• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 6件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編1(古代・中世) (藤原保則の登用)

藤原保則の登用 時に国政の実権を握っていた摂政右大臣藤原基経(もとつね)は、五月、名吏の誉れ高い右中弁,(うちゅうべん)藤原保則を出羽権守に登用して、乱の平定を彼に託すことにした。,右衛門権佐(うえもんのごんのすけ)・検非違使(けびいし)として、その公正さは都中にとどろいていた(『藤原保則伝 / 藤原保則の登用
通史編1(古代・中世) (乱の勃発)

この乱については、正史『日本三代実録』の記載が詳しい上に、乱平定の責任者であった藤原保則(ふじわらのやすのり,)について、三善清行(みよしきよゆき)が著した『藤原保則伝』という伝記が残っているので、これまでの「三十八年戦争,時の秋田城介は良岑近(よしみねのちかし)で、『藤原保則伝』の名文によれば、彼は「聚(あつ)め斂(おさ),また同じ『藤原保則伝』によれば、中央の権門子弟らも、東北の善馬・良鷹を求めて相当悪どいことをやっていたらしい
資料編1(古代・中世編) ([九世紀])

●元慶二年(八七八)五月四日、良吏藤原保則、出羽権守兼任。現地へ派遣。,●元慶二年(八七八)七月十日、藤原保則、作戦を検討。夷をもって夷を征する策をとる。,●元慶三年(八七九)三月二日、藤原保則、賊徒の投降を容れ、作戦終了を進言。,●元慶四年(八八〇)四月、藤原保則、鎮撫を終えて帰京。
通史編1(古代・中世) (異類の来襲)

ただ元慶の乱とは異なって、藤原保則や小野春風のような、中央から官人が派遣された形跡がないことが注目される
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

………………………… 日本三代実録 75 ●元慶二年(八七八)五月四日、良吏藤原保則、出羽権守兼任。,………………………… 日本三代実録 79 ●元慶二年(八七八)七月十日、藤原保則、作戦を検討。,………………………… 日本三代実録 83 ●元慶三年(八七九)三月二日、藤原保則、賊徒の投降を容れ、作戦終了,………………………… 日本三代実録 86 ●元慶四年(八八〇)四月、藤原保則、鎮撫を終えて帰京。,…………………………… 藤原保則伝 87 ●元慶五年(八八一)五月三日、陸奥蝦夷通訳に授位。
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

藤島神社文書 ……………………………………………………………………………… 原本〔福井県福井市-藤島神社〕 藤原保則伝
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました