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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(藩祖の銅像)
藩祖
の銅像 明治三十九年(一九〇六)九月に
藩祖
三百年祭が全市を挙げて盛大に行われた。,このときの記念事業として
藩祖
為信の銅像建立を決定したが、四十二年一月に完成して到着、二十一日銅像が公園本丸,の台座に載せられると、旧士族は
藩祖
の津軽統一の古(いにしえ)を偲び、銅像の前に集まって記念撮影をした。 /
藩祖
の銅像
通史編4(近・現代1)
(藩祖三百年祭)
藩祖
三百年祭 明治三十九年は
藩祖
津軽為信の三百年祭に当たった。,また、士族にとっては、
藩祖
の津軽統一の偉業を偲び、その遺徳を敬仰するとともに、御家中自らの伝統と誇りに,九月三日には革秀寺で、四日、五日には長勝寺でそれぞれ
藩祖
の大法会を執行し、十一日には高岡神社で神式祭を,写真124
藩祖
三百年祭町内山車番附 下土手町の某商店で十日の午前十時から一〇分間の交通を調べたところ /
藩祖
三百年祭
通史編4(近・現代1)
([口絵])
口絵34 親方町九戸時計店 口絵35 和徳町の久一呉服店 口絵36
藩祖
三百年祭,の土手町 口絵37
藩祖
三百年祭の親方町 口絵38 雪景色の下土手町 口絵,大演習に参加した飛行機 †観桜会花ひらく† 口絵59 芸妓行列 口絵60 本丸の
藩祖
為信銅像前
通史編1(古代・中世)
(多様な系譜の在り方)
これら四つの系図のなかではもっとも頻繁に使用される『秋田家系図』についてみると、
藩祖
秋田俊季の時期にも
資料編1(考古編)
(刊行のことば)
刊行のことば 弘前市長 金澤隆 私たちの郷土「弘前」は、
藩祖
為信公が計画し、二代藩主信枚公
通史編1(自然・原始)
(刊行によせて)
わがまち「弘前」は、
藩祖
津軽為信公が高岡の地に町割りを計画したことに始まり、以来先人たちの営々とした努力
通史編2(近世1)
(為信の築城計画)
為信の築城計画 津軽統一を成し遂げた
藩祖
為信(ためのぶ)は、領国経営の中心として高岡(たかおか)(弘前
通史編3(近世2)
(草創期三代)
草創期三代
藩祖
津軽為信は十代のころ、近衛尚通(ひさみち)(関白、名は前久(さきひさ)、龍山と号す)
通史編5(近・現代2)
(完結に寄せて)
藩祖
為信公の領国形成、二代信枚公による弘前城下の建設、東奥義塾創設者にして初代市長菊池九郎の奮闘、りんごに
通史編5(近・現代2)
([付図])
26 店屋っこと子供たち〈昭和30年頃〉 27 大町の風景〈昭和30年頃〉 28
藩祖
三百五十年祭
通史編2(近世1)
(二度の高直り)
藩祖
為信を除いて、二代信枚以来、代々、従五位下の官位が続いた津軽家にとって、二〇〇年ぶりの昇進であった
通史編3(近世2)
(三 八幡宮の祭礼と山車の運行)
この後、山車の運行は絶えていたが、明治三十九年の
藩祖
三百年祭、昭和二十四年(一九四九)の市制施行六〇周年,、同三十一年の
藩祖
三百五十年祭、同五十四年の市制施行九〇周年、平成元年(一九八九)の市制一〇〇周年には
通史編2(近世1)
(参勤交代路と街道の状況)
このため、
藩祖
為信時代から西浜街道が重視されたものと思われる。
通史編4(近・現代1)
([付図])
施設維持のため映画を巡回興行す 33 小山内薫 自由劇場創立〈明治42年〉 34
藩祖
三百年祭記念事業
通史編2(近世1)
(「津軽一統志」の編纂まで)
その内容は
藩祖
為信の誕生から津軽信義の入部までを記し、また「東日流記後録」には、岩木山や津軽家の先祖に
通史編5(近・現代2)
(供出と配給)
写真29 大日本国防婦人会の廃品回収 金属回収政策のなかで弘前市民に衝撃を与えたのが、津軽藩の
藩祖
通史編3(近世2)
(民衆の精神世界)
岩木山には往古より霊力を持った鬼が住んでおり、
藩祖
津軽為信(ためのぶ)の津軽統一事業の際、その霊力で為信
通史編5(近・現代2)
(東奥義塾の昭和)
八月八日、津軽
藩祖
為信公の銅像出陣を見送った後、十一日には出発している。
通史編3(近世2)
(稽古館の儒学者たち)
著述に「引声啓蒙」「喪服私議」「津軽
藩祖
略記」「前譜磯菜間筆記」「柄討南記略」「討北略記」等がある。
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
信義の出生地上野国勢多郡大舘(正しくは上野国新田郡大舘)は、
藩祖
為信が関ヶ原の戦いでの戦功で加増された
通史編2(近世1)
(舟橋騒動)
一方、乾四郎兵衛安儔(やすただ)は
藩祖
為信時代以来の功臣であり(先祖は南部氏の家来であった可能性が高い
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