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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (盆行事)

盆行事 盆とは盂蘭盆(うらぼん)のことで、祖先の霊に食物を供えて、餓鬼(がき)の苦しみから解放し冥福,を祈る仏教行事である。,年中家之定法」(資料近世2No.二三七)と「奥民図彙(おうみんずい)」(国立公文書館蔵内閣文庫)にはこの盆行事,弘前における盆行事は次のようなものである。,二十日は送り盆で、盆行事はここまで続いた。 / 盆行事
通史編5(近・現代2) (山車行事)

山車行事 神道の儀礼に付随し、民間の行事ともなっているのが、山車行事であり、屋台(ヤマ)と練(ね)り / 山車行事
資料編3(近世編2) (一 年中行事と規制)

一 年中行事と規制 [年中行事と規制] / 一 年中行事と規制
通史編3(近世2) ((一)年中行事と生活)

(一)年中行事と生活 町人の年中恒例の行事を延享二年(一七四五)の「年中家之定法」(資料近世2No.,二三七)(町人の年間行事の大要を記録したものと推定される)を中心とし、「今村家年中行事」を加えて、そのあらましを,盆行事(法界に寺へ行く)。 (八月)一日、岩木山大祭日。お山参詣。 十五日、八幡宮大祭日。,以上挙げた年中行事は、町人特有のもののほか、藩士・農民と共通する行事がある(第二・三節の日常生活参照),ただし町人特有の行事でも行事内容が詳細にわからないものが多い。 / (一)年中行事と生活
通史編3(近世2) ((二)年中行事と生活)

(二)年中行事と生活 農民の年中恒例の行事は、おおむね次のようである。 (正月)元旦…正月行事。,十五日…小正月行事。十七日…馬頭観音の日。二十日…二十日正月。め(ん)だし。二十三日…二十三夜様。,十三日…盆行事。十六日まで休日。二十六日…御来迎様。 (八月)一日…岩木山大祭日。お山参詣。,以上挙げた年中行事は、町人と共通するものが比較的多く(本章第三節二参照)、そのほか藩士と共通するものもある / (二)年中行事と生活
通史編3(近世2) ((二)年中行事と生活)

(二)年中行事と生活 藩士の年中恒例の行事を、「私家年中躾帳」(『日本都市生活史料集成』五 一九七六年,以上あげた年中行事は、藩士特有のもののほか、農民・町人と共通する行事がある(本章二節・三節の日常生活参照,ただし、藩士特有の行事でも行事内容のわからないものが多いが、なかでも「具足開き」は「私家年中躾帳」に記,「具足開き」は三八三頁に記されているが、補足すれば近世武家の年中行事とする正月の嘉儀である。 / (二)年中行事と生活
通史編5(近・現代2) (岩木山の登拝行事)

岩木山の登拝行事 国の「重要無形民俗文化財」として昭和五十九年一月に指定されている。 / 岩木山の登拝行事
通史編5(近・現代2) (三 民俗芸能(無形民俗文化・年中行事))

三 民俗芸能(無形民俗文化・年中行事) 「民俗芸能」の語は近代の呼称であり、第二次大戦後に一般化した,年中行事、民間宗教としての百万遍(ひゃくまんべん)、イタコ、虫送り、ねぷた等の習俗であるが、いずれも音楽,旧弊(きゅうへい)を断って近代化を図るため、旧暦と密接に関連した年中行事や信仰、風俗を禁じた。 / 三 民俗芸能(無形民俗文化・年中行事)
通史編5(近・現代2) (週五日制の実施)

五日制は一週中五日間は連続授業を行い、第六日目(土曜日)は授業を行わない日と定め、学校行事、職員集会、,研究等に充当し、月曜日から金曜日までの五日間は行事集会を排して完全授業を建て前とするもので、教育能率と,職員児童の生活合理化を図って採用されたものだが、確かに集会や行事には都合がよかったが、それが児童に関係,ない集会や行事の場合には児童は休業となって自宅で遊んでいることになる。
通史編5(近・現代2) (紀元二千六百年奉祝)

この一年間さまざまな奉祝行事が挙行されたが、その頂点をなすものは、十一月十日宮城前広場で行われた紀元二千六百年奉祝式,式は戦意高揚を目的に、政府が音頭をとって国民的祝賀行事としたものであったが、しかし、中国大陸における戦況,は日増しに悪化し、せっかくの奉祝行事もいまひとつ盛り上がりに欠けるものがあった。  
通史編5(近・現代2) (観光協会の事業計画)

しかし何といっても観光客の誘致接遇に努め、全市的観光行事の開催態勢を整えるという項目が注目されよう。,ちなみにこの年の観光行事日程表を挙げておこう。   ,節分豆まき   三月上旬…観光土産品展示会 写真227 田園を行くお山参詣の列 これらの行事予定,これらの行事のなかには、すでに現在では実施されていないものもある。,しかし近年ではお山参詣の人数も減るなど、かつての観光行事もずいぶんと様変わりしている。
通史編2(近世1) (町方支配)

町方の支配機構は、町奉行のほかに、町年寄・町名主・月行事の町役人によって構成された。,(町名主に相当)・町小組頭(月行事に相当)といった呼称が通用していた。,しかも、各小組には、月行事に相当する小組頭が置かれて町内を差配していた。,あわせて、町名主・月行事の人数も時期による変化がみられる。,また、他領の城下と同じように、町名主と月行事は町役が免除された。
通史編3(近世2) (礼服)

礼服 津軽弘前藩の正月行事、特に一日・四日・七日・十一日・十五日における登城(弘前城本丸へ)を許された,なお、月日の下の( )に示した行事内容は『弘前市史』〈藩政編〉(一九六三年 弘前市刊)第二章第五節二の,(1)年中行事の表によった(『弘藩明治一統誌珍事録・弘城年中行事記』)。,○正月七日(七草のお祝い)  七草(ななくさ)とは、正月七日に七草などを入れた粥を食べる行事をいい、,以上、正月の公式行事のために登城する際の藩士の服装は、慣例でほぼ定まっていたことはいうまでもないであろうが
通史編3(近世2) (虫送り)

この行事は、現在の西・北津軽郡の村々での「虫送り」行事を思い起こさせるもので、宝暦期(一七五一~六四)
通史編5(近・現代2) (十周年を迎えて)

しかし、十周年記念式典や記念行事を、各校ごとに計画実施するには、時期、施設および資金の面で無理があるということから,創立十周年といっても、校舎の整備が十分でないころであり、会場の関係もあって、毎年実施している中体連の行事
通史編4(近・現代1) (士族授産事業としての銀行設立の奨励)

つまり、華士族が銀行事業への投資により、公債の利子金とともに銀行事業利益の配当金を得ることで、生活の安定
通史編4(近・現代1) (弘前観桜会の幕開け)

第一回目の試みではあったが、今後は弘前市における最も盛大な行事になるであろうことを見越して、夜桜に電飾,たることから、祝賀将校招待会、六県酒造業大会、六県電気業大会、県商工協会大会を会期中に催すなど、全市を挙げての行事,写真197 大正期の観桜会風景  その後、弘前観桜会は、弘前商工会の一大行事として毎年催されていくことになる
通史編4(近・現代1) (黒溝台の死闘)

軍隊の記念行事は毎年実施される招魂祭や軍旗祭があった。,招魂祭は戦死者を祭ることで国家のために殉死した人々を英雄化し、戦争の記憶を市民に植え付ける上で重要な行事,軍旗祭も師団管下の各連隊にとって、軍隊と地域の人々を結びつける年中行事だった。,これら重要な年中行事に、日露戦争を前後して、新たに「黒溝台会戦記念日」と、その五日前の「雪中行軍記念日,記念行事が定期的に挙行されるのと併せて、新聞や雑誌、音楽や演劇などで、日露戦争の激戦や悲劇は繰り返し国民
通史編5(近・現代2) (弘前ねぷたの重要無形文化財指定)

地元民の素朴な祭り行事で始まり、喧嘩ねぷたといわれ、かつては当局から禁止令も出された「ねぷ、た」と「ねぶ,改めてねぷたが青森県を代表とする祭り行事であることを示していよう。  
通史編3(近世2) (お山参詣)

毎年八月一日(八朔)に、部落ごとに集団で、豊作祈願のため登拝行事が行われる。,第一に登拝行事の期間は毎年八月一日から十五日までであったが、天候不順になればいつでも禁止されていたのである
通史編4(近・現代1) (新暦の採用)

第一に、改暦の理由が一般によくのみ込めなかったこと、次に、新暦に従えば年中行事の感覚が合わず、農村では,これを合理化しようとすれば、結局新旧二度の正月行事をすることなどになるわけで、中には新暦は不便だからまた,なお、新暦採用に伴って、これまでの旧暦に根ざした年中行事や祭が月齢と一致しなくなったため、おのずと元の
通史編5(近・現代2) (満州事変勃発と小学校)

試みに和徳小学校昭和七年度(八年三月卒業式)卒業生の慰問行事を挙げてみると、六年十月から八年三月までの,慰問行事にいかに多くの学校時間が割かれたかが想像できるであろう。
通史編4(近・現代1) (国家主義教育の浸透)

この改正小学校令公布の前後から、小学校現場にはさまざまな行事が入ってきて、行事を通して天皇制国家主義教育
通史編4(近・現代1) (藩祖三百年祭)

に、以下各役員に士族の歴々を選んだが、この会を中心に商家の商業的企画も加わって、市民を挙げての盛大な行事,かくして大成功のうちに終了したこの大祭は、弘前の明治時代最大の市民行事であった。
通史編5(近・現代2) (弘高祭とねぷた)

翌二十八年、創立七十周年記念行事としてとりわけ盛大に行われ、前夜祭にねぷたを運行したのが「弘高ねぷた」
通史編5(近・現代2) (大東亜戦争始まる)

戦争開始をまるで儀式か宗教的行事のように取り扱っているのが奇妙な印象を受ける。  
通史編3(近世2) (ねぷた)

ねぷた 「ねぷ(ぶ)た」は七月一日から七日まで、現青森・秋田両県などで行われる飾り物行事である。,これは眠流(ねむりなが)しの民俗行事に災厄を払うための人形流し、盆の精霊送りである灯籠送りなどが習合したものと,「ねぶた」は町人の行事だったのである。
通史編3(近世2) (年越の料理と七草粥)

七草は一般に春の七草(芹・なずな・御形(ごぎょう)・はこべら・仏の座・鈴菜・すずしろ)を指すが、民俗行事,としては正月七日に七草などを入れた粥を食べる行事をいう。  
通史編3(近世2) (切支丹類族)

この時、徒目付・足軽目付が検使となり、町年寄・町名主・月行事が立ち会い、死体は古箱に入れ、蓋を釘付にし,、宝積院では住職と小僧が、位牌の前で読経し、寺まで付き添ってきた町名主・月行事が土葬するのを見届けた(
通史編2(近世1) (町支配の役人)

資料近世1No.一一五一、故八木橋武實氏旧蔵)によると、弘前の町支配の役人は、町年寄・町年寄手(町名主・月行事
通史編5(近・現代2) (昭和初期の弘前高女)

弘高女の学校行事の中で、最も華やかであったのは運動会であった。
通史編5(近・現代2) (市村合併後のPTA)

このような連合PTAの行事も、新市・旧市の格差是正に力を尽くしたのである。
通史編5(近・現代2) (一 古典邦楽)

明治初年には音楽が祭礼や学校行事にかかわって余命を保ったことがわかる。
通史編5(近・現代2) (少年団の結成)

さらに、十七年一月三十一日、県学務部長から学校長宛に通牒があって、少年団の集会行事などには、大日本青少年団綱領
通史編3(近世2) ((一)衣服)

津軽弘前藩八代藩主津軽信明(のぶはる)は、天明五年(一七八五)元旦、弘前城本丸御殿において恒例の諸行事,翌五年正月一日~十五日までは年頭のさまざまな礼を受ける行事が続いている。
通史編4(近・現代1) (貴族院議員選挙の概況)

われやすく、任期いっぱいを勤めたのは第一期の野村治三郎(野辺地)のみで、多額議員の選挙はほとんど年中行事
通史編4(近・現代1) (弘前和洋裁縫女学校)

また、弘前市民に親しまれた和洋バザーは恒例の行事であった。
通史編2(近世1) (町役)

同年六月一日付で、弘前町中の伝馬・人足をやめ、町屋敷に居住する者は御用屋敷(役者屋敷・鍛冶などの御用職人・名主月行事,には、城下の町役を負担する総屋敷数は一八一軒で、上役は一四八余、一ヵ年の出人足は九六人で、名主役・月行事一二
通史編2(近世1) (弘前藩庁日記の開始)

日々の記事は、まず、月日と天候が記されたあと、その日の家老・用人・大目付の登城の有無、次に祭祀・仏事・行事,や藩主の公的行事についての記事が記される。
通史編1(自然・原始) (刊行によせて)

三十九年に、市制七〇周年記念・市庁舎新築記念として『弘前市史』二巻が刊行されて以来、約四十年ぶりの市史刊行事業
通史編5(近・現代2) (戦争と弘前女学校)

この年、弘前女学校は創立五十周年を迎え、十二月二十四日から四日間、盛大な式典や行事を行った。
通史編5(近・現代2) (平家琵琶)

明治期の学校行事に参加出演したのは雅楽と同じであり、和徳小学校が明治二十三年に購入した風琴(オルガン)
資料編3(近世編2) (【解説】)

第四節「人々の風俗と慣習」では、藩士・農民・町人を区別せずに、年中行事・日常生活・祭礼と旅についての史料,第一項には、主な年中行事を挙げ、なかでも「年中家之定法」は町人の家の行事と思われるが、一年間の行事内容
通史編3(近世2) (ねぷたの起源と変遷)

ねぷたの起源と変遷 ねぷたは旧暦七月(新暦八月)一日から七日まで、現青森・秋田両県等で行われる飾り物行事,2七六七頁) と唱えて、笹で身を撫(な)でて川に流したのであり、送り盆または七夕(たなばた)の流し行事
通史編4(近・現代1) (弘高女の運動会)

私達の運動会は弘前名物と云われる程の一大行事でした。
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

藩主より行事善三郎に麻裃、力士には赤飯が与えられ、相撲場所は、夏は東、秋は西を上位と定め、御旗の者・寄,宝永元年(一七〇四)に富田町月行事長右衛門から家計と見物人相手の商売への助成のため、相撲興行の許可願いが,しかし、富田町月行事長右衛門と石渡(いしわたり)の橋守長兵衛の秋田湯沢の力士一〇人、富田町月行事伝右衛門
通史編3(近世2) (盆踊り)

これらの行事に対し、藩庁から規制が出されている。  ,目付・町同心・町目付が上町・下町を巡回したり、同九年の盆前には町奉行が無頼の徒九人を捕らえ、町内の月行事
通史編3(近世2) (松森町紙漉)

松森町月行事高島屋孫右衛門(たかしまやまごえもん)が郡所御用支配取扱に任命され、五年間で楮町・新楮町の
通史編3(近世2) (京都詰藩士による視察報告)

京都詰藩士による視察報告 さて、津軽弘前藩の国元では政情に不安を感じつつも、ほぼ例年のとおりに年頭行事
通史編5(近・現代2) (創立記念)

弘前商工会議所は、昭和五十二年に創立七十周年、六十二年に八十周年、平成九年に九十周年を迎え、それぞれ記念行事
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