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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (信枚の築城)

大量に必要だったため、森山内蔵助(もりやまくらのすけ)に命じて、外浜(そとがはま)の小国(おぐに)・蟹田,(現東津軽郡蟹田町小国と蟹田)において、南部領から鉄吹きの者三〇人を呼び寄せ鋳鉄をさせている。
資料編1(考古編) (2.青森県の旧石器時代(図1))

・スポール(削片) 13 〃 尻高(4) 東津軽郡平館村今津字尻高川 石刃 14 〃 大平山元Ⅱ 東津軽郡蟹田町大平字山元,舟底形石器・尖頭器・ナイフ形石器ほか 15 〃 大平山元Ⅲ 東津軽郡蟹田町大平字山元 尖頭器・彫器・,立川型有舌尖頭器 23 〃 長者久保 上北郡東北町長者久保 円鑿形石斧・尖頭器ほか 24 〃 大平山元Ⅰ 東津軽郡蟹田町大平字山元
通史編2(近世1) (材木移出)

なかでも、材木の積み出し湊としては、十三川湊(とさかわみなと)・中師(ちゅうじ)(現東津軽郡蟹田町)・,もちろん、この材木が十三湊から移出されたとはいえないが、十三川湊・中師(蟹田)・今別・小湊のいずれかの,さらに、寛文九年(一六六九)十二月二十二日には、蟹田と十三の材木奉行に対して、役銀を徴収して町人請負による,これによって、十三・蟹田での材木切り出しと、各湊への材木集積はより効率的になった(ただし、この後藩は、
資料編1(考古編) ((1)縄文時代草創期)

縄文時代草創期 本県では、昭和46年(1971)秋、先端を磨いて鋭利な刃部を構成している1個の局部磨製石斧が、蟹田中学校,その石斧の出土した蟹田町の大平山元Ⅰ遺跡は、郷土館の事業として昭和50年(1975)11月上旬に調査が
通史編2(近世1) (領内海防と台場の構築)

金井ヶ沢(かねがさわ)(現同町北金ヶ沢)・鯵ヶ沢浦(現同郡鰺ヶ沢町)・十三浦(現北津軽郡市浦村十三)・蟹田,(かにた)(現東津軽郡蟹田町蟹田)・青森浦(現青森市)・七ツ石崎(現北津軽郡小泊村)・鷹野崎(現東津軽郡今別町袰月
通史編1(自然・原始) (大平山元遺跡)

大平山元遺跡 蟹田町に所在する大平山元(おおだいらやまもと)遺跡はⅠ・Ⅱ・Ⅲの三遺跡に分かれている。
通史編2(近世1) (民兵の登場)

金木新田)・広須両組(広須・木造新田)・赤石組の各代官、および九浦のうち碇ヶ関を除く八浦(野内・青森・蟹田,野内では一〇〇人前後、蟹田では八〇人ぐらいずつ二手に分けて動員することが想定された。
資料編1(考古編) (1.旧石器時代の住居跡)

青森県における旧石器時代の住居跡として明白なものは未発見であるが、蟹田町の大平山元Ⅱ遺跡において3地点
通史編2(近世1) (海防報告書にみる天保期の海防体制)

2 平舘浦番所 2 3 蟹 田 1 1 5 蟹田大筒台場,大間越・深浦・鰺ヶ沢・十三・今別(現東津軽郡今別町)・蟹田・青森・野内(現青森市野内)といった領内の主要地,今 別 10 袰月鷹野崎台場 4 平舘浦番所 5 蟹 田 10 蟹田台場,大筒台場は、大間越・深浦・金井ヶ沢・鰺ヶ沢・十三・小泊七ツ石崎・龍浜崎・袰月浦鷹野崎・蟹田・青森の各所
通史編2(近世1) (災害の続発とその影響)

日 風害 領内(特に西海岸) 家屋倒壊,難船など 享保2(1717)  4月20日 火災 蟹田,月11~14日 水害 領内河川下流域 河川氾濫,新田地帯に大きな被害  3月30日 火災 蟹田, 2月27日 火災 蟹田 町中残らず焼失  7月18~19日 津波 領内西海岸沿岸,1749)  2月 8日 火災 今別 58軒焼失  2月20日 火災 蟹田
資料編1(考古編) (1.旧石器時代の概観)

形石器・スクレパー等各種石器… 東通村・物見台遺跡 (青森県立郷土館提供) 局部磨製石斧…蟹田町,・大平山元Ⅰ遺跡 (青森県立郷土館提供) 石器出土状態…蟹田町・大平山元Ⅰ遺跡 (青森県立郷土館提供
通史編3(近世2) (子供を池に投げ殺害)

三〇〇日の牢居の期間が終わってから一〇里四方追放・大場(おおば)(鰺ヶ沢・深浦・十三(とさ)・青森・蟹田
通史編1(自然・原始) (位置と地勢)

陸奥湾に入る川に、青森市内を北流する堤川、津軽半島東部の新城(しんじょう)川、蟹田(かにた)川などがある
通史編2(近世1) (糧米確保)

また、「国日記」によると、七月十三日に、青森・鰺ヶ沢・十三・今別・蟹田・深浦・野内に対して、米価が高騰,今別 59.5(25.0) 52.6(22.5) 64.5(27.0) 58.8(24.5) 蟹田
通史編1(自然・原始) (日降雪量と年合計降雪量の分布)

青森六五センチメートル、五所川原六〇センチメートル、蟹田三四センチメートル、弘前四〇センチメートル、黒石四五
通史編3(近世2) (施行小屋の設置と犯罪防止)

布子(ぬのこ)(木綿の綿入れ)などを藩の御蔵および城下・農村・九浦(深浦・鰺ヶ沢・十三(とさ)・青森・蟹田
通史編2(近世1) (上方廻米)

「手船(てぶね)」は、十三・今別・蟹田の湊が中心となって造られており(これらは、木材・鉄の産地でもある
通史編2(近世1) (異国船打払令の発令と津軽弘前藩)

 まず、海岸の防備は、この時期までに大間越・深浦・金井ヶ沢・鰺ヶ沢・十三・小泊・龍浜崎・鷹野崎・蟹田
資料編1(考古編) (〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)

籾圧痕の土製支脚 22 小館遺跡  〃 阿弥蛇川字汐干 集落 〃 10C~ 23 上小国遺跡 蟹田町小国字館下
通史編1(自然・原始) (月別平年気温の都市別比較)

津軽半島陸奥湾側の蟹田から北部で九℃くらいである。
通史編2(近世1) (安政期の蝦夷地警備と交通問題)

特に青森の油川(あぶらかわ)から蟹田(かにた)方面の上磯(かみいそ)と呼ばれる沿海地帯の状況は深刻で、,特に青森・深浦・蟹田では生産労働力人口(十六歳~五十九歳の者)の一〇パーセント以上が出稼ぎに出ており、
通史編1(自然・原始) (県内の月別降水量)

また、月降水量の七〇ミリ以下の極小月をみると、黒石一月~五月、鰺ヶ沢・市浦二月・三月、深浦二月、蟹田三月
通史編1(自然・原始) (積雪)

青森一一二センチメートル、五所川原一〇九センチメートル、蟹田八〇センチメートル、弘前八六センチメートル
資料編1(考古編) ((2)石器)

無茎鏃は、蟹田町の大平山元Ⅰ遺跡から草創期の無文土器に伴って出土し*69、縄文時代の各時期を通じて増減
通史編2(近世1) (元禄の大飢饉と家臣召し放ち)

また蟹田・野内・今別・十三・大間越の町奉行配下の同心が新たに命じられていることから(同前元禄九年二月十日条
通史編2(近世1) (旅行者のみた領内海防)

村垣はこの日油川・奥内(おくない)・蟹田を通り平舘に宿泊、翌二十二日、平舘を出立して同所の陣屋と台場の
通史編3(近世2) (諸家業と職人)

藩内にある鉄山は小国鉄山(現東津軽郡蟹田町)、今泉鉄山(現北津軽郡中里町)、石川鉄山(現弘前市)が知られている
通史編2(近世1) (刑罰体系)

)の大場(おおば)と称された領内の主要他は、九浦(くうら)すなわち鰺ヶ沢・深浦・十三(とさ)・青森・蟹田
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

の三日間に興行が認められたのは、弘前・新町・新町川原・同後川原・鍛冶町川原・新鍛冶町川原・田茂木町・蟹田村
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

①縄文時代以前の遺跡・遺物の発見…昭和五十一年(一九七六)から三ヵ年にわたる県立郷土館の東津軽郡蟹田(
資料編1(考古編) (-文献リスト-)

工業用鉱物資源,東北地方工業鉱物開発委員会,第4集,P.172-177 ◇139 田口一雄(1959) 青森県蟹田地区
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