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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (奥羽大名の名護屋参陣)

誓紙一巻(せいしいっかん)」(東京国立博物館蔵)と称される史料には、彼ら大名衆と秀吉の側近衆などの署名と花押,誓紙の中に、津軽為信・南部信直らの署名と花押が認められ、蒲生氏郷(がもううじさと)・最上義光(もがみよしあき,)・秋田実季(あきたさねすえ)をはじめとする奥羽地方の大名・武将たちがおおむね花押を据えて秀吉に誓約をした,図16.誓紙一巻(上)と為信の署名と花押(左)  前述のように、三月に下命された晋州城攻撃に編成,渡海中止の直後に、各武将に誓紙へ花押を据えさせることで綱紀の引き締めと士気の高揚を企図したのではなかろうか
通史編2(近世1) (鷹献上による豊臣政権との折衝)

図4.蒼鷹  天正十八年(一五九〇)正月十六日と推定される津軽左京亮へ宛てた、豊臣秀吉の花押を据,次いで天正十八年正月二十八日の南部右京亮に宛てた、織田信雄(おだのぶかつ)の花押を据(す)えた書状(資料近世,天正十八年四月十日の豊臣秀次の花押を据えた判物(資料近世1No.一〇)は、南部右京亮の鷹献上に対する謝辞
通史編1(古代・中世) (三 中世寺社の存在形態)

仍堺内住人等敢不可違失之状如件、   貞応二年十二月六日                   僧栄秀(花押,任此状可致沙汰之状如件、   ((北畠顕家)花押)         建武二年正月廿七日 津軽平賀郡岩楯郷給主曾我太郎光貞謹言上,身之欲不可持候也、仍為後日永代寄進之状如件、    康永四年九月 日     乳井寺日行別当信乃房季源(花押
通史編1(古代・中世) (所領の経営)

なおこの結解の最初に据えられた花押は得宗家の内管領長崎高資のものである。
通史編1(古代・中世) (二 津軽の修験道と神社)

殿中安穏、心中所願皆令満足、奉祈申所之願書之状如件、   応仁弐年つちのへね二月廿八日 安東下野守師季(花押,仍為後日売券之状如件、   文明七年十二月四日                              良慶(花押,違乱妨出来候共、本所(主ヵ)として道遣可申候、仍永売券如件、   文亀三年十月廿四日       弾正重豊(花押
通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

北条時頼袖判盛阿奉書」(写真145・史料五七一) 写真145 北条時頼袖判盛阿奉書 (一)   花押,一二四二)十月一日 沙弥成阿奉 曽我五郎(惟重)二郎殿   「北条時頼下文」 (二)    花押
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

たとえば、領知高一〇万石以上および四位侍従以上に叙任されている大名に対しては将軍の花押を据えた判物が発給
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

      正喜元丁巳年         八月十三日                 道崇(花押
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