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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(古代・中世編)
(二 乳井茶臼館の歴史)
二 乳井
茶臼館
の歴史 乳井
茶臼館
がいつ造られたのかについては定かでない。,福王寺門前集落(寺内)のすぐ南にそびえる
茶臼館
の立地から考えて、館の築造者はこの福王寺別当乳井氏以外には,乳井
茶臼館
が記録に登場するのは、天正七年(一五七九)のことである。,そして、乳井一帯を占領した下国勢が立てこもった場所として伝えられたのが乳井
茶臼館
であった。 ,その後の乳井
茶臼館
については記録がなく明らかでないが、戦国動乱の終了とともに廃城になったものと思われる / 二 乳井
茶臼館
の歴史
資料編1(古代・中世編)
(一 乳井茶臼館の立地と現状)
一 乳井
茶臼館
の立地と現状 乳井
茶臼館
跡は、弘前市乳井字
茶臼館
・岩ノ上。,
茶臼館
のある丘陵は、「乳井通り」が平野の内部へと入るのを遮るようにそびえており、この地にある中世初期以来,乳井
茶臼館
の規模は、東西一〇〇~二〇〇メートル、南北三〇〇メートル。,乳井
茶臼館
跡の遠景 北西側より撮影 南西側より撮影 図45 乳井
茶臼館
跡周辺の城館跡位置図,乳井
茶臼館
跡周辺の航空写真(昭和40年代撮影) / 一 乳井
茶臼館
の立地と現状
資料編1(古代・中世編)
(三 乳井茶臼館「縄張り」の復元)
三 乳井
茶臼館
「縄張り」の復元 一で述べたように、現在、乳井
茶臼館
跡はその大部分がリンゴ園となり、丘陵全体,(1)分限図(明治二十三年測量) ア、大字乳井字
茶臼館
イ、大字乳井字古堂 ウ、大字乳井字岩,ノ上 エ、大字乳井字外ノ沢 図46 乳井
茶臼館
跡と周辺の分限図 (2)縄張り図及び / 三 乳井
茶臼館
「縄張り」の復元
通史編1(古代・中世)
(詰城の城館跡)
詰城の城館跡 詰城としては、乳井
茶臼館
跡(写真212)や乳井古館跡、笹館跡、隣接町村では相馬村の湯口
茶臼館
跡,乳井
茶臼館
跡にしても笹館跡にしても山頂の頂部に小さな曲輪が設けられ、その曲輪を中心に同心円状の形態で何段,写真212 乳井
茶臼館
跡航空写真
資料編1(古代・中世編)
(五 乳井地区の城館群と宗教的領域)
五 乳井地区の城館群と宗教的領域 二で述べたように乳井
茶臼館
を築いたのは、戦国時代に乳井を本拠とした,東夷調伏」のため毘沙門天を安置し、勅願によって開いた「東奥無双ノ霊場」であり、当初は現在の乳井字古堂(
茶臼館
,乳井地区全体の遺跡を記した図51から分かるように、
茶臼館
・古館・乳井城は、いずれも聖地である乳井神社、,分布 興味深いのは、近世の「乳井通り」=中世の奥大道が、この聖地・乳井の内部に入ることなく、
茶臼館
,乳井
茶臼館
跡周辺の遠景(下図とほぼ同地点より撮影) 『青森県南津軽郡石川町郷土史』より転載
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
四 城館の構造 推定復元される乳井
茶臼館
の縄張りを示したのが図47である。,図47 乳井
茶臼館
縄張り推定復元図 まず曲輪Ⅰ(図48)から見てゆく。,このことから乳井
茶臼館
は、居住機能を持たない、純然たる戦闘用の砦と言ってよいであろう。,
茶臼館
のある丘陵は、中枢部が置かれた山頂(標高一一八メートル)から、北に細長く尾根が伸びて、a地点で終,
茶臼館
西側の斜面には、小さな道路(遺構p)がある。
資料編1(古代・中世編)
(二 本章で取り上げる中世城館跡)
(8)乳井地区 33乳井
茶臼館
(乳井字
茶臼館
・岩ノ上)、34乳井古館(ミヅノエ館、乳井字平山)、35,堀越城跡(弘前市堀越) ④ 国吉館・坂本館跡(弘前市国吉・館後)と東目屋地区の城館群 ⑤ 乳井
茶臼館
跡,最後の⑤乳井
茶臼館
は、ほとんど居住機能がなく、軍事機能中心の砦としての特徴を持つ。,しかもこの乳井
茶臼館
は、天正七年(一五七九)、娘婿の波岡御所北畠顕村を滅ぼされた脇本・檜山城主下国安東愛季
通史編1(古代・中世)
(調査された館)
写真179)・小友館・荼毘(だび)館・独狐(とっこ)館・境関館・堀越城・出間(でま)館・鷹ヶ岡城・乳井
茶臼館
資料編1(古代・中世編)
([付図])
[付図] 石川城縄張り推定復元図 乳井
茶臼館
縄張り推定復元図 大浦城縄張り推定復元図,大光寺小館 31 新館(石川十三館のうち) 97 大光寺古館 32 堀越城 98 大光寺城 33 乳井
茶臼館
,里見館 123 居土観音館 58 紙漉沢館 124 折紙館 59 五所野沢館 125 蔵館 60 湯口
茶臼館
資料編1(古代・中世編)
([口絵])
坂本館跡遠景(南方から,大手正面) 高野館跡付近から見た東目屋盆地 乳井
茶臼館
跡遠景
資料編1(古代・中世編)
(新編 弘前市史 資料編1-2 古代・中世編 目次)
… 五二三 五 東目屋地区の中世城館の特徴………………………………… 五二八 第六節 乳井
茶臼館
跡,と周辺の城館群……………………………… 五三二 一 乳井
茶臼館
の立地と現状……………………………,………… 五三二 二 乳井
茶臼館
の歴史……………………………………………… 五三六 三 乳井
茶臼館
, 参考文献 〈付図〉弘前市及び周辺の中世城館跡 石川城縄張り推定復元図・乳井
茶臼館
縄張
通史編1(古代・中世)
(安藤愛季の津軽侵略)
北畠弾正・右近慶好(のりよし)(のちに「季」字拝領により季慶と改名)父子は愛季のもとに来て檜山城の西側の
茶臼館
資料編1(古代・中世編)
(一 石川城の立地と現状)
乳井
茶臼館
跡から見た石川城跡 図2 石川城跡位置図 現在、石川城跡のある台地は、東側
通史編1(古代・中世)
(城館タイプの分類)
そしてあくまでも戦闘のためだけに作られた純軍事的な館跡、「軍事型城館跡」として、弘前市乳井
茶臼館
跡
通史編3(近世2)
((二)富籤興行)
興行主は黒石上ノ坂(かみのさか)宮・大円寺・大行院・
茶臼館
(大行院配下の修験)・本行寺・東照宮神主山辺丹後
通史編1(古代・中世)
(堀越城・石川城を中心とした城館群)
石川城周辺の東側に位置する城館では乳井
茶臼館
跡・乳井城跡・乳井古館跡、北側に位置するものでは平賀町の大光寺新城跡
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●北畠弾正・右近慶好父子、浪岡落城後、檜山の下国安東愛季のもとに来りて
茶臼館
に住す。
通史編1(古代・中世)
([付図])
散布地 縄文・平安 50 八幡舘(1)遺跡 乳井字沢田 畑 城館跡 平安 51 八幡舘(2)遺跡 〃
茶臼館
資料編1(考古編)
([付図])
弘前市大字薬師堂 城館跡 歴史 02105 乳井古館 弘前市大字乳井字古堂 城館跡 歴史 02106 乳井
茶臼館
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
愚耳舊聴記・京徳寺過去帳 322 ●北畠弾正・右近慶好父子、浪岡落城後、檜山の下国安東愛季のもとに来りて
茶臼館
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