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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) ((一)藩主家の菩提寺)

(一)藩主家の菩提寺 大浦光信は大永六年(一五二六)十月八日、種里城(現西津軽郡鰺ヶ沢町)で臨終の際 / (一)藩主家の菩提寺
通史編3(近世2) (長勝寺)

藩主家は曹洞宗を信仰してきたが、信枚が天台宗に改宗し、後に建立される報恩寺を菩提寺に改めた。,昭和二十九年(一九五四)には報恩寺から藩主家の五輪塔が移された。 図214.長勝寺
通史編3(近世2) (稲荷宮)

五穀成就や藩主家安全の祈祷を行うほか、文化九年(一八一二)、富籤の発行により修復を行った。
通史編3(近世2) (信枚)

信枚 二代信枚は寛永元年(一六二四)、熊野山へ代参を送り、将軍家の息災延命、藩主家の子孫繁昌、藩国家
通史編3(近世2) (神事能)

『奥富士物語』によれば、藩主家には、銘「青山」の琵琶、小野小町の箏、近衛公の名づけた「新嘉丁」の笛、聖徳太子作,また、来客の接待の中心にもなっているほか、藩主家の人々や自らの慰みとして楽しむものでもあった。
通史編4(近・現代1) (不平の源流)

不平の源流 弘前不平士族の不満の第一は、維新時の藩政と廃藩後の旧藩主家の家政に参加できないことにあった,津軽平八郎も森岡鶴翁も津軽氏の一門であり、廃藩後の津軽藩主家に四〇万円の巨額な財産があり、生活難の士族
通史編3(近世2) (操人形芝居)

江戸藩邸では宝永四年(一七〇七)一月十二日に、藩主家の人々を客とし、信政が田村藤大夫・吉村宗利・木屋庄八
通史編3(近世2) (廃藩置県後の処理)

そして、明治十年(一八七七)三月には旧藩主家禄が公債渡しとなったのを契機に全額免除されることとなった。
通史編3(近世2) (貞昌寺)

このように、藩主家の家族を葬っているため、裏方菩提所ともいわれた。  
通史編4(近・現代1) (最初の県会)

ともに弘前貫族の給禄問題の紛争当事者で、さらに明治六年十月、鰺ヶ沢などで多額の旅費を借用して上京、旧藩主家
通史編3(近世2) (信明)

先祖の回忌を営むのは藩主家の当主として当然のことだが、大変心配りをしている様子がうかがわれる。
通史編3(近世2) (能楽)

預人となっていた対馬藩元家老柳川調興(しげおき)、藩主の弟信章(のぶあき)が入り、東側に小屏風を立て藩主家,このように、信政は新装なった能舞台の披露に、柳川調興を含め、藩主家の人々から町人までの見物を許した。
通史編3(近世2) (第二次藩政改革)

加えて、この組織改編で特筆すべきは「奥職制一列」が定められ、奥向が廃止されて藩主家の家計が完全に藩庁組織,ただ、この当時、藩主家が歳入の一割も使える例は極めて稀であり、この規定は窮乏化する藩主家にとってはかえって
通史編2(近世1) (高照神社「御告書付」の開始)

8 37(13%) 巡見使 巡見使関係 0 0(0%) 高照神社 高照神社関係 4 4(1%) 藩主家,藩主家の吉凶禍福等 参勤交代 87 62 149(54%) 藩重要事 蝦夷地警備 江戸・京都屋敷
通史編3(近世2) (薬王院)

報恩寺信枚が天海に帰依したことから、藩主家は江戸の菩提寺を天台宗津梁院・常福寺としてきた。
通史編4(近・現代1) (私学東奥義塾の終焉-公立への移管)

政治活動が活発で、キリスト教の拠点ともなった東奥義塾に対して、旧藩主家である津軽家が多額の補助を続けたことも
通史編3(近世2) (信政)

藩が使者を遣わして領内外の吉凶を報告したものであるが、藩主家の吉凶禍福が主な内容である。
通史編2(近世1) (弘前八幡宮の祈祷)

の祈祷内容と回数 寛政元年~明治4年(82年間,217回) 内   容 回数 古縣不動尊出汗 16 藩主家平癒祈祷
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

築城当初から本丸には藩主家、二の丸には家老などの上級家臣、三の丸には中級家臣が住んでおり、城内町を形成
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の啓蒙活動)

そのため旧藩主家からの資金援助が妨げられたり、卒業した有為の若者でも官途に迎えられなかったりした。
通史編3(近世2) (居開帳)

居開帳 藩主と藩主家の人々に対する開帳では、元禄七年(一六九四)、岩木山三所大権現の下居宮(おりいのみや,図25.岩木山百澤寺お札  貞享元年(一六八四)、藩主家の人々が古懸(こがけ)の不動尊(国上寺)
通史編3(近世2) ((一)衣服)

藩主家の菩提寺である長勝寺(ちょうしょうじ)(現市内西茂森一丁目)・報恩寺(ほうおんじ)(現市内新寺町
通史編3(近世2) (災害と生活)

この大火により、津梁院(しんりょういん)(藩主家の菩提寺)へ近火見舞のため物頭格(ものがしらかく)の藤岡三左衛門
通史編5(近・現代2) (美術団体の発足と展開)

また、大正六年七月八日に上野の精養軒で第一回作品展覧会を、翌年の大正七年四月二十一日に、旧藩主家の津軽英麿
通史編2(近世1) (寺社政策)

その上で、藩は領内寺社に対して、その最も重要な役務は、藩の安泰と藩主家の繁栄、そして五穀成就の祈祷を行
通史編3(近世2) (藩政中期四代信政)

③神社は天下静謐、藩主家の安全、領民の無事を祈ること。
通史編3(近世2) (民衆の精神世界)

以後、岩木山には宮が営まれ、岩木山に祀られた神は藩領と藩主家を護持する存在とされたが、それ以外の民間信仰
通史編4(近・現代1) (東奥共同会の設立)

東奥共同会を作って自由民権運動を進めたことに対する弘前の保守士族の反撃-いわゆる弘前の紛紜事件に際し、旧藩主家
通史編2(近世1) (烏帽子山紛争)

津軽岩崎(いわさき)(現西津軽郡岩崎村)の間とほぼ決定し(資料近世1No.三五五)、これ以後両藩間には藩主家同士
通史編2(近世1) (「出頭人」の台頭)

しかし、信政時代の家老はこれまで藩主家の血統につながる一門衆からは登用されず、藩の成立以降召し抱えられてきた
通史編2(近世1) (初代為信の動向)

57.津軽藩主家滞在地一覧 年 月 日 為 信 信 建 信 枚 徳川家康 年 月 日 慶長 
通史編3(近世2) (第一次藩政改革と特色)

実に四四一に上る役職が存在し、役方(やくかた)(行政)・番方(ばんかた)(軍事)・奥向(おくむき)(藩主家政
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