機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 46件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編3(近世2)
(紙漉八右衛門)
また絵図には、
茂森町
裏の西斜面、西
茂森町
裏の北斜面に楮畑が記されている。
通史編5(近・現代2)
(タクシー事業の進展)
往復十五銭、片道八銭として実施する模様で、乗車賃値下げと共に車の運転系統を従来の駅中心から離れて駅から
茂森町
,、和徳町から
茂森町
と縦横に定め、乗換券を発行し、乗換場を二ヵ所ぐらい設定するはずである。
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
宮崎文蔵 元大工町 森町 覚仙町 塩分町 元長町 上白銀町 打越(うてつ)永吉
茂森町
, 西
茂森町
成田俊蔵 茂森新町 古堀町 古堀新割町
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
新鍛冶町 北川端丁 南川端丁 銅屋町 桶屋町 新寺町 北新寺町 新寺町新割丁 茂森新丁 古堀新割丁 西
茂森町
, 古堀丁
茂森町
在府丁 相良丁 覚仙丁 森丁 塩分町 土手町 住吉丁 山道丁 紙漉町 新品川町 品川町,新屋敷は上白銀町、大行院門前・長勝寺山内・同門前・耕春院門前は西
茂森町
、裏門前は茂森新町、貞昌寺門前・
通史編5(近・現代2)
(スーパーマーケットの登場)
37.11.28 〃 スーパーイシザキ 土手町162 36.10.27 〃 〃 茂森店
茂森町
,38.11.3 食品・総合衣料 カナモリ 土手町156 36.7.1 総合衣料 佐藤源フードセンター
茂森町
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
学校名 等科 本町学区 一 ○本町、在府町、相良町、元大工町、森町、覚仙町、塩分町、上白銀町、元長町、
茂森町
,、西
茂森町
、茂森新町、古堀町、古堀新割町、新寺町、北新寺町、新寺町新割町 朝陽 中初 土手学区 三
通史編4(近・現代1)
(学区の改変)
白銀小学学区は、鷹匠町、江戸町(現中新町地区)、西大工町、駒越町、馬屋町、
茂森町
、片堀町(旧古堀町)、
通史編3(近世2)
(質屋の利用)
元禄三年(一六九〇)の「松井四郎兵衛留書」では、本町・亀甲町(かめのこまち)・
茂森町
(しげもりまち)・
通史編4(近・現代1)
(芝居小屋と寄席)
芝居小屋と寄席 明治以来、市民に親しまれた芝居小屋として元寺町の柾木座と
茂森町
の茂森座があり、ともに
通史編4(近・現代1)
(弘前総町聯合会)
この理由は、
茂森町
坂工事は到底予算内では実効を期しがたく、後年度に根本的改良を加えるとしている。
通史編3(近世2)
(歌舞伎)
この場所が青森県弘前市俯瞰地図(資料近・現代1 付図)の森町と
茂森町
角にあり、茂森座の前身とみられる。
通史編3(近世2)
(消防制度)
てらまち)・蔵主町(くらぬしちょう)・亀甲町(かめのこまち)・紺屋町(こんやまち)・馬屋町(まやちょう)・
茂森町
,御蔵町(おくらちょう))、新町(あらまち)(新町・駒越町(こまごしまち)・平岡町(ひらおかまち))、
茂森町
通史編4(近・現代1)
(食生活の変化)
三十一年に佐野盈之進が日新堂という牛肉販売店を一番町に開いたが、たちまち元寺町に店を拡張し、また支店を
茂森町
,弘前の夜鷹そばは、その昔、
茂森町
の相久に始まるというが、三十九年には同業者が四十余人であった。,り歩いたものだが、二十六年ごろ駒越の「山寅」が箱に入れ、また、皿に盛って出したものを、三十五年ごろに
茂森町
通史編5(近・現代2)
(禅林街・太平高等学校)
禅林街・太平高等学校 西
茂森町
の禅林街に太平中学があった。
通史編3(近世2)
(塵芥捨場の設置)
(おかちまちかわぞえ)、土手町(どてまち)川添、桶屋町(おけやまち)川添、北横町(きたよこちょう)、
茂森町
土居
通史編3(近世2)
((二)富籤興行)
群集が境内で見物するなか、寺社方・徒目付が立ち会って抽選が行われ、一番は鰺ヶ沢米蔵の人夫与吉、二番は
茂森町
,これにより
茂森町
の芝居小屋を修復し、天保元年(一八三〇)正月から芝居が再演され、同十年にも芝居富が行われた
通史編3(近世2)
(三 八幡宮の祭礼と山車の運行)
平成六年に弘前市の山車会館が完成し、七町会の山車、張良山(本町・親方町・大根山(
茂森町
)・道成寺山(鍛冶町,)・大黒山(本寺町)・文殊山(土手町)・高砂山(東長町)・神楽山(亀甲町・黒石町)・大根山(塩分町・
茂森町
,元文五年(一七四〇)、
茂森町
の山車に踊り子五人・音頭二人・笛吹き一人・三味線二人・小鼓一人、土手町の獅子踊
通史編4(近・現代1)
(その他の会社)
業 種 創立年月 所在地 東北織物株式会社 200,000 100,000 綿布製造 大正9年3月
茂森町
通史編3(近世2)
(憩いの地としての南溜池)
文化十年二月には、在府町・相良町・新寺町・鍛冶町・
茂森町
の子供や家中の召使が、南溜池の「氷渡(こおりわたり
通史編3(近世2)
(幕末期の市域)
常芝居は
茂森町
広居の喜太夫座で開催された。
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
一六九〇)ころ城下で酒屋(酒造業)を営む者は、本町支配で一二人、土手町支配で二二人、和徳町支配で一二人、
茂森町
支配,質屋は本町で五人、亀甲町で五人、
茂森町
で三人、土手町で二人、新町で四人、駒越町で一人、東長町で三人、紺屋町,親方町に一一人、和徳町に一人、土手町に七人、新町に五人、東長町に一〇人、亀甲町に二人、紺屋町に四人、
茂森町
通史編5(近・現代2)
(生活道路の計画)
昭和五十八年度には、新たに市の西部方面から市街地中心部に向かう際の交通渋滞の緩和を図るため、城西団地から
茂森町
,⑥都市計画街路三・四・六号は、
茂森町
から城西団地中央幹線道路交差点までの一〇八〇メートルを事業区間とし
通史編3(近世2)
(神仏分離政策の転換)
増加し、修験者の頭であった大行院(だいぎょういん)も同年四月に復飾して神主となり、天満宮を譲り受け、
茂森町
観音堂
資料編1(古代・中世編)
(一 銅鐘)
護国寺は後に満蔵寺となり、慶長年間(一五九六~一六一五)、弘前藩の寺院政策により西
茂森町
の禅林街に移され
通史編3(近世2)
((三)住居)
(どてまち) 城南―親方町(おやかたまち)・志わく町(しわくまち)(後に塩分町(しおわけまち))・
茂森町
通史編4(近・現代1)
(大正新風俗)
この成功から、偕行社通りに小野千秋堂支店が開店し、宮川菓子店(和徳町)の子供パン・玉子パン、三国屋(
茂森町
通史編5(近・現代2)
(子ども会の動向)
これは二十一年から二十二年にかけて結成されたもので、
茂森町
の「鳳鷹会」(代表蝦名良逸)、南横町の「南友会
通史編2(近世1)
(刑の執行)
誓願寺前(せいがんじまえ)~江戸町(えどまち)(誓願寺に通じる南北に走る道路)~荒(新)町(あらまち)~
茂森町
通史編3(近世2)
(宝暦期の城下)
)には、本町支配・親方町支配・鍛冶町支配・土手町支配・富田町支配・楮町支配・東長町支配・和徳町支配・
茂森町
支配
通史編3(近世2)
(神事能)
宝暦四年(一七五四)には地謡の町役が免除され(同前)、天明五年(一七八五)には
茂森町
に屋敷を持つ西岡伝之助
通史編5(近・現代2)
(故郷(くに)を思う心)
(一九三六年五月三十日『ねぷた』より) 写真78 大正期の西
茂森町
禅林街 一戸謙三の生家
通史編4(近・現代1)
(町財政の展開)
土木費 此精算額ヲ以テ予算額ニ比スレハ、金百拾四円四拾七銭九厘ヲ減少セリ、然ル所以ノモノハ、
茂森町
坂工事施行
通史編3(近世2)
(藩営紙漉座と蘭医星弘道)
一八六九)二月四日、非常の大赦によって釈放され、十一日、楮町の古川吉五郎宅で六十五歳の生涯を閉じ、西
茂森町
泉光院
通史編2(近世1)
(町方支配)
そして、これら小遣への給銭を出す町内は、本町(ほんちょう)・東長町(ひがしながまち)・土手町・
茂森町
・
通史編3(近世2)
(拡大する風儀・治安の乱れ)
文久元年(一八六一)十一月の夜、虎三郎(姓は不明)という武士が
茂森町
(しげもりまち)の隣り覚仙町(かくせんちょう
通史編4(近・現代1)
(町並みの推移)
123 市中の風俗 (明治38年「弘前風俗画報」) また、和徳町、松森町、駒越町、浜ノ町、
茂森町
通史編4(近・現代1)
(肉食と牛乳)
また、舘山に五年後れて、明治十七年八月に長尾富士麓が
茂森町
に牛乳店を開いている。
通史編5(近・現代2)
(相次ぐ水害と商店街)
製造業 その他 小売業 卸売業 計 茂森新町 20 - 20 3 1 4 5 11 40,430
茂森町
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
津軽郡第二〇区内小一区 上銀丁 新屋敷
茂森町
宇庭光海及耕春院并元門前 長勝寺々中一円 同元門前
通史編4(近・現代1)
(地主制の確立と在村地主の役割)
弘前市-玉田惣次郎(
茂森町
)・山内勘三郎(富田新町)・石崎金蔵(和徳町)・菊池定次郎(東長町)、清水村
通史編5(近・現代2)
(小売業の動向)
⑨
茂森町
商店街・・店舗のはりつきがまばらで、人通りも少なく活気に乏しい。
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
なぜか煙草屋は
茂森町
に集中していた。
通史編4(近・現代1)
(日露戦後の工業)
151,190 酒造業 富田村9 福嶋藤助 146,560 同 桶屋町34 佐藤才八 115,320 同
茂森町
通史編4(近・現代1)
(明治二十年度予算審議)
無益ナリ 本員ハ大体ヲ不可トセン即チ本項ヲ刪除セン 六番寺井純司 本員ハ拾七番同然大体ヲ不可トス
茂森町
坂改良
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
より同新土手鍛冶町境まで) 東長町(笹森町へ入口東角より和徳町坂の下まで) 亀甲町,紺屋町,新町,
茂森町
通史編5(近・現代2)
(藤森市政の財政)
四十五年度には和徳小学校横に歩道橋、
茂森町
・和徳町・東和徳町・中央通りに歩道が設置された。
/ 1ページ