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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (東西蝦夷地直轄下の勤番体制)

東西蝦夷地直轄下の勤番体制 文化四年三月の松前および西蝦夷地の上知決定に伴い、翌四月、津軽弘前藩は盛岡藩 / 東西蝦夷地直轄下の勤番体制
通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

東蝦夷地直轄下の勤番体制 寛政十年(一七九八)三月、幕府は目付渡辺久蔵以下、一八〇余人に及ぶ大規模な / 東蝦夷地直轄下の勤番体制
資料編3(近世編2) (第三節 蝦夷地警備と開港下の政治動向)

蝦夷地警備と開港下の政治動向 一 蝦夷地への出兵と警備  (一)寛政年間の派兵  (二)松前・蝦夷地直轄
通史編2(近世1) ((二)蝦夷地出兵の諸段階)

(3)は寛政九年から同十一年までの勤番が、同十一年の蝦夷地直轄化によって、勤番地や派遣人数を変えながら,ただし、蝦夷地直轄化は、すでにみてきたように、寛政十一年の東蝦夷地の仮上知、享和二年(一八〇二)の東蝦夷地,いずれにしろ、蝦夷地直轄によって藩の警衛は大きく変化したのである。  ,寛政十一年以降の蝦夷地直轄下の勤番体制については、本章第三節一で触れることにする。
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

その政策は引き継がれず、これ以前に、定信とともに幕閣をリードしていた本多忠籌(ほんだただかず)の蝦夷地直轄化,による開発論が次の松平信明(のぶはる)政権で採用され、海防のためには蝦夷地の開発が欠かせないという蝦夷地直轄化政策,そして、翌十年三月、幕府は蝦夷地直轄を射程に入れた蝦夷地調査隊を派遣した。,寛政十一年一月、幕府は東蝦夷地を七年間の「当分御用地」として松前藩からの「仮上知(かりあげち)」を行って蝦夷地直轄化
通史編2(近世1) (警備引き揚げとその背景)

これにより幕府の蝦夷地直轄はひとまず終止符を打った。,下に置かれ、幕府の恐れていたロシア側に結びつくという可能性がもはやほとんどなくなり、高度な政治判断で蝦夷地直轄,財政の面からみれば幕府の蝦夷地直轄経営は黒字であったが、陸奥国梁川に移された松前藩、および現地派兵を命
通史編2(近世1) (一揆の要因と結果)

ロシアの南下に代表される「外圧(がいあつ)」やそれに伴う蝦夷地直轄化政策は、民衆レベルまで直接に影響を
通史編2(近世1) (負担の増大による民衆の困窮)

また、なぜ蝦夷地直轄直後の動員が純粋な軍事動員ではなく、諸工人・百姓らを多く含んだものであったかについても,蝦夷地直轄化を契機に、勤番所や道路を普請し、幕府による蝦夷地支配体制の整備を図ろうとしたからであり、文化元年
通史編2(近世1) (開国と箱館警備)

これ以降展開されていく幕府による二度目の蝦夷地直轄の時期は、「後期幕領期」(「第二次幕領期」)と呼ばれる
資料編3(近世編2) (【解説】)

この構想は定信の失脚によって挫折したため本節では取り上げなかったが、その構想は、蝦夷地直轄という、より,幕府が蝦夷地直轄に乗り出す直接の契機となったのは、寛政八、九年、ブロートン指揮のイギリス船プロビデンス,家督相続の問題、渡海安全祈願と死者供養の問題、警備人数の大半を占めていた農民層に関わる問題、そして幕府の蝦夷地直轄化
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

……………  505 第三節 蝦夷地警備と化政期の藩政 …………………………………  563  一 蝦夷地直轄下
資料編3(近世編2) (新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)

寛政年間の派兵 ………………………………………………………………………  二二二    (二)松前・蝦夷地直轄
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