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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (幕末期の藩財政)

幕末期の藩財政 嘉永七年(一八五四)四月、津軽弘前藩の勘定奉行はペリー来航に伴う国情から異国への防備,の触れが出ていることを受けて、七ヵ年で赤字財政を整理する計画を立てた(「安政初期津軽藩財政状況調」弘図八,結局、このような藩財政の窮乏は改善されないまま明治維新を迎えることになる。 / 幕末期の藩財政
通史編2(近世1) (蝦夷地警衛が藩財政に残したもの)

蝦夷地警衛が藩財政に残したもの さきにも簡単に述べたが、蝦夷地警衛が藩財政に与えた影響は深刻なものがあった,このような藩財政への影響は、以後の藩政に多大の影響を与える一因となった。   / 蝦夷地警衛が藩財政に残したもの
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

文化~文政期の藩財政 天明の飢饉後も津軽弘前藩の藩財政は好転することはなかった。,蝦夷地第一次幕領化を経て文政四年(一八二一)に至るまで、同藩は恒常的に蝦夷地警備を幕府から命じられており、一層藩財政 / 文化~文政期の藩財政
通史編2(近世1) (二 寛政改革の実施)

と動員数を必要とする蝦夷地警備という新たな軍役負担に対応しなければならなくなったこと、これらによって藩財政,ここに、藩財政再建策のなかで、家臣団編成を藩財政窮乏の克服にいかに活用していくかということが、藩政の課題,両改革とも、宝暦飢饉と天明飢饉に大きく規定されながらも藩財政窮乏の克服を目指した改革といえるが、両者は
通史編2(近世1) (近世中期の三人の藩主)

多くは先代信政の政治路線の踏襲であり、寵臣佐藤著恒(さとうあきつね)を重用し、奢侈(しゃし)に走って藩財政,藩主となった信寧(のぶやす)(一七三九~一七八四)の代の初頭、いわゆる「宝暦改革」が始まるまでには、藩財政
通史編2(近世1) (警備引き揚げとその背景)

一方、それを藩財政全体の面からみると、安永年間の藩財政と比較して文化・文政期の藩財政には新たな財源がないため,、藩財政の根幹を揺るがすほどの重さでのしかかった警衛費の負担をカバーしようとして、藩が宝蔵に貯蓄していた,これは藩財政の繰り合わせに役立つとともに、無利息であることも手伝って有利な条件と認識されていた。,ただ、この拝借金が藩財政に与えた影響は、当時の松前奉行が同時に金七〇〇〇両の拝借を許された盛岡藩ともども,、藩財政の補填にはならないと上申しているように(岡本柳之助編『日露交渉北海道史稿』一八九八年 田中三七発行
資料編3(近世編2) (第一節 後期藩政の展開と社会状況)

(四)廃田開発・大庄屋制  (五)農村の掌握  (六)諸色高値  (七)松前稼ぎ   二 藩財政
通史編2(近世1) (改革意見書の基調)

(3)この場合、土着は藩士が知行地に在住する地方知行に復することを意味し、これによって藩士財政を藩財政,(5)藩財政の最大の桎梏(しっこく)として両都銀主への依存があるが、生産力の拡大以外これをしのぐ方法がないこと
通史編3(近世2) (旧弘前藩の債務処理)

こうしてみれば、藩財政はもはやまったく破綻しており、廃藩置県という政策断行以前に藩体制は崩壊していたと,たしかに債務額だけを客観的に考察すれば藩財政はすでに破綻しているが、廃藩置県が断行される以前では、藩が,消滅するという事態を誰しも予想し得なかったのであり、巨額の借金を重ねながらも藩財政逼迫打開の途を模索していたのである
通史編2(近世1) (西廻海運による大坂廻米)

さきにみた、貞享四年(一六八七)に上方廻米量が五万石に設定されることになった背景は、藩財政が自立性を失,そして、これら金主の中には、蔵元や掛屋に任用され藩財政にかかわる者も現れた。,弘前藩は、藩財政を支えるためには、北国諸藩のなかでも加賀藩に次ぎ秋田藩と並ぶほど、より多くの蔵米を大坂廻米
通史編3(近世2) (幕末期の稽古館)

幕末期の稽古館 文化年間以降、稽古館は藩財政の逼迫から縮小を余儀なくされ、月に六度あった学問所での儒書
通史編2(近世1) (宝暦―天明期の借財)

蔵元とは蔵屋敷の管理に当たり、大名から廻米を中心とする「蔵物」の売却・出納をつかさどった商人のことで、藩財政,諸大名は蔵物の売却で藩財政を運営していたが、やがて売却代金だけでは不十分になり、蔵元からの融資に依存するようになる
通史編2(近世1) (宝暦改革の課題)

逆に、諸物価が高騰する経済状況が顕著となり、年貢収入が減少する反面、財政支出が増大していったことで、藩財政,有力商人からの借財によってこれをしのいでいくことになるが、特に寛延二年(一七四九)の大凶作によって、藩財政
通史編2(近世1) (幕末期の借財)

幕末期の借財 天保以後の藩財政については、大きな凶作にも見舞われなかったため年貢収入も順調であった。,もっとも、これは必ずしも藩財政の好転を意味するのでなく、備荒貯蓄に関しては不安が少なくなったと理解するべきであろう
通史編2(近世1) (改革の終焉と成果)

改革の終焉と成果 乳井貢を中心とする宝暦改革は、これまでみてきたように、藩財政の再建を第一の目的として,犾同化政策の背景には、このような租税徴収の一面があったのであり、さらにそれを導いた大きな要因は、飢饉や藩財政,図146.津軽徧覧日記の蝦夷部分  さて、改革は藩財政の再建という意味では失敗に帰したが、標符(
通史編3(近世2) (会合・来客の場合)

このように一汁二菜の場合が多く、それが幕末の天保年間(一八三〇~一八四三)以後には、藩財政の窮乏が藩士
通史編2(近世1) (土着策の展開と農村)

つまり、土着策によって藩士の財政を自立させ、藩財政からの経済的分離を目指してはいたものの、切米取や金給家臣,からの収取を土着策の原点としていたために、給地百姓の成り立ちのうえに藩士の成り立ちを確保し、そのうえで藩財政,ここに、蔵百姓の疲弊が導かれることによって、土着策が直接藩財政を脅かす存在となったのである。  
通史編2(近世1) (殖産政策の前提)

主流となっていくこの時代にあって、新たな特産物を作り出して、その売買を図り、それで得た利益を取り込み、藩財政
通史編2(近世1) (毛内宜応の「秘書 全」)

そしてこれらが克服されることによって、藩財政そのものも好転し、理想的状況が開けるとする。  ,次に、藩士財政の窮乏の克服という点から土着の徳の内容を追うと、(1)出費の削減、(2)藩財政の好転、(,つまり、土着によって藩士財政を自立させれば、藩財政構造から藩士財政を分断することができ、ここに藩財政も,土着はその形態から、生産力の向上と出費の抑制を目指したものであり、したがって藩財政および藩士財政を豊かにするものである,また、藩士財政が豊かになるということは、必然的に藩財政の負担を軽減し、基本的な軍役をも負担しうる状況を
資料編3(近世編2) (【解説】)

第二項では、第一項の状況に規定されて窮乏した藩財政が、大坂・江戸の諸銀主との関係から飢餓移出をせざるを,ない状況にまで陥っていること、そして、知行の借り上げや蔵入地化などの家臣団への負担転嫁が日常的となり、藩財政,の導入によって藩士財政を自立させ、彼らによる農村支配を厳格にすることによって藩財政基盤を確立し、また藩士,への経済援助を断ち切ることで藩財政の困窮を克服しようとした政策であり、宝暦以降の農村状況と寛政期以降の,藩財政の一層の窮乏への対応は、備荒貯蓄・倹約の励行・知行借り上げ・面扶持の実施、富裕層への御用金の賦課
通史編3(近世2) (婚礼・仏事の接待)

までは二汁五菜~二汁三菜であったが、藩政後期以降は、宝暦改革を初めとしてその後の改革にもかかわらず、藩財政
通史編2(近世1) (寺社政策)

むしろ、寺社財政の再建と社家・僧侶の生活の建て直しもまた、藩財政再建策の一環としてあったといえる。,図143.高岡霊験記 目録を見る 精細画像で見る  改革当初の基本的な方針は、藩財政再建策の一環
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」通用の実態)

実態 これまでみてきたように、藩は標符によって正金銀や米穀をはじめとする諸物資を吸収し、これをもって藩財政,これらの意味するところは、窮乏した藩財政の補填に、領内から収奪した金銀・米穀・諸物資が充てられるということであり
通史編2(近世1) (土着策施行期の廃田開発)

しかしながらこの、人不足→仮子給銀の上昇→百姓潰れ→人不足という悪循環は、松前出人夫の継続と藩財政拡大
通史編2(近世1) (宝暦改革と蔵米)

困窮した藩士が多いのを名目に、知行取の年貢もすべて藩庫に納めさせ、藩のほうで給与を再分配するという、藩財政
通史編2(近世1) (元禄の大飢饉と家臣召し放ち)

藩では、当初下級家臣である扶持方の人々のみを対象とする知行米削減措置によって藩財政逼迫を切り抜けようとしていたが,これらいわば親がかりの組士は、「減少」による一般組士の不足を補うとともに、知行宛行の必要がなかったから、藩財政面
通史編2(近世1) (二度の高直り)

領地が元どおりなので、家士への加増は、ほとんどなかったし、蝦夷地警備などの軍事費に食われて藩財政が窮迫
通史編2(近世1) (預手形とは)

もっとも、凶作はともかく、藩財政の窮乏はそれ以前のことからであり、翌年に予定された幕府巡見使の下向による
通史編2(近世1) (土着対象者)

は基本的には、給地百姓からの直収納(じきしゅうのう)によって賄われることになっており、その意味では、藩財政
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

この背景には、元禄八年の大飢饉によって藩財政が窮乏し、翌年「減少」と呼ばれる政策によって下級武士・御用職人
通史編3(近世2) (大政奉還時の状況)

これは蝦夷地警備・京都守衛・時局緊迫に対応する国元の軍事費増大によるもので、ここからも藩財政の窮乏が判明
通史編2(近世1) (意見書提出の奨励)

まされ続けた時代であったが、先述した宝暦改革を除けば積極的・効果的な対応がなされず、信明襲封時には、藩財政
通史編2(近世1) (林政の展開と漆木の栽培)

材木の造成は富国策の一つとしてとられたものであり、その目的は、用材の領外払いによる藩財政の直接的補填を,目的としたものと、木材の自給自足によって藩財政支出の軽減を図るというものであった(筒井迪夫『日本林政史研究序説,を目的とするような場合、また、ゆくゆくは造成した森林を伐採して木材として加工し、領外との交易によって藩財政収入
資料編2(近世編1) (【解説】)

逆に、諸物価が高騰する経済状況が顕著となり、貢租収入が減少する反面、財政支出が増大していったことで、藩財政,の有力商人からの借財によってこれを凌いでいくことになるが、特に寛延二年(一七四九)の大凶作によって、藩財政,しかしながら、寛政改革にもかかわらず、その後も藩財政は好転せず、しかも文化四年(一八〇七)からは蝦夷地警備
通史編3(近世2) (幕末期近衛家との関係)

さらに、天保年間に入ると藩財政の逼迫(ひっぱく)から毎年納めていた冥加金もしばしば中断され、合計の借財
通史編2(近世1) (安永期の蔵米化)

蔵米化は直接的には藩士財政を藩財政に組み込むことによって、藩が自由に運用できる部分を増やし、財政難に対処
通史編2(近世1) (騒動の背景)

騒動の背景 藩財政の自立を目指す宝暦改革が失敗したあと、藩は再び家老森岡主膳、側用人大谷津七郎・山口彦兵衛
通史編2(近世1) (漆栽培奨励策の行き詰まり)

見る 精細画像で見る 図170.漆仕立絵図  その一方で漆守の経済的特権の御免引は、藩財政
通史編2(近世1) (赤石安右衛門・菊池寛司の「覚」)

(1)定免制(じょうめんせい)、(2)両都(江戸・上方)銀主への藩財政の依存、(3)藩士の奢侈的生活、,つまり、藩財政の窮乏によって扶持米が天明六年には一〇〇石につき四五俵渡しになる一方で、年貢諸役免除の優遇策,れが多いために、利息に利息を重ねていく状況となっており、これでは元金を返していくこともできず、ますます藩財政
通史編2(近世1) (災害の続発とその影響)

飢饉によって藩財政もダメージを受けた。,藩財政の破綻による非常手段である。
通史編2(近世1) (鉱山の開発)

さらに鉱内での出水、その水抜きなどが藩財政の負担となっていったのである。
通史編3(近世2) (生活の困窮)

困窮 元禄期(一六八八~一七〇四)には幕府の財政窮乏が始まり、津軽弘前藩でも元禄八年の大凶作以後に藩財政
通史編3(近世2) (信寿・信著・信寧時代)

信寿は政務に関心薄く、風雅の道に耽溺(たんでき)し、遊興に財を尽くし、藩財政を逼迫させるに至った。
通史編2(近世1) (土着策への本格的展開(Ⅲ期))

反対を押さえての土着であり、施策的には家中成り立ちを打ち出してはいるものの、本来的には、卯年飢饉以来の藩財政
資料編2(近世編1) (【解説】)

藩内では、すでにして十七世紀の後半から藩財政の悪化にともない、財政の再建を目指して尾太(おっぷ)、砂子瀬
通史編2(近世1) (公家との関係)

このように「合力」についても困難な藩財政の影響が投影されている(近衛家への「合力」については、瀧本壽史,のうち金三〇〇〇両を津軽家に貸し付けるなどの財政援助も行っており(資料近世1No.九七八~九八〇)、藩財政運営
通史編2(近世1) (材木移出)

蔵米と並び、材木の販売代金が、藩財政収入に大きく貢献していたと思われる。
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

396   一 宝暦・天明期の飢饉と農村 …………………………………  396   二 商品経済の展開と藩財政,……………  657  一 天保の飢饉と農村 ………………………………………………  657  二 藩財政
通史編3(近世2) (瀬戸師林兵衛による製陶)

生産は当初、藩で自給自足を目指すとともに領内の産業振興のため国産方による方式をとったが、藩財政の窮迫のため
通史編3(近世2) (一一代順承の治世)

こうした蝦夷地警備の負担は藩財政を極度に圧迫していったが、安政二年十月に起こった安政の大地震でも藩邸や
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