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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(建坪と住宅平面図)
図98.堀口安兵衛宅平面図 現存する藩士の住宅には旧岩田家住宅(県重宝)がある(現市内
若党町
(,この家は寛政十年(一七九八)~文化三年(一八〇六)の間に、
若党町
のこの地に建てられたものと推定され、それ,このほかに
若党町
には、旧梅田家住宅や旧伊東家住宅が、近年保存のために移築されている。
通史編3(近世2)
(紙漉八右衛門)
慶安二年(一六四九)ころの「弘前古御絵図」(弘図津)の御徒(かち)町(現市内
若党町
)に紙漉八右衛門の屋敷
通史編5(近・現代2)
(北辰堂規則)
そのことを憂いた有志が禍(わざわ)いを未然に防ぐために「学術研究ノ目的ヲ以テ我が四部内、即チ
若党町
ヲ中心
通史編4(近・現代1)
(学区の改変)
新設の亀甲小学学区は、亀甲町、田茂木町、田町、小人町、
若党町
、春日町、禰宜町、馬喰町、長坂町、笹森町、
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
百石町小路 田町 田茂木町 禰宜町 笹森町 長坂町 蔵主町 大浦町 亀甲町 小人町 馬喰町 春日町
若党町
,富田町、普光寺跡門前は住吉町、和徳足軽町・薬王院・薬王院門前町は和徳町、座頭町は小人町、神明宮社家は
若党町
通史編3(近世2)
(寛政期の城下)
弘前城下史料』上)によれば、城南では在府町後通りと同新割町、城西では馬屋町・新町・鷹匠町・五十石町、城北では
若党町
,その受け入れ先になったのは、元寺町・蔵主町・在府町・相良町・馬屋町・百石町・笹森町・長坂町・森町・
若党町
通史編4(近・現代1)
(時敏小学校の創設)
第四学区は十七年の学区改正以前には亀甲学区(笹森町、長坂町、蔵主町、大浦町、田町、田茂木町、禰宜町、
若党町
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
岩庭近正 笹森町 長坂町 蔵主町 大浦町 田茂木町 禰宜町 田町 石川行正
若党町
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
北には水の防御はないが、足軽町・歩者(かち)町(
若党町
)・小人町があって防御を固めている。 ,足軽町(現
若党町
と在府町)、小人町(現小人町、笹森町、長坂町)、歩者(かち)町(現
若党町
)、侍町(現四
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
○上鞘師町、下鞘師町、元寺町小路、下白銀町、笹森町、長坂町、蔵主町、大浦町、田町、田茂木町、禰宜町、
若党町
通史編5(近・現代2)
(四 民謡)
こうした時代の潮流の中で、弘前市
若党町
生まれの竹内運平(たけうちうんぺい)(翆泉(すいせん))(明治一四
通史編4(近・現代1)
(校風刷新なる)
(中略)和久校長は朝の出勤が非常に早く
若党町
のはずれの寓居からテクテクやって来て、校長室に座りこみ、先生方
通史編2(近世1)
(土着策と弘前城下)
江戸町への通り・袋宮寺山道・五十石町の上細小路・五十石町の北詰め行き止り・五十石町より袋宮寺へ通り・
若党町
,一〇〇石以上金一五両以上の藩士が居住していたのを、御目見得以上の藩士に屋敷を与えることとし、代官町・
若党町
通史編3(近世2)
(「ねぷた」の運行)
ねぎまち)・田茂木町(たもぎまち)・田町(たまち)・大浦町(おおうらまち)・笹森町(ささもりちょう)・
若党町
通史編5(近・現代2)
(見直したい弘前市の記録)
土手町、鍛冶町をはじめ、代官町、桶屋町、百石町、親方町、紙漉町、紺屋町、
若党町
、五十石町、元大工町、元寺町
通史編4(近・現代1)
(第五十九国立銀行の創設)
第三大区一小区陸奥国津軽郡相良町二十七番 松野幹 印 青森県士族 第三大区一小区陸奥国津軽郡
若党町
百一番
通史編1(古代・中世)
([付図])
255 加茂神社境内遺跡 小友字宇田野458の1ほか 境内・山林 〃 〃 256 平清水窯跡 小人町・
若党町
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