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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(薬王院)
薬王院
薬王院
は、初め東照宮の別当東照院として創建され、信義の時に改称した。,
薬王院
門前が何軒あったかは不明であるが、東長町支配となっていた(資料近世2No.四〇二)。,信義の遺骨を江戸より国元へ持参した本好を第一世に推したが、本好は
薬王院
の開基本祐の弟子で常福寺住職であった,図209.
薬王院
/
薬王院
通史編3(近世2)
(東照宮)
同四年、天守閣が雷火により焼失すると、東照宮も被害を受けたらしく、同五年に現在地へ再建され、別当
薬王院
,神仏分離により
薬王院
から分離し、明治十二年(一八七九)郷社、同十四年県社となった。
通史編3(近世2)
(天台宗)
図193.天台宗本末関係図
薬王院
の塔頭千寿院は、文化七年(一八一〇)に知行米横領と、寺院修復
通史編3(近世2)
(常福寺)
常福寺本祐とも師弟関係にあったため、寛永元年(一六二四)、東照宮の別当
薬王院
の開基・第一世に本祐を推し
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
報恩寺門前・万能寺門前は北新寺町、大矢場は新寺町新割町、足軽町は富田町、普光寺跡門前は住吉町、和徳足軽町・
薬王院
,・
薬王院
門前町は和徳町、座頭町は小人町、神明宮社家は若党町、元穢多町は楮町新町となり、誓願寺々中・同門前町
通史編3(近世2)
(参勤の準備)
出発の前日には長勝寺・
薬王院
(やくおういん)(現市内笹森町)へ参詣し、参府する決意の報告と領内および道中
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
坂本町 西川岸町 田代町 徒町 徒町川端町 南横町 山下町 前田周蔵 上和徳町 北横町
薬王院
門前
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
報恩寺(青森県弘前市) 法立寺(青森県弘前市) 本行寺(青森県弘前市) 松前町郷土資料館
薬王院
通史編3(近世2)
(神仏分離の準備)
一八五八)の神職組織であり、図77は明治二年八月~同四年十二月の神職組織であるが、このふたつを比べると、
薬王院
通史編3(近世2)
(二代信枚)
信枚は常福寺(じょうふくじ)(現東京都台東区)本祐と結びつき、東照宮の別当東照院(とうしょういん)(現
薬王院
通史編3(近世2)
(町方の軍事負担)
榎本武揚(たけあき)の旧幕府脱艦隊に攻められて、松前藩主徳広(のりひろ)が弘前に落ち延びてきた際、宿所の
薬王院
通史編3(近世2)
(藩政中期四代信政)
寺社の建立では、信政が明暦二年(一六五六)、父信義のため天台宗報恩寺(ほうおんじ)を創建し、
薬王院
(やくおういん
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
柳丁 緑町 坂本丁 和徳町 同足軽町 茶畑丁 同新割丁 右取扱 右同 三浦浅右衛門 同小五区
薬王院
通史編3(近世2)
(宗教と交通統制の低下)
藩は寺社奉行を頂点として、仏教は
薬王院
(やくおういん)・百沢寺(ひゃくたくじ)・神宮寺(じんぐうじ)・
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
曹洞宗寺院、東には浄土真宗(門徒宗)・天台宗・日蓮宗(法華宗)・浄土宗の各寺院と、東照宮とその別当寺院の
薬王院
通史編3(近世2)
(松前徳広の領内落去)
図68.松前城 松前藩一行が油川(あぶらかわ)・浪岡・藤崎などを通り、ようやく弘前の
薬王院
(やくおういん
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
長勝寺 206 東京都台東区 常福寺 207 東京都台東区 津梁院 208 同上 209 弘前市
薬王院
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●寛永元年(一六二四)、この年、高岡城内に勧請した東照宮を移し、
薬王院
を別当として寺領二百石を給する。
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