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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(景勝の地としての南溜池)
寛政八年(一七九六)二月、弘前に来遊した
菅江真澄
(すがえますみ)は、「つがろのおく」に南溜池を次のように,書いている(『
菅江真澄
全集』第三巻 一九七八年 未来社刊)。 ,はわきてよかりしにやと、 おもひやる花の悌いろふかく池の鏡にうつし見し世を 右の記事によれば、
菅江真澄
通史編3(近世2)
(庚申信仰)
菅江真澄
の紀行文「外浜奇勝」(『
菅江真澄
全集』一九七二年 未来社刊)には、寛政八年(一七九六)に「くれて
通史編1(自然・原始)
(考古学史年表)
[考古学史年表(青森県の考古学研究者一覧)] [ロゼッタ・ストーン] [
菅江真澄
資料編1(古代・中世編)
(六 板碑の調査・研究史)
十八世紀末から十九世紀初頭にかけて、津軽地方全域を歩いて本草学や民俗学などの調査研究に当たった
菅江真澄
,
菅江真澄
が津軽地方の板碑に関心を持ち始めたのは、寛政八年(一七九六)ころからであり、五年後の享和元年(,
菅江真澄
が津軽を去った翌年のことであり、調査関係者は真澄と深い交わりのあった人々である。,
菅江真澄
も中別所の石仏の板碑を描いており、江戸時代の中別所の板碑を知る手がかりとして貴重なものである。
資料編1(古代・中世編)
(二 青森県の板碑分布)
なお、青森湾岸には青森市内に二基あり、そのうち石江神明宮の板碑は、
菅江真澄
の写生画が正しいとすれば第一,もっともこの板碑は、摩滅が激しい上に近年「山ノ神」と刻み込んだこと、
菅江真澄
の描写にも信じられない点があり,
菅江真澄
の描いた神明宮と板碑 (『栖家能山』秋田県立図書館蔵) 板碑の分布状況を別の観点から
通史編3(近世2)
(虫送り)
菅江真澄
が寛政八年(一七九六)六月から七月にかけてこの地域でみた様子は、次のようなものであった。
通史編1(自然・原始)
(江戸時代~明治十七年(一八八四))
菅江真澄
(すがえますみ)(一七五四~一八二九、三河国〈愛知県〉出身)は、寛政八年(一七九六)四月十四日,
菅江真澄
画像 (大館市立中央図書館蔵) 「新古祝甕品類之図」 表紙と一部 (大館市立中央図書館蔵
通史編3(近世2)
(真教寺)
菅江真澄
は寛政七年(一七九五)、真教寺で雪に埋もれる長柄奉行格諏訪門兵衛(行宅)の墓を捜し出している。
通史編5(近・現代2)
(イタコ)
菅江真澄
の記述でも、移託巫(いたくみこ)、移託瞽巫(いたくめしいみこ)、梓巫女(あずさみこ)、めしひの
通史編1(古代・中世)
(乳井福王寺の伝承)
この山号もまた、すでに
菅江真澄
が『栖家の山』で推測しているごとく、乳井福王寺が嘉承年間=堀河天皇の代(
通史編3(近世2)
((一)概要)
また天明五・八年(一七八五・八八)・寛政七年(一七九五)の三度にわたり来弘した
菅江真澄
(すがえますみ)
通史編2(近世1)
(飢饉の惨状)
在方においての惨状の跡は
菅江真澄
(すがえますみ)や橘南谿(たちばななんけい)の紀行文も記録している。
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
一九三五年十二月 C 村越潔 「永禄日記」『考古学ジャーナル』四三 一九七〇年四月 (2)
菅江真澄
, 「栖家の山」『秋田叢書別集
菅江真澄
集六』 一九三三年八月 (3)
菅江真澄
「外浜奇勝」『秋田叢書別集,
菅江真澄
集六』 一九三三年八月 (4)
菅江真澄
「新古祝甕品類之図」『
菅江真澄
随筆集』(東洋文庫一四三
通史編5(近・現代2)
(四 民謡)
記録に残されることは少なく、
菅江真澄
(すがえますみ)(宝暦四-文政一二 一七五四-一八二九)等の紀行文
通史編2(近世1)
(飢饉のその後)
『平山日記』によると、天明五年はいまだ半作で、「今春も乞食多出候」と記録しており、先述した
菅江真澄
も、
資料編1(古代・中世編)
(第二節 五輪塔)
龍泉寺前庭の五輪塔 津軽地方の五輪塔に関心を持ったのは、江戸時代後期の津軽を歩いた
菅江真澄
である
通史編3(近世2)
(毛内宜応)
には「宝暦以後の世を厭ひて、隠遁の身となり、水石糸竹を玩、詩碁を楽み」として、三河国の遊士白井秀雄(
菅江真澄
資料編3(近世編2)
(【解説】)
(解説・長谷川成一) 第四項は「来遊の人士」とし、東北地方を巡遊した
菅江真澄
と幕府巡見使に随行して
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
江坂輝弥・高山純・渡辺誠 「青森県下北郡九艘泊岩陰遺跡調査報告」(石器時代7) 1965年 *56
菅江真澄
, 『
菅江真澄
遊覧記Ⅰ』東洋文庫(54)平凡社 1965年 *57 大場利夫・千代肇 「周辺地域の情勢
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
増補史料大成 栖家能山 ……………………………………………………………………………………………………………
菅江真澄
全集,の 簷迺金棣棠 …………………………………………………………………………………………………………
菅江真澄
全集
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