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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (東奥義塾開学)

その直接の前身は、旧弘前藩学校を引き継いで、明治五年五月に設立された弘前漢英学校である。,このとき、旧藩学を継承した各府県の学校はおおむね存続の危機に直面したが、実際には名称を変えるなどして近代学校,菊池自身は、中等教育はあくまで私立が望ましいとの信念を持っており、旧藩学校の伝統を受け継ぐ各地の学校が,実質的に旧弘前藩学校を継承する存在であり、公立の教育体制がなかなか整わなかった津軽地方において、小学校教育
通史編4(近・現代1) (三 東奥義塾とキリスト教)

従来の旧藩学校などはいったんことごとく廃止となり、学校教育体制確立に向けた布達が次々に発せられた。,東奥義塾は旧藩学校を継承して設立され、津軽地方の教育体制の中心であったとともに、同地方ヘキリスト教や自由民権運動
通史編3(近世2) (学校造営)

には医学・和学を学ぶ部屋が配置され、学科単位の非常によく練り上げられた教室配置になっている(「旧弘前藩学校稽古館図,旧弘前藩学校稽古館図
通史編5(近・現代2) (明治時代の柔術)

/津軽藩の柔術である「本覚克己流」は、添田家九代定吉が、「和(やわら)」といって、藩学校「稽古館」の後
通史編5(近・現代2) (二つの源流)

(一七九三)の蝦夷地根室派兵から幕府崩壊の日まで七十余年続いた体験から形成された意識であり、第二は、藩学
通史編3(近世2) (新しい指導者)

の上司とされた権令菱田重禧(しげよし)は、天保六年(一八三五)美濃大垣藩士の子として生まれ、幕末には藩学教官
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