」と称される湊へと変貌していた)として岩木川舟運
通史編2(近世1) (町年寄の由緒)

これらの開発に従事した松井家は、津軽氏の領国形成に不可欠の要素であった、岩木川舟運・十三湊、ひいては、
通史編2(近世1) (十三小廻しの成立と町の盛衰)

十五ヵ条からなる「覚」には細部にわたった規定が盛り込まれているが(『御定書』三五)、なかでも、岩木川舟運,つまり、藩にとって、米・材木を運漕する、津軽平野の大動脈である岩木川舟運の終着地としての十三湊の重要性
通史編2(近世1) (豊臣政権の奉行衆)

治部様(石田三成)御意向之由也」とあるように、太閤蔵入地として設定されたのは、農業生産力が高く、しかも舟運
通史編1(古代・中世) (奥州惣奉行葛西清重)

牡鹿郡の牡鹿湊は、太平洋ルートの物資を北上川舟運を通じて平泉に運ぶ要衝で、平泉での生活を維持する生命線
資料編2(近世編1) (【解説】)

津軽領の湊は、青森・鯵ヶ沢の両湊が中心であり、城米は直接両湊へ駄送したほか、岩木川舟運を経て、十三(とさ
通史編3(近世2) (商社の活動内容)

また、十三湖は岩木川舟運(しゅううん)の海の玄関口であり、津軽半島の新田地帯と密接につながっていたが、
通史編2(近世1) (江戸時代初期の大名課役)

銚子は舟運によって運ばれてきた東北からの物資が集まる、いわば江戸の外港といってよい港となるが、幕府としては
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

一 青森開港と初期海運 …………………………………………  210   二 陸上交通網の整備と岩木川舟運
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