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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
((一)衣服)
麻裃は長
袴
か半
袴
か不明であるが、『日本服飾史』によれば、裃の地質が麻のことである。 ,長
袴
がみえるだけである。 ,この時に着用したのは、熨斗目半
袴
・熨斗目長
袴
・長
袴
(熨斗目長
袴
のことか)であった。 ,毎日家老と会って藩政について話を聞き決裁をしているが、この時の服装は継裃・麻裃(長
袴
か半
袴
か不明)が多,く、次いで肩衣(長
袴
か半
袴
か不明)・平服(へいふく)である。
通史編3(近世2)
(礼服)
藩士登城年賀) 元禄十年(一六九七)(藩主在国)――熨斗目長
袴
(のしめながばかま)(長柄(ながえ),奉行以上……長柄奉行とは長柄隊の頭で番方(ばんかた)の役職の一つ)、熨斗目半
袴
(寺社奉行~馬廻番頭……,とは番方の役職の一つ)、木綿服麻
袴
(右以下) 右によれば、上級藩士に限られるが、元旦の年賀では熨斗目長
袴
,元禄十年(一六九七)――熨斗目半
袴
(番頭(ばんがしら)以上) 享保二年――常服
袴
羽織(城中の諸番人),、文政十一年は熨斗目半
袴
であり、在府の享保二年は日常着る簡略な羽織
袴
である。
通史編3(近世2)
(非常時の服装)
非常時の服装 飢饉・火事・地震などの非常事態の際における服装については、男子が羽織を着用する時にはく
袴
の,種類の一つに野
袴
(のばかま)がある。,野
袴
の裾の細い仕立のものは踏込(ふんごみ)
袴
(略して踏込ともいう)といわれている。,また膝以下の部分が細くなり、そこの部分をこはぜ掛けをして留めるものを裁付(たっつけ)
袴
(略して裁付とも,「国日記」によれば、凶作による飢饉の年である天保四年には御目見以下の者が
袴
を着用せずに勤務することが許
通史編3(近世2)
((一)衣服)
袴
地)・麻・絹製の裃(かみしも)か黒羽二重(くろはぶたえ)五ツ紋の羽織
袴
(はおりはかま)を用いており、,裃より略装となるのが羽織
袴
である。,羽織
袴
に次いで小袖と
袴
の組み合わせ、小袖と羽織の組み合わせ、小袖のみという順に略装となる。
通史編4(近・現代1)
(女学生の風俗)
まず、女性の革新的風俗と言われた女学生が
袴
(はかま)をはくことは、東京でも明治三十年以後のことで、跡見女学校,彼女らが東京風の
袴
姿で転校してきたことを羨んだのがきっかけで、地元の女生徒の強い要望が現れたのである。,この
袴
地は、当時、代官町の「角は」と土手町の「角み」両呉服店が一手に引き受け、その注文に大多忙であったと,
袴
はカシミヤ地が上等であった。
通史編3(近世2)
(生地による統制と着用規定)
役高三〇〇石以上、長
袴
以上の者は木綿の衣服を着用し、羽織
袴
などは上等な品を用いず、桟留(さんとめ)(桟留鎬,サントメから渡来した縞のある綿織物)・川越平(かわごえひら)(埼玉県の川越市付近で初めて作られた絹織りの
袴
地,御目見以上)は木綿、下着は郡内絹(ぐんないきぬ)(山梨県郡内地方で産出する絹織物)、羽織は紬と木綿、
袴
は,する奈良晒(ならざらし)の縞物)などより上等品を用いないこと、右以下御目見以上は木綿、下着は絹のみ、
袴
は,一、九月十日より三月晦日まて 足袋 但長
袴
着用之節ハいつニ而も相用得候苦(不脱カ)、(下略)
通史編3(近世2)
(学校落成式)
家老牧野左次郎をはじめ重臣列席のもと、総司は染帷子(そめかたびら)に長
袴
の礼装で従者九人を、小司は染帷子,に長
袴
で従者七人を、学頭は染帷子に麻裃(あさかみしも)で従者三人を、添学頭は染帷子に麻裃で従者二人を従
通史編3(近世2)
(礼服)
礼服 儀礼用の衣服には裃(かみしも)と
袴
(はかま)がある。,倹約令第二・三条には、郷士・手代・目見(めみえ)の許された者に対して、麻の裃は認められているが、裏付
袴
は,以上のことから、裃・
袴
・羽織の着用は村役人層にのみ許可され、一般農民は禁じられていたのである。
通史編1(自然・原始)
(津軽山地)
グリーンタフ地域(2)に属し、北から矢形石(やがたいし)山・増川(ますかわ)岳・玉清水(たましみず)山・
袴
腰,大倉岳以北は高度五〇〇~七〇〇メートルの山稜からなり、
袴
腰岳ドーム(3)を形成している。
通史編3(近世2)
(藤布)
藤布 藤の樹皮の繊維で織った布で
袴
地や帷子(かたびら)などに用いられたが、桑野木田(くわのぎだ)村掛落林
通史編3(近世2)
(日常勤務の服装)
宝暦六年(一七五六)十一月十七日条に、御目付(おめつけ)(大目付の指揮を受ける監察の官)以上は麻裃(半
袴
と,これまでの日常勤務では、長
袴
以上(長柄奉行以上の役職。
通史編3(近世2)
((一)衣服)
として継裃を着用し、日常家庭にあったり、くつろいだ時は、「裃を脱ぐ」という諺どおりに小袖(こそで)に
袴
、
通史編3(近世2)
(養老礼)
また長
袴
以上、月並以上の家格で該当する者をそれぞれ「国老」と「庶老」と称した。
通史編3(近世2)
(学びの光景)
会読に進級するころから、大小を腰に帯び、羽織
袴
で折り目正しく、応接から言語まで急に大人びてくる。,一、学寮にあっても常に
袴
を着用のこと。
通史編5(近・現代2)
(戦争と弘前女学校)
冬休み中には、四、五年生は軍隊の
袴
下の縫製もした。
通史編3(近世2)
(信明)
天明四年八月二十五日には長
袴
を着し、長勝寺・報恩寺・本行寺の廟所に詣でているが、本行寺には六代信著の側室円授院
通史編3(近世2)
(金木屋による養蚕と製織)
享和元年七月十二日条)が、文政十年(一八二七)には秋田久保田や上州(現群馬県)の絹織師を招き、藩御用のお召や
袴
地
通史編3(近世2)
((一)衣服)
下衣は男は二部式で
袴
式の裁付(たっつけ)・軽袗(かるさん)・股引(ももひき)などであり、女は湯文字(ゆもじ
通史編4(近・現代1)
(弘高女の運動会)
服装は長袖に紅白のたすき、紫紺の
袴
に白足袋はだしで、種目は大体今の競技と同じようでしたが、その勇壮可憐
通史編3(近世2)
(織物の種類)
「国日記」元禄十六年(一七〇三)三月九日条に、欲賀庄三郎による弘前織の
袴
地二反献上と、弘前の名を付した
通史編4(近・現代1)
(弘前高等女学校の開校)
開校式には県知事を始め、各界の名士が参列しましたので、私共はタンスの底をかきまわして、エビ茶
袴
の盛装で
通史編5(近・現代2)
(復員・引揚げ対策の開始)
略帽、
袴
、外套、毛布、敷布、靴下、編上靴などで、いずれも出征兵のために集積された軍需物資であった。
通史編5(近・現代2)
(和洋裁縫女学校の躍進)
の女性の服装は、勤労奉仕や防空演習などの活動に便利なモンペが愛用されたが、柴田校長はそれを改良して、
袴
式
通史編3(近世2)
(三 八幡宮の祭礼と山車の運行)
黄石公 装束茶地金紋紗、
袴
赤地金鑭(襴)、襟巻白地錦、 張良 装束赤地錦、
袴
黒天鵞絨、襟巻紫地路金
通史編4(近・現代1)
(県内遊説)
彼は雪の中をから脛(すね)の
袴
、草鞋(わらじ)履きで先輩を説いて歩いた。
通史編5(近・現代2)
([口絵])
第一大成国民学校女子児童 口絵23 校庭菜園で食糧増産に励む和徳国民学校児童 口絵24 軍の
袴
下制作
通史編3(近世2)
(日常着)
夏着の単・
袴
地・羽織などに用いる)の帷子(かたびら)(裏をつけない麻などで仕立てた衣服。
通史編5(近・現代2)
(初めての出会い)
(中略)和服に
袴
をつけ、首に白いものを巻き、なよなよとお辞儀をすると『いいなあ』と生徒達は憧れの気持を
通史編5(近・現代2)
(供出と配給)
供出には助役や供出関係者が菅笠に
袴
を着用し、騎馬や徒歩で付き添い、各町内会代表者、中津軽郡各村代表者なども
通史編3(近世2)
((二)年中行事と生活)
袷・綿入・裏付
袴
)。 九日…重陽(ちょうよう)(神前と仏前へ神酒・栗飯・菊の枝)。
通史編4(近・現代1)
(生活刷新の布告)
そのころから邏卒(らそつ)(後に見廻役という)といって、羽織
袴
(はかま)で刀は差さず、二、三人連れで町々
通史編4(近・現代1)
(県立弘前高等女学校)
めまでは制服はなく、めいめいが自前の服を着て登校していたが、やがてその和服も袂のあるものから筒型のものに、
袴
も
通史編3(近世2)
(軍制への戸惑いと浸透)
軍装も改変が加えられ、筒袖(つつそで)・
袴
(はかま)・ズボン・戎服(えびすふく)・呉郎(絽)服(ごろふく
通史編3(近世2)
(弘前の民衆)
その他の人物も洋服や羽織
袴
を着ており、当時の風俗がよく表れている。
通史編3(近世2)
(二 藩主の日常生活)
午前十一時、長
袴
を着用して霊殿を参拝し、御菓子を供える。,午前九時、熨斗目半
袴
を着用し、午前十時前に霊殿へ参拝。,五日、午前十時、熨斗目長
袴
を着用し霊殿へ参拝、初代藩主為信の祥月命日(しょうつきめいにち)につきお菓子
通史編4(近・現代1)
(断髪)
天窓(あだま)はざんぎりにして断髪と名づけ、白き棧尺にまったの
袴
を着、鳶合羽、こうもりを手に持つ。
通史編2(近世1)
(旅行者のみた領内海防)
赴いた三厩陣屋では、陣屋の坂の下に使番、門外には物頭が、さらに、玄関脇には侍二〇人ばかりが陣羽織・野
袴
の
資料編1(考古編)
(1.境関館遺跡)
香炉には、
袴
腰の形状を呈するもの(図106-12)がある。,・4)、灰釉瓶子(図108-5・6・8)、灰釉水滴(図108-7)、灰釉仏花瓶(図108-9)、灰釉
袴
腰香炉
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