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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(養蚕業の奨励)
四四)、弘前の武田甚左衛門(たけだじんざえもん)が弘前及び周辺で野桑が繁殖していることに着目し、養蚕・
製糸
,武田家では代々この事業を継承、明治期に入り、後継の六代目「金木屋」当主の熊七(くましち)が養蚕の普及と
製糸
所,写真98
製糸
工場内風景 また、養蚕業は、明治初期から藩士の授産事業として奨励され、同七年(一八七四,その理由の第一は、養蚕業は大規模、投機的なイメージが強く、一般農家での副業的養蚕や簡易な自家
製糸
は普及
通史編4(近・現代1)
(養蚕業の振興)
個々の農家で副業的養蚕が奨励される一方、本格的な
製糸
業を目指す動きも出ており、大正八年(一九一九)、陸奥
製糸
株式会社,陸奥
製糸
は生糸を足利などの主産地に送り、「弘前銘仙」を委託生産した。,・現青森市浪岡)、鳴海廉之助(西津軽郡車力村・現つがる市)で、合計二四三人が株主となっている(「陸奥
製糸
株式会社株式
通史編4(近・現代1)
(殖産興業の展開)
印刷所 裁縫所 盛蚕所 興業社 漆器 樹産 会社 発誠社 武田 蚕業所 白井 織物所 竹内
製糸
所,竹内 織物所 総計 営業種別 活版 印刷 洋服 裁縫
製糸
織物 漆器 仝
製糸
織物 仝,
製糸
織物 所在地名 東津軽郡 大野村 仝郡 青森米町 中津軽郡 富田村 仝郡 弘前本町 仝郡
通史編4(近・現代1)
(神官僧侶会議での県の方針の伝達)
写真13 蓮心寺 産業奨励については特に蚕種、
製糸
業が対象として重視された。,蚕種
製糸
之議者御国産之第一にして、民間有用之物品なる事は追々御布令之趣も有之、普く知所也、当管下之儀往々山野,すへき木数取調可申出候はゝ、本場より苗木買寄せ、払下け可致事 (同前) 本場の桑樹を移植して、
製糸
業
通史編5(近・現代2)
(弘前手織)
数百年の歴史を有する弘前手織は、元禄七年(一六九四)、津軽塗と同様に四代藩主信政が現在の弘前市紺屋町に
製糸
場,弘前手織が商品として一般に販売されたのは幕末の頃からで、金木屋武田甚左衛門が桐生から織布職人を招いて
製糸
場
通史編3(近世2)
(野本道玄)
彼は機織、
製糸
の改良を督励し、上方から「きんこ繭」の種を取り寄せるなど上質蚕糸の生産に努めた。
通史編5(近・現代2)
(富田大火と第一・第二大成小学校の焼失)
努めた結果、朝陽小学校に収容の児童を旧三一連隊兵舎に移し、富田小学校に収容の一・二年生児童は、旧弘前
製糸
会社
通史編4(近・現代1)
(士族授産事業の成立と展開)
明治十七年に五〇〇〇円の貸与を受けて漆器製造を目的とした漆器樹産会社、同年に五〇〇〇円の貸与を受け、養蚕
製糸
通史編4(近・現代1)
(その他の会社)
製麺及製麦)、弘前織物株式会社(払込資本金、四〇〇〇〇円)があり(表55参照)、市街の近村では、陸奥
製糸
株式会社
通史編4(近・現代1)
(行在所金木屋)
明治に入っては、率先して北海道に進出したのみならず、地方の産業発展の先頭に立ち、養蚕、
製糸
業という生産面
通史編3(近世2)
(紺屋町末紙漉所)
殖産興業の方針が野本道玄(のもとどうげん)主導で、養蚕・
製糸
・織物業に転換したのである。
通史編4(近・現代1)
(県政の展開と産業育成政策)
このほか、養蚕、
製糸
業も奨励した。
通史編4(近・現代1)
(就学励行)
日清戦争後飛躍的に発展した日本の近代産業、その一つである
製糸
・紡績などの繊維工業の発達も、本県には何らの
通史編5(近・現代2)
(りんご加工業と輸出)
南津軽郡五郷村(現青森市浪岡)出身の成田匡之進は、弘前市富田の陸奥
製糸
株式会社の専務となり、昭和五年(
通史編4(近・現代1)
(工業建設の意見)
シ、大ニ資本家及経営者ヲ誘致ス可シ、無限ノ宝庫トハ何ソヤ、例ヘハ精錬、製鉄、鉄工、造船、製麻、製紙、
製糸
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