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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(九戸一揆の鎮圧)
出羽国鹿角(かづの)郡浄法寺(じょうほうじ)より仙北の小野寺義道・秋田実季・仁賀保勝利らが、そして津軽為信と
蠣崎慶広
,特に
蠣崎慶広
は、毒矢を携行させた「深目・長髪」の「蝦夷」どもを率いて参陣し、自らが蝦夷=「日の本」の支配権
通史編1(古代・中世)
(浪岡城攻略)
岩木川下流域から外浜の北半分に及んでいたといい、しかも松前家の家譜である「新羅之記録」によると、夷島の
蠣崎慶広
資料編1(古代・中世編)
(二 乳井茶臼館の歴史)
大光寺一帯では激戦が繰り返され、六羽川で行われた合戦では、為信は一時窮地に追い込まれる(蠣崎季広書状写、
蠣崎慶広
書状写
通史編2(近世1)
(人質徴収)
成敗することを明言しており(同前)、出仕は最早避けられない状況にあった(『新羅之記録』下巻によると、
蠣崎慶広
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●永禄三年(一五六〇)、
蠣崎慶広
、波岡御所北畠顕慶(具運)に仕え、船着き場として潮潟野田玉川村を与えられるという,●天正七年(一五七九)正月十七日、
蠣崎慶広
、主君下国安東愛季に昆布・玉鯨を献上するとともに、父季広の波岡口出陣,●天正十一年(一五八三)五月十九日、下国安東愛季、
蠣崎慶広
の功(比内扇田城主浅利勝頼〔義正〕謀殺)を賞,●天正十七年(一五八九)九月三日、
蠣崎慶広
、南部信直に鷹を贈り好みを通ずる。
通史編2(近世1)
(名護屋における「日本之つき合」)
また、夷島(えぞがしま)の
蠣崎慶広
は、文禄二年(一五九三)正月二日に名護屋で秀吉と謁見し、八日には「鎮狄
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
…… 館越日記・藤井秀任棟札集成 300 ●永禄三年(一五六〇)、
蠣崎慶広
、波岡御所北畠顕慶(具運)に,… 秋田藩採集文書「奥村立甫家蔵文書」 325 ●天正七年(一五七九)正月十七日、
蠣崎慶広
、主君下国安東愛季,…………………… 毛利伊豆家文書 332 ●天正十一年(一五八三)五月十九日、下国安東愛季、
蠣崎慶広
の,…………………… 盛岡南部家文書 353 ●天正十七年(一五八九)九月三日、
蠣崎慶広
、南部信直に鷹を贈
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