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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) ((三)藩士土着政策廃止をめぐる諸問題)

先立って、同年五月二十三日・二十四日に、家老牧野左次郎、用人赤石安右衛門、勘定奉行菊池寛司が御役御免蟄居
資料編2(近世編1) (『五蟲論』一巻)

思うに、蟄居謹慎の身の上にあった乳井が、常日頃「吾が夫子」と称して敬愛していた山鹿素行の境遇に自らのそれを
資料編2(近世編1) (『志学幼弁』十巻)

乳井の蟄居中の著述。
通史編2(近世1) (越後加増説)

なお、福島正則は、信州高井郡高井野邑(たかいのむら)(現長野県上高井郡高山村)に蟄居(ちっきょ)した。
通史編2(近世1) (改革の終焉と成果)

明和五年(一七六八)に蟄居を解かれ、安永七年(一七七八)再度出仕を許されて者頭格(ものがしらかく)勘定奉行,に任命されたものの、その二年後には再び蟄居を命じられ、今度は川原平(かわらたい)村(現中津軽郡西目屋村川原平
通史編2(近世1) (乳井の略歴)

は再度勘定奉行を仰せ付けられ、胸中深く計策を秘して臨むものの、今度も周囲の抵抗に遭い、二年後には再び蟄居,此の村中男女一文字をだに知るものなかりしが、貢が蟄居中弟子多く出来、漢学・算術に熟達するもの数人出て、
資料編2(近世編1) (第二節 乳井貢の思想【解説】)

改革半ばにして「標符」を発行するが、これが経済的混乱を誘発して士民の不評を買い、同八年失脚へと追いやられ蟄居
資料編3(近世編2) (二 思想)

を仰せ付けられたが、「無調法」があったとして書院番へ戻り、翌年には政務を誹謗した廉(かど)で河原平に蟄居,乳井を信奉していた森内が同じ河原平に蟄居を命じられたというのも奇縁であるが、配流先での行動も乳井にならうものがあったと
通史編3(近世2) (森内繁富)

しかし翌年十月十三日には政務を誹謗(ひぼう)し不届きであるとして、川原平に蟄居(ちっきょ)させられた。
通史編2(近世1) (開発の実行者たち)

その強引な手法が災いしたのか、寛政九年(一七九七)に百姓からの誹謗(ひぼう)を受け失脚、享和二年当時は蟄居
通史編3(近世2) (軍事情勢の膠着)

道路封鎖そのものは五月下旬に解除され、秋田藩に対しては山崎と杉山を蟄居(ちっきょ)(謹慎の一種)に処することで
通史編2(近世1) (飢饉への対策)

乳井はその後、標符(ひょうふ)発行による経済混乱の責任を取らされ、宝暦八年(一七五八)に失脚し、退役・蟄居
通史編2(近世1) (刑罰体系)

閉門(へいもん)・蟄居(ちっきょ)・逼塞(ひっそく)・遠慮などは武士と僧侶の、阿房払(あほうばらい)・,閉門は居宅の門を閉じ、昼夜ともに出入りを許されず、蟄居は閉門と同じく一室内に謹慎することであるが、家族
通史編3(近世2) (稽古館の儒学者たち)

安政三年(一八五六)継嗣問題で国元弘前での蟄居を命じられた。
通史編3(近世2) (幕末の政情と近衛警備)

来   事 安政6年 1859 5月28日 幕府,神奈川・長崎・箱館を開港 8月27日 徳川斉昭を永蟄居
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