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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (野本道玄の招聘)

小見山玄益,小泉由己,桐山正哲ほか 神道 北川新次郎,河原岡新右衛門ほか 諸礼 横山嘉右衛門,斉藤長兵衛 茶道,野本藤兵衛の養子となり、茶道に精進したという(浪川健治「蚕飼養法記」解題『日本農書全集 四七 特産三』,彼の茶道の流派については津軽家の御家流とするかどうかを問わず伝授し、津軽家への仕官が決まれば水戸徳川家,1694 元禄7 40 6月6日,鶯の間において御茶道役の儀誓詞。,そのときから,清如堂においてしばしば茶の湯が催され,道玄茶道役を勤める。
通史編3(近世2) (野本道玄)

漢学や仏学に通じ、長じて赤穂浅野家に仕えていた一樹庵三世野本道玄の家を継ぎ、利休以前の茶風である「古儀茶道,山鹿素行の勧めで信政の茶道指南として一五〇石で仕えた。,多くの茶書を著しており、「濃茶全書」「茶道一源」「茶経一源」「数寄道大意」「隠田語類」「茶術行用記」「
通史編3(近世2) (織)

「国日記」元禄七年一月六日条では御茶道野本道玄と記されているほか、茶道役としての誓詞を差し出しており(,元禄七年六月六日条)、これらの記述から茶道指南のために召し抱えられたことは明らかである。,もっとも、茶道役の野本道玄が絹織物師の斡旋や自ら養蚕の技術指導に当たり、絹織物の生産に資するようになったのは
通史編3(近世2) (天徳寺)

貞昌寺三世良城が隠居所とし、信枚へ茶道を教え、御目見寺院の列に加えられた。
通史編2(近世1) (支配機構の整備)

すでに寛文六年(一六六六)二月二十六日、進藤正次・一町田八郎右衛門が、御鷹方・御馬方・御茶道方同朋共・,一六七五)二月十日、北村内記と棟方清久(きよひさ)に、御馬方・御鷹方・御殺生方・御台所方・御医者・御茶道方
通史編1(古代・中世) (四耳壺の出土)

壺の肩の部分に蓋をするための紐を通す耳がついた器であり、現在でも茶道の葉茶壺(はちゃつぼ)として珍重されている
通史編3(近世2) (信政の文治)

加藤八左衛門、鈴木定右衛門、勝元水右衛門、加藤新左衛門   諸礼式 横山嘉右衛門(小笠原流)、斎藤長兵衛   茶道
通史編3(近世2) (勤務の状況)

奥坊主(おくぼうず)・茶道(ちゃどう)坊主など(これらは本丸御殿内の給仕、その他の雑役を担当)は指示によって
通史編3(近世2) (出発)

)によれば、家老津軽頼母(つがるたのも)以下重臣たち、そのほか御中小姓・表右筆(おもてゆうひつ)・御茶道
通史編3(近世2) (平清水三右衛門による作陶)

なお製品をみるとほとんど茶の湯の器であり、これは茶道のたしなみが深かった藩主(四代信政)の意向によるものと
通史編3(近世2) (二 藩主の日常生活)

について用談・決裁――近習坊主(きんじゅうぼうず)(藩主の側近で殿内の給仕その他の雑役に従事)近藤久奇に茶道申,引き続き酒・肴などを遣わし、茶道・近習坊主へは囲炉裡ノ間(いろりのま)で酒を遣わす。  
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